ひとりごと
2012年 1〜 4月
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<2012-4-30>
「そうみたい」と「Hold me tight」は似ていますが、意味は全然違います。
<2012-4-26>
「彼女は知らないなら、友達になるわ。それしかあなたに会うチャンスはないもの」
こ、こえーよ。
<2012-4-25>
昨日、トム・クルーズが夢に出てきて、こんなことを言っていました。
「日本語の『風味』って、いい言葉だよね。『匂い』でも、『味』でもなく、『風を味わう』なんて、とても繊細で、日本人らしい表現だと思うんだ」
我ながら、なぜトム・クルーズなのか、なぜ「風味」なのか、わけがわかりません。(^^;;
<2012-4-23>
アナログ終了からずっと、地デジチューナーをアナログテレビにつけてしのいできましたが、先日、ようやくテレビを購入しました。
大型テレビは、1インチが1万円を切るころから「欲しいなぁ」と思っており、何度も買おうとしました。
しかしその度に技術の進歩があり、値段もどんどん安くなったので、なかなか踏ん切りがつきませんでした。
フルハイビジョンが安くなったら、倍速液晶が安くなったら、LEDバックライトが安くなったら、3Dが安くなったら……と思っているうちに2012年になってしまいました。(^^;;
まさか自分がアナログ終了までテレビを買い換えないでいるとは思っていませんでしたし、アナログ終了後、半年以上もチューナーをつけてしのいでいるとも思っていませんでした。
購入したのは、東芝の42ZP3です。
もっと安い42型のテレビはありましたが、W録ができ、偏光式3Dなのでメガネが安く、CEVOエンジン搭載で操作のストレスがなさそうという理由で、これにしました。
今までが25型のブラウン管でしたから、大きさと綺麗さに圧倒されました。
せっかくの3Dテレビなので、3D世界遺産を毎週録画して観ています。
いつか3Dのビデオカメラを買って、マロンを撮りたいなぁと思っています。
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<2012-3-12>
先日、家族の悩みでセッションにいらっしゃった方から、メールを頂きました。
転載の許可をいただきましたので、体験談としてご紹介いたします。
---ここから---
この度は本当にありがとうございました。
先生のカウンセリングルームを出ると雨が上がっていて
何だかすごく気持ちがすっきりしている自分に気がつきました。
何でもっと早く先生にお会いできなかったんだろう? と思うと、
リサーチ不足の自分に腹が立ちます。
これまで他のカウンセリングに費やした時間と費用が勿体なかったなぁ、なんて思ってしまいました(笑)
セッションでは本当にリラックスしてしまい、
前夜眠りが浅かったせいもあり、私寝ていたのではないかと心配なのですが・・・
でも、先生の声は聞こえていて
以前に受けたことのある催眠とも、カウンセリングとも全然違っていて
何だかとても不思議な気分でした。
先生とメールのやり取りをして、セッションを受けて
私はこれまで、どれだけ自分自身を責めていたのだろうと思いました。
特に家族との関係について
「私だけのせいじゃない」と思いながらも
そう考えること自体が自分自身の甘えのようにも思えて
結局また、自分自身を責めるというその繰り返しだったように思います。
先生のセッションを受けて、私の中で
相互作用の結果が今の家族関係なのだと、何だかとても腑に落ちました。
当たり前のことですが、家族から不適切な対応を受けていなければ
私がここまで家族を敬遠することなど無かったはずですから。
考えてみれば、相手に対して罪悪感に似た感情を抱いていると
その時点で、コミュニケーションでは弱者になってしまいますよね。
私はこれまで「相手の気持ちを思いやる」ことばかり考えて
人を傷つけることがこわくて、とても臆病でした。
でも、自分の気持ちをないがしろにしてまで、
まして、自分を傷つけた相手にまでそれを適用することはないのだと、今更思いました。
あるがままで、自然体でいいんだと思ったら何だか肩の力が抜けて、とても楽になりました。
--ここまで--
<2012-3-12>
よくあたる占い師というのは、未来を正確に予想できる占い師のことなのではなく、占った未来に相手を誘導できる占い師のことなのだと思います。
「これからしばらくの間、あなたのパワーが弱っていますので、事故に気をつけてください。事故は、あなたのご両親のパワーで防ぐことができますから、できるだけ親孝行してくださいね」
こんな占いをされたら、親孝行しようという気持ちになります。それが誘導です。
そしてこの占いは、外れることがありません。事故がなければ親孝行のおかげということになりますし、万が一、事故が起こったとしても、親孝行が足りなかったのだということになるからです。
「近い将来、ある人との出会いがあります。その人はあなたの人生に大きな影響を与えます。イニシャルはNです」
この場合も、出会いがあるたびに、相手の名前や苗字にNがつかないかどうか、意識するようになります。
そしてNがついている場合、意識してその人と接し、必要以上にその人の言葉に注意し、従うようになるかもしれません。
これも誘導です。
Nがついている人に出会えばそれで占いは当たったことになり、出会いがなければ、出会うまでNがつかないか意識するようになるのです。
このように、すべての占いは、十分暗示的です。
暗示の上手い占い師こそ、よくあたる占い師ということになります。
<2012-3-6>
「ビックバンセオリー」という海外ドラマを見ていたら、個人的にツボなジョークが出てきたので、ご紹介します。
ある所に農夫がいて、鶏を飼っていたんだけれど、卵を産まなかった。
そこで、物理学者に助けを求めた。
学者は、何やらいろいろ計算してこう言った。
「解決法はある。ただし、真空において、鶏が丸い球状だとすればね」
<2012-3-5>
今日聞いた名言。
「虚しくなるまでが妄想」
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<2012-2-27>
僕はみかんが大好きです。
冬の間はなるべくみかんを切らさないようにしていました。
しかし気がつけば、最近、みかんを食べていません。
今シーズン最後のみかんを、全くそうとは気がつかないうちに、食べ終わっていたのです。
もし、その最後のみかんを食べるときに、「このみかんが、この冬最後のみかんなのだ」と意識していたならば、僕はもっとそのみかんを味わって食べていたことだろうし、食べ終わった後に、一抹の寂しさのようなものを感じていたのかもしれません。
しかし実際は、特別味わうこともなく、寂しさを感じるわけでもなく、おそらくは、ただ何となく、最後のみかんを食べ終わりました。
今日、ふとそれに気づいて、人生って、そういった「気がついたときには終わっている」ことの連続なのではないかと思いました。
学生の頃、友達と会って別れるときに、「もう一生会うことはないかもしれない」などと意識することはありませんでした。
しかし今、昔の友達をひとりひとり思い出すと、住所も分らず、もう一生会うことはないだろうと思える人が何人もいます。
知らないうちに、一生の別れが終わっていたのです。全くドラマチックな気分にもならず、淡々と。
もしそのとき、これでこの人に会うのは最後だと知っていたならば、どうだったのだろう?
最後のみかんに気がつかないのと同じように、当たり前だと思って意識しないことの中に、自分の人生にとって貴重な瞬間が隠されているように思います。
「いつでもできる」ことを前提に生きることは、知らないうちに多くを失うこと。
「もうできないかもしれない」と思うからこそ、気持ちが入るし、再びそれをしたくなるのです。
<2012-2-20>
このアルバムを初めて聴いたのが21年前です。
当時は、この歌詞に出てくる「40回目の誕生日」がいつか自分にもやってくるなんて、うまく想像できませんでした。
そして当然のことながら、歌詞にそれほど共感できるわけでもありませんでした。
今日、その40回目の誕生日を迎え、改めてこの曲を聴くと、何だかグサグサ心に突き刺さります。
幸い、銃で頭を撃ち抜いてはいませんが、共感している自分が少し怖いです。
セラピストという仕事をしていると、ポジティブなことしか言わない同業者もたくさんいますので、こういった音楽に共感しているということは、セラピストとして自分はどこか間違っているのではないかと思わないでもありません。
昔、就職の面接で、「あなたがこの会社の面接官だとしたら、あなたを採用しますか?」みたいな質問をされたことがあり、「はい」と答えるべきだと思って「はい」と答えながらも、心の中で、「自分よりも適した人はたくさんいるんじゃないか」と本気で思っていました。
それと同じで、自分がセラピーを受ける立場だとしたら、果たして浜省に共感しているセラピストのセラピーを受けたいと思うだろうか?
うーん、多分、受けたい。(笑)
逆に、ポジティブなことしか言わないセラピストとなんて、全然話したくない。
心のどこかでそう思っているので、僕は平気でこういうことを書いてしまうのだと思います。
<2012-2-11>
デーモン閣下、歌うますぎ。
<2012-2-9>
ヨーロッパの寒波のニュースを読むと、地球温暖化というのは本当なのかと、短絡的に思ってしまいます。
温暖化防止やCO2削減には、どこか利権の匂いがして、偽善の匂いもして、個人的には好きではありません。
環境に優しく生きられるかよりも、合理的に生きられるかどうかを考える方が、ずっと環境に優しい気がします。
例えば、電気自動車はCO2を出さないのでエコなイメージがありますが、電気を作るときに火力発電所で大量のCO2を放出しているのですから、結局は同じことのように思ってしまう。
仮に、1km走る際のトータルのCO2排出量が、電気自動車の方が少なかったとしても、ほとんど金属だけでできているガソリンエンジンと、レアメタルを大量に使っている電気自動車のバッテリーとでは、製造時の環境負荷も、廃棄時の環境負荷も、まだまだ電気自動車の方が高く、製品のライフサイクルで考えたら、電気自動車なんてちっともエコじゃないのではないかと思うのです。
もちろん、技術革新が進んでいけば、より環境に優しい電気自動車は作られるだろうけれど、現時点で「電気自動車を選ぶのはエコ」みたいな宣伝の仕方をされると、違和感を覚えます。
節電も、環境のためではなく、「だって電気代もったいないじゃん」と自分の為にすれば良いことだし、レジ袋を断るのも、環境のためではなく、「捨てるの面倒だから」と自分の為にすればそれで良いのだと思う。
<2012-2-8>
ふかわりょうが言いそうなネタ。
「お前んちの家電、みんなイオンが出るんだな」
<2012-2-6>
「心の中に絵を描けるかどうか」って、すごく大事なんだなぁと思います。
来月、3ヵ月後、半年後、そして来年、3年後の自分を、「こんな風になったらいいなぁ」と心の中で自然にイメージしている人は、きっと大丈夫です。
でも、未来に何も描けなくなったら、急速に人は老けていくのではないだろうか。
かといって、明るい未来をイメージしようと必死になるのは何か違う。
湧き水みたいに、勝手に滲みだしてこないと。
話も同じです。
聞いているだけで、心の中に次々に絵が浮かんでくる人の話は、聞いていて面白いですし、もっと聞きたくなります。
反対に、聞いていても心の中に全く絵が浮かんでこない人の話は、聞いていても、ただただ、苦痛です。
もしかしたら、未来を思い描く能力と、話す能力って、どこかで繋がっているのかもしれない。
物語を相手の心の中に描ける人は、同じ方法で自分の心の中に未来を描けるのでしょう。
<2012-2-3>
2年前に出版された「完全熟睡マニュアル」ですが、いよいよ
Amazon の在庫がなくなってしまったようです。
中古品は、まだ数冊あるようですが、CDがついていないものもあるので、ご購入の際は、CDが付いていることを確認して下さいね。
当カウンセリングルームにも、まだ少しだけ残っていますので、ご希望の方がいらっしゃれば、「お問い合わせ」より、住所、氏名をご記入の上、ご注文下さい。折り返し、入金先(三井住友銀行)をご連絡いたします。入金を確認後、送料無料でお送りします。
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<2012-1-23>
やらなければならないのに、全然やりたくないとき、ついつい「スパイダソリティア」で遊んでしまいます。
一度はじめると、クリアするまでやめられず、気がつくと結構な時間が経っていることがあります。
ゲームはストレス解消になりますので、決して無駄な時間とは思っていませんが、「スパイダソリティア」は中毒性が強すぎるため、今日、断腸の思い(というとオーバーですが)でアンインストールしました。
スパイダソリティアにはまってから、10年以上が経ちます。
今まで、同じような気持ちになり、ショートカットを削除したことはあるのですが、結局エクスプローラから立ち上げてしまい、いつかはアンインストールしなければと、宿題のような気持ちでいました。
もちろん、アンインストールしたからといって、もう一生できないわけではなく、再インストールすればいつでもできますし、他のPCで遊ぶことも可能です。
しかし、それでも、すごく自由になれた気がします。
「もう、あれをしなくていいのだ」と。
好きでやっていたはずなのに、不思議です。
<2012-1-20>
40歳になるまでに、ベートーベン「月光」の第三楽章を弾けるようになることが、昔からの夢でした。
いつか電子ピアノを買って、毎日練習して、独学で弾けるようになってやる!、と。
あと1ヶ月で40歳になりますが、未だに電子ピアノさえ買っていません。
60歳でも厳しそうだから、タイムリミットを80歳にしておこうと思います。
こんな風に弾けたら、楽しいだろうなぁ。
ピアノを弾ける人って、ピアノを弾けない人は味わうことが出来ない幸せを感じることができるのだろうし、1曲を弾きこなす為に毎日ピアノに向かう人生というのは、ピアノを弾けない人生とはずいぶん違った感じがするのだろうなぁと勝手に思っています。
<2012-1-19>
「平和」と「和平」、「理論」と「論理」のように、入れ替えても成り立つ単語を、「逆配列漢字熟語対」と呼ぶそうです。
「日本」と「本日」のような、意味がまったく違ってしまうものは別ですが、「材木」と「木材」のように意味が似ているものは、以前からとても興味がありました。これ、やっぱり昔の日本人の「言葉の乱れ」がそのまま定着した結果なのかなぁ。
あ、「奈美」と「美奈」だったら、僅差で美奈派です。
<2012-1-17>
「本物のニセモノ」と「ニセモノの本物」だったら、「本物のニセモノ」が欲しいです。
きっとこの二つは、どちらも本物ではないという点においては意味は同じで、響きから連想されるイメージが違うだけだと思うのですが、「本物のニセモノ」は、何だかニセモノ作りに命をかけて作った、「100%のニセモノ」のような気がします。
一方、「ニセモノの本物」は、とりあえず似せて作っただけの、「0%の本物」のような気がします。
「本物のフィクション」と「ニセモノのノンフィクション」だとしたら、やはり「本物のフィクション」が読みたい。
「ニセモノのノンフィクション」なんて、存在理由がどこにもありません。
似た言葉で、意味が同じでも、そもそものコンセプトが全然違う場合があるのではないかと思います。
<2012-1-2>
知り合いからチケットをもらったので、大晦日の夜から元旦の朝まで、東京ディズニーランドのカウントダウンパーティーへ行ってきました。
久しぶりに観た「キャプテンEO」が懐かしかったり、初めて乗った「バズライトイヤー」に熱くなったりしましたが、一番印象に残ったのは、「ピーターパン」でした。
ピーターパンの「35分待ち」の列に並んだのは、午前3時を回った頃です。
ふと我に返り、一様に疲れた顔をして列を作っている大人たちを眺め、「この人たちは夜中の3時に、30分も列にならんでまで、ピーターパンに乗りたいんだな」と改めて思いました。ピーターパンを激しく求めているのだ、と。ピーターパンシンドロームなわけでもないのに。
目は充血し、眠気で表情はなくなり、ワクワクしているようにも見えなければ、楽しそうにも見えず、それでも何かにとりつかれたようにアトラクションをつぶしていく大人たちの姿は、とてもシュールでした。
これをマインドコントロールと言わず、何と呼べばいいのかと思いました。
もちろん、自分も含めて、です。
そんなことを思ってしまったのは、僕がつまらない大人になってしまったからではなくて、さすがのディズニーランドの魔力も、午前3時になると、少しだけ弱まってしまうからなのかもしれません。
<2012-1-1>
新年、明けましておめでとうございます。
昨年末は、思うところがあって、年賀状を1枚も書きませんでした。
ひとつは、柚子が亡くなって、猫と言えども、気持ち的に喪中なこと。
それから、年賀状1枚で繋がっている人が多くなり、それに甘んじていてはいけないのではないかという気がしたからです。
すでに繋がっていないのなら、繋がっている気持ちでいることは正しくない気がするし、繋がっていたいのなら、年賀状ではなく、他の方法でもっとしっかり繋がるべきだという気持ちになりました。
年賀状を書かないという選択は、個人的には結構大きな選択でした。
何十年も続けてきた習慣ですから。
このまま年賀状を書かないことが当たり前になるのか、やはり今年の年末には年賀状を書いているのかは判りませんが、懐かしく思われたり、懐かしく思ったりするためだけの年賀状ならば今はいらない、そんな気分です。
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