ひとりごと
2011年 1〜 4月

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<2011-4-30>
 子供のころ、写真は今よりもずっと価値がありました。
 旅行へ出かけるとき、フィルムを何本持っていくか悩み、シャッターを押すときに少し緊張し、現像が終わるのをワクワクしながら待ったものですが、デジカメが当たり前になってからは、それらすべてがなくなってしまいました。
 楽に写真が撮れるようになったから、それだけ写真を多く撮るようになったかといえば、僕の場合は全く逆で、フィルムを使っていたころの方がよっぽど写真を撮っていました。
 自分が努力をして得たものほど愛着が沸くのは当然で、簡単にできるようになるということは、本質的な情熱を失ってしまうことなのかもしれません。
 これほどネットが普及する前は、嘘か本当かわからないような話を聞くことが多く、そんなストーリーには力がありましたが、今では即座に検索することで、それが嘘か本当かある程度は判ってしまいます。
 図書館で調べたり、詳しい人に聞いたりというプロセスを経なければ見極められなかった真実が、自宅にいながら簡単に見極められるようになることで、なんだか真実の価値がどんどんなくなっていっているような気がします。
 壮大な間違いに、何年も気づかず、格闘し、最終的には完全に徒労に終わりながらも、その経験から得られるものは、決して小さくありません。
 簡単に真実に辿りついてしまい、あれもこれもわかった気でいることを危険だとは思いませんが、「だったら靴箱の中で生きていけばいいのに」、と思わないでもありません。
 便利になるということは、「楽」と引き換えに、「熱」を失うことなのでしょう。

<2011-4-26>
 あんなの飾りです。偉い人にはそれがわからんのです。

<2011-4-22>
 相手がまったく迷っていなくて、さらに状況をコントロールできる立場にいるときには、それが正しいかどうかなどは大した問題ではなく、相手が心地よくその道を進めるようにする以外に、私たちに出来ることは何もないのではないかと、お風呂に入りながらふと、思いました。もしくは、喜んでその人から離れるかの、どちらかなのでしょう。
 もちろん、その決定が自分にも大きく影響するのならば、黙っていてはいけないこともありますが、自分に全然影響がないのであれば、やはり、背中を押すか、離れるかだと思います。
 そこで自分の正義を振りかざすことは、野暮です。

<2011-4-19>
 「フラッシュフォワード」というアメリカのドラマがあります。(現在、テレビ朝日にて放送中)
 全人類が、同時に2分17秒間、意識を失い、その間に半年後の自分の姿を見てしまうというドラマです。自分の未来を知ったある人たちはそれを成就させるために、ある人達はそれを阻止するために生きはじめます。
 そのドラマの中で、こんなセリフが出てきます。
 「あの事件以来、私たちは共通の話題を手に入れた。今では誰と会っても、『あなたはあのとき何を見ましたか?』という話題で会話が始まる」
 今回の地震で、このセリフを思い出しました。
 あの時、何をしていたのか。どんな風にあの夜を過ごしたのか。
 誰もが自分だけの体験を持っていて、それを聞きたいし、話したいという欲求があるように思います。

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<2011-3-15>
 もう、これを国歌にするべき。
 

<2011-3-9>
 誰もが、「自分のしていることは間違っていない」と思って生きているんですよね。
 もちろん、僕もそう思って生きています。
 「悪いこと」だと知りながらそれをする人は、悪人に見えますが、少なくとも、思想と行動が一致している分、周りに与える被害は限定的なのかもしれません。
 しかし、「正義は勝つ!」と自分の正義をぐいぐい押し付けてくる人は、「わからずに間違ったことをしている」可能性があるため、たちが悪く、被害は食い止められずに拡大します。
 「間違っていない」と思って行動しているのですから、反省できないのです。
 「誰もが自分は正義だと思っている」という事実を認めると、相手に対して滅多なことは言えなくなりますし、無駄な争いは減るんじゃないかと思います。
 相手の信念を変えることはとても難しく、自分の信念も簡単には変わりませんから、そのままの相手を受け入れられるかどうかという、非常にシンプルな付き合い方になるのではないでしょうか。

<2011-3-7>
 突然雰囲気が変わったり、おしゃれになったりする人を見て、やれ高校デビューだ、大学デビューだと言う人がいますが、そんなに意地悪な言い方をしなくてもいいのに。。。

<2011-3-6>
 中学のときの同窓会に出席してきました。
 同窓会に出席するのは、卒業以来はじめてで、実に24年ぶりの再会です。
 僕の顔を見て、誰も判ってくれなかったらどうしようと少し不安だったのですが、みんな覚えていてくれてホッとしました。
 こういった会に出席すると、「○○に似てるよね」と言われることがあります。
 今日は「スパイダーマン2の悪役に似ている」と言われました。
 ピンと来なかったので、家について早速検索。「アルフレッド・モリーナ」という俳優さんですね。確かにちょっと似ているかも。
 久しぶりにあだ名で呼ばれて、今日は中学生の気分でした。

<2011-3-5>
 明石家さんまがテレビで、「"幸せ"っていう言葉は人間が作ったもので、元々ないもの。あの言葉をなくせば、みんなもっと落ち着いた生活になると思う」みたいなことを言っていました。
 とってもいい言葉だなぁと思いました。
 「幸せ」だけでなく、「愛」も「恋」も「正義」も、昔はともかく、今は広告屋が作っている架空の概念なのかもしれません。「これが幸せですよ、これが愛ですよ、恋ですよ、正義ですよ、みんなやってますよ、やらないのはおかしいですよ……」と。
 ありもしないものを「ある」と信じて、人はこんなにも振り回されているのでしょう。
 「そんなものは本当はどこにもないのだ」、という視点で自分の生き方を再確認すると、捨てていいものがたくさん見つかるのかもしれません。

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<2011-2-20>
 誘惑するのは悪魔と相場が決まっていますが、もう少し、神も本気を出して人間を誘惑した方が良いと思います。

<2011-2-19>
 ウニが嫌いだと言うと、何でみんな、「それ、本当に美味しいウニを食べたことがないからだよ」って言うのでしょうか?
 他の食材を嫌いだと言ったときに、こんなややこしい思いをすることはありません。
 しかし、ウニが好きな人たちは、ウニが美味しいことを決して譲ろうとしません。
 「昔は嫌いだったけれど、一度北海道ですごく美味しいウニを食べてから、普通のウニも食べられるようになった」という摩訶不思議発言をする人もいます。
 ウニが嫌いな人って、本当に美味しいウニを食べたことがあるとかないとか、そういうレベルを超えて、もっと決定的に、ただ「ウニが嫌い」なのだと思うのだけれど、違うのかな。
 それとも、ウニが嫌いな人でも感じられるほど、美味しいウニというのは、まったく別物なのでしょうか? それだったらいっそ、紛らわしいから別の名前で呼んで欲しいです。
 そんなハードルのあげ方をされたら、美味しくても美味しくなくても、素直になれません。
 ウニが好きな人たちの想像力のなさは、一体どこからくるのでしょうか?

<2011-2-16>
 さんま御殿を観ていたら、出川哲郎が、「先輩・後輩に言いたくても言えない事」というお題で、後輩のナイツに「本当は俺の事、尊敬しているのかい?」と聞いていました。
 彼がこの質問をしたとき、見事だなぁと思いました。
 ナイツが「尊敬していない」と答えれば笑いになりますし、「本当は尊敬している」と答えれば、「俺をつぶす気か!」とつっこむことで、やはり笑いになります。
 どちらに転んでも笑いが起こるように、彼が状況をコントロールしていたのです。
 番組では、ナイツは「尊敬していない」と答え、出川は「違う違う違う、テレビ的なコメントとかじゃなくて、本当の本当を聞かせて欲しいの」と笑いをとっていました。
 その後、さんまが「お前は出川を本当に尊敬しているやろ」とスリムクラブにふったところ、スリムクラブは「はい」と答えてしまい、ここで出川は「俺をつぶす気か!」とつっこみ、やはり笑いをとっていました。
 彼の質問は、相手がどちらを答えても正解ですから、広義の意味での「肯定的ダブルバインド」だと思います。
 芸人さんはやっぱりすごいです。

<2011-2-15>
 僕はブラックマヨネーズの吉田が大好きです。
 芸人としてもそうですが、彼の一生懸命な姿勢が、胸を打つのです。
 そして彼の卑屈な言葉も、笑えるのだけれど、どこか本気が混じっている気がして、 ときどき切なくなったり、かわいそうになったりします。
 だから、このPVを観たとき、笑う前に、もらい泣きしてしまいました。
 それにしても、金魚は一体どこから??
 

<2011-2-8>
 優しさと誠実さ。
 どちらかひとつ選べというのなら、迷わず誠実さを選ぶべきです。
 優しさはときどき、ものすごく大きな幸せを与えてくれますが、基本的に気まぐれで、あてにはなりません。
 誠実さは、サプライズこそ苦手ですが、いつもそばにいてくれて、あてになります。
 若いうちは、優しさを選びたくなる気持ち、とっても良く解ります。
 ただ、年を重ねたときに、「優しいだけでは駄目なのだ」と気づいても遅いのです。

<2011-2-1>
 以前から何度も不可解な童謡について書いてきましたが、童謡「やぎさんゆうびん」に対するフラストレーションも相当なものです。そうです、黒やぎさんが、白やぎさんからきたお手紙を食べてしまい、仕方がなく、「さっきの手紙のご用事なあに?」と白やぎさんに手紙を送ると、今度は白やぎさんがその手紙を食べてしまう、という、あの歌です。
 いくつかの疑問が残りますが、まずはじめに理解ができないのは、「やぎたちはなぜ、そこまで飢えているのか?」ということです。そしてこの疑問は、「飢えているにもかかわらず、なぜ自分の書いた手紙は食べないのか?」というふたつ目の疑問にも繋がります。
 この童謡を聴くと、やぎたちは条件反射的に手紙を食べているように思えますが、そうではありません。彼らはしっかり、「これが誰から来た手紙か」を理解した上で食べているのです。確信犯です。
 そして、そもそもはじめの白やぎさんの手紙には何が書かれていたのでしょうか。
 真相は何もかも、闇の中なのです。
 今日は、童謡「クラリネットをこわしちゃった」で「パキャマラド」と歌いだす主人公の精神性について書こうと思っていたのですが、小説「ノルウェイの森」で、学生が「ギリシャ悲劇よりもっと深刻な問題が現在の世界を覆っているのだ」と語ったのと同じように、途中で、「クラリネットをこわしちゃった」よりもっと深刻な問題が「やぎさんゆうびん」を覆っていることに気がつきました。
 何も訴えかけてこないような、中身のない歌は現在でもたくさん作られています。いや、むしろ大量生産されていると言っても良いかも知れません。しかしそれでも、童謡の中にみられる理不尽さ、不可解さに比べれば、予測範囲内です。「あなたを愛している」という気持ちをメロディにのせて歌いたい気持ちは多少なりとも伝わってきますし、そうではなかったとしても、奇をてらいたい気持ちは理解できます。
 しかし、「クラリネットの音が出ない、怒られる、どうしよう」と、延々とメロディにのせて歌いたい気持ちは、僕には理解できません。
 もちろん、童謡の中にも優れたものはたくさんあります。例えば「アイスクリームの歌」です。この曲の完成度は非常に高い。もしかしたら数ある童謡の中で、一番文学的に優れているかもしれません。
 「僕は王子ではないけれど、アイスクリームをめしあがる」……哲学さえ感じます。
 「喉を音楽隊が通ります」……素晴らしすぎます。
 実際、彼はクラリネットをとても大切にしており、壊しはしませんでした。クラリネットは、ただ、「壊れた」のです。
 そして今日も、やぎたちは手紙を書きつづけ、食べつづけます。

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<2011-1-30>
 遠い存在の方が仲良くいられることってあると思います。
 1年に数回、久しぶりに会うような関係が、一番長続きするし、適度な遠慮があり、お互い優しいままでいられるのかもしれません。
 そういった意味では、「親しい友達じゃない」ことって、それはそれで素敵なことなのではないでしょうか。
 友達は多くなくていい、というのが、今のところ、僕の持論です。
 80歳になったとき、「お茶でも飲みにいらっしゃいませんか?」って誘える相手が、ひとりかふたりいれば、それで十分なのではないかな。

<2011-1-29>
 「子犬のワルツ」を聴くと、心の中に、子犬が戯れている様子が浮かびます。
 しかしこれはショパンに、「子犬が戯れている様子を音楽で表現できるほどの才能」があったからではなく、この曲に「子犬のワルツ」というタイトルがついているからだと思います。
 仮にこの曲が、「イチョウのゆらめき」というタイトルだったとしたら、僕はこの曲を聴きながら、黄色く染まったたくさんのイチョウの葉が、風に飛ばされてゆらゆら舞い落ちている情景をイメージしたことでしょう。
 僕は「子犬のワルツ」を、ショパンの曲の中では一段下に見ているふしがありますが、それはこの曲のせいではなく、タイトルのせいです。この曲を聴くと、どうしても子犬が心に出てきてしまい、どこか「子供のための曲」と感じるのです。
 「黒鍵のエチュード」が好きなのは、きっとタイトルが「黒鍵のエチュード」だからです。「黒鍵のエチュード」が、仮に「子犬のワルツ」というタイトルだったとしたら、何の違和感もなく、やはり心の中に子犬が出てきて、何だか台無しです。

<2011-1-28>
 「意外」と「案外」では、「案外」の方がワンランク上の表現な気がします。
 村上ショージの言う、「案外ベンチじゃない?」
 いま思えば、哲学なのかもしれません。

<2011-1-27>
 この2月で、祖母が亡くなって10年になります。

 祖母は明治生まれ。祖父の仕事の関係で台湾に転勤後、祖父を兵隊にとられ、終戦間際には同じ日本人町の人たちと、集団自決する寸前まで追い込まれた、戦争に人生を狂わされた世代のひとりです。

 4人の子供と、11人の孫に恵まれ、祖父も終戦後、無事に帰ってきましたが、祖父に先立たれ、晩年は一人で多くの時間を過ごしました。

 亡くなるまでの1年ほどの間は、私は毎週1度、金曜日の夜に祖母を訪ね、一緒に食事をし、色々な話をしました。祖母はとても優しい人で、祖母と過ごした時間の中に、嫌な思い出はひとつもありません。私が子供の頃は遠くに住んでいましたし、自分がおばあちゃん子だという自覚もなく、孫の中で特別に可愛がられたわけでもありませんが、私は祖母が大好きでした。

 明治の女ですし、戦争で辛い思いをたくさんしてきた人なので、昭和生まれの私とは比べ物にならないくらい、芯の強さがあり、亡くなるその日まで、自分の脚でトイレに行ったほどです。物事の悪い面に目を向けても何も変わらないことを人生を通して学んできたのでしょう、基本的に弱音を言うことはありませんでした。

 それでも体が不自由になり、昼間は孤独と闘い、することも、するべきこともない日々が長く続くと、ときどき「はやく死にたい」と言うことがありました。祖父が亡くなってから15年も経っており、趣味だった庭仕事もできなくなり、ただ、庭を眺め、ときどき鳥がやってくるのをじっと待っているような、そんな毎日でした。

 子供たち(私の母とその兄弟)は、祖母がそんな弱音を言うと、「そんなこと言うものではない」と全力で励まし、長生きさせようとしていましたが、私は毎週祖母に会っていると、祖母の気持ちがとてもよくわかったので、祖母が「死にたい」と言うたびに、その気持ちを否定しないで、祖母の思いをすべて聞いていました。

 祖母が亡くなったとき、お葬式ではたくさん泣きましたが、それよりも、「おばあちゃん、良かったね」という気持ちの方がずっと大きく、大好きな人が死んでしまった喪失感は全く感じませんでした。祖母はその日に亡くなったわけではなく、1年間、会うたびに少しずつ、あちらの世界へ近づいていっているのを感じていましたので、私の中では、十分な準備ができていたのだと思います。

 祖母は几帳面で、日記をつけており、それとは別に、何かあるたびに、和歌を作っていました。お葬式の前日、記念になるものを作りたいと思い立ち、祖母の日記と和歌、そしてアルバムをあずかって、徹夜をして記念誌を作りました。

 先日、ふとしたきっかけで、10年ぶりにその記念誌を読み直しました。祖母は10年前に亡くなりましたが、その中ではまだ、元気に生きていました。私は読みながら、お葬式では感じなかった、大きな喪失感を覚え、何度も胸がつまりました。

 最期の1年間、十分、祖母の話を聞いてきたつもりでしたし、後悔はありません。それでも、1日でもいいから祖母が生き返って、もう一度お話ができたらどんなに素敵なんだろうと、そんなことを思いました。

 記念誌の中の一部をご紹介します。
 「一人暮らしの夕暮れ1」というタイトルがつけられている散文で、これは祖母が80歳のときに書かれたものです。(祖母は92歳で亡くなりました)

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「一人暮らしの夕暮れ1」  (昭和63年5月6日)

老いて一人暮らしの夕暮れ、大きな「クシャミ」が連続3回。
よい噂かな? 悪い噂かな? まあ、どちらでもかまわない。なぜなら……
この世で誰か私を話題にしていて呉れる人が居ると思っただけで、私は喜ぶのである。
今日もよく働いた。趣味に生きる毎日は素晴らしいことなり。
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<2011-1-26>
 人は正直であろうとしているときでさえ、事実を語るのではなく、信じていることを語るのであり、信じたいことを語るのだと思います。

<2011-1-22>
 「部屋とYシャツと私」は、ロマンスグレーのくだりから、我慢が出来なくなります。

<2011-1-21>
 頭が良くなるのは難しいですが、頭の良いふりをするのは、案外簡単な気がします。
 客観的っぽいことを言えば良いのではないでしょうか。
 「猫は4本脚の動物だけれど、4本脚の動物がすべて猫なわけではないでしょう」みたいに。
 あれ、やっぱり違うかな。(^^;;

<2011-1-19>
 僕は今、38歳です。
 自分より年下の人と話すときには、相手が自分より20歳上だと思って話すことがあります。つまり、58歳です。
 なぜそんなことをするかというと、年下にだって敬意を払わなければならないし、反対に若さに遠慮する必要もないからです。
 自分より年上の人と話すときには、相手が20歳下だと思って話すことがあります。18歳です。
 年上だからといって自分より可能性が残されていないと思ってはいけないし、反対に権威にたじろぐ必要もないからです。
 年老いた相手の姿や、若かったころの相手の姿を想像するだけで、相手に対する感じ方がガラッと変わることがあり、大抵は、とても優しい気持ちになります。

<2011-1-17>
 今日、マクドナルドで学んだこと。
 「混んでいるからといって、並ばなければ手に入らない」
 当たり前のことでも、こうやって文章にすると、格言みたいに聞こえるから不思議。

<2011-1-15>
 テレビでやっていた、Eaglesの番組があまりにも良かったので、3月に東京ドームで開催されるライブのチケットを買ってしまいました。
 去年、オザケンのライブを観たとき、もうこれ以上のライブを観ることは一生ないだろうと思っていましたが、1年も経たないうちにそれ以上を観られそうです。
 今でも、新しいアーティストを好きになることはありますが、若かった頃、のめりこむように聴いていた聴き方とは違います。今から大学に入学したところで、二十歳に戻れるわけではないのと同じで、心がやわらかかった頃のような聴き方は、もう二度とできないのでしょう。
 そう考えると、僕にとってEaglesは、観られる可能性のある、最後の大物かもしれません。
 現実のことは忘れて、非日常を楽しんできたいと思っています。

<2011-1-13>
 ファーストガンダムに、リンゴを買った連邦軍の兵士が、代金を払わないシーンがでてきます。
 お金を払ってくれるように懇願するリンゴ売りのおばさんに対し、兵士はお金を地面に投げます。
 お金を拾おうとするおばさん。
 するとアムロが叫びます。
 「やめろおばさん。拾っちゃ駄目だ!兵隊に拾ってもらうんだ!」
 その後、アムロは兵士にボコボコに殴られてしまうのですが、僕はこの、「拾っちゃ駄目だ!」というアムロの考え方は、結果はどうであれ、正しいと思いますし、例え痛い目にあっても、ここに踏みとどまれるかどうかで、人生が大きく変わってしまうような気がしています。
 目先のお金を拾うことは簡単ですが、それをしてしまっては、もう、後戻りができなくなってしまうのです。

<2011-1-7>
 「どこでもドア」はストレートな道具です。あったら欲しいなぁと思います。
 同じく、「タイムマシン」も「スモールライト」も、テクノロジーが進化した暁に人類が作ろうとするであろうことは、容易に想像できます。
 しかし、「ほんやくコンニャク」開発の経緯は、我々現代人の想像力を超えています。
 なぜ未来人は、語呂合わせの為だけに、わざわざ翻訳機をコンニャクにしてしまったのでしょうか?
 企画段階で「No!」と言える上司はいなかったのでしょうか?
 それともすべては、欲しい物は何でも手に入れてしまった後の、未来人のワルノリに過ぎないのでしょうか?
 「宝の地図探し機」はレーゾンデートルを見失っていますし、「魂いぶり出し機」にいたっては、怖すぎです。
 「売れるものなら、どんなものでも売る。それを支える、欲望……」
 浜田省吾の歌を、ふと、思い出しました。
 

<2011-1-5>
 「まったり」とか「ほっこり」という言葉が、何故か好きになれません。
 きっと、これらの言葉を好んで使う人たちに、偽善的な押し付けがましさを感じるからだと思います。
 こちらはこちらで、勝手にゆっくりしたり、癒されたりしていますから、どうかそっとしておいてください。

<2011-1-2>
 僕はお風呂に入ると、湯船からなかなか出ることができません。
 いろんな事をぼんやり考えていると、すぐに時間がたってしまうし、はやく出なくちゃって思うのだけれど、あと5分、あと5分と思っているうちに、気がつくと1時間くらいたっていることもあります。
 今日は、「過去の自分の人生の中で、ひとつだけ、あったことをなかったことにできるとしたら、何をなかったことにするか?」を考えていたら、全然答が出なくて、ずっと考えてしまいました。
 以前は、ひとつのことがなければ、それに関連することが全部なくなるわけだから、人生が全然変わってしまうと考えていましたが、改めて考えてみると、ひとつのことがなかったところで、結局は今の自分なのではないか、と思いました。
 どこまでいっても、そこには自分がいて、その自分を通して世界と接しているのですから、何が起こっても、起こらなくても、自然と同じところに流れ着くのかもしれません。
 お正月は時間があるので、反省ばかりしてしまいます。

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