ひとりごと
2010年 9〜12月
<< ひとりごと目次
<2010-12-31>
「コナン」と言えば、「未来少年」である。 → Yes / No
<2010-12-28>
35歳を過ぎた頃から、「あぁ、人生がもう半分終わってしまったんだなぁ」って思うようになりました。
もっと若かった頃は、上手く行かないことがあっても、手に入らないものがあっても、そういうのは時間が解決してくれるものと、純粋に信じていました。
人生は、いくらでもやり直しがきくものだと思っていました。
しかしここ数年、このままずっと上手く行かないのではないか、一生手に入らないのではないか、そして、もうやり直しはきかないのではないかと感じることが多くなりました。
こういうことを書くと、後ろ向きだと感じる方もいらっしゃるかもしれませんし、「人生に、遅い、などというものはない」という考え方は僕も大好きで、何歳になっても、新しくチャンレンジすることはできると思っています。
ただ、それとは別に、どうしようもなく失ってしまったものや、どうしようもなく得られなかったものに対し、どうやって折り合いをつけていくのか真剣に考えることは、幸せに老いていくために必要なことだと思っています。
だからこそ、一日一日を大切に生きましょう……、などという、白々しいことを書く気にはなれません。
誰もが、生まれたての魚みたいに、ピチピチと生きていけるわけではないからです。
今、マロンがウニャウニャ言いながら僕の近くにやって来て、こちらをずっと見つめています。
マロンを観ていて思うのですが、猫は人間よりもずっと、生きる意味を知っていると思います。
そしてそれが何なのか、一生懸命、伝えようとしているのに、僕は馬鹿なので、全然読み取れないのです。
一日でもいいから猫語を話せたら、何を言っているのか解るのに。
そして、生きている意味が解るのに。
マロンをぎゅっと抱きしめていると、許されている気がして、もう少しこのまま生きてみようって思います。
<2010-12-27>
映画「ノルウェイの森」を観てきました。
原作を知っていただけに、映画を観ながら、いつの間にか「答え合わせ」をしている自分がいて、ひとつの映画として素直に見ることができませんでした。
実写版ヤマトでも同じ事を感じたのですが、出演者全員が、どうにかこの作品を映画として成立させようと必死に努力した結果、努力もむなしく、ついには映画として成立しなかった……、そんな作品だと思います。ここまで俳優や女優を大根に見せてしまうのは、やはり脚本が悪いのでしょう。
レイコさんはしわくちゃな人じゃないと感じが出ないし、ハツミさんは美人過ぎるし、直子は全然イメージ違うし、緑は演じきれてないし、突撃隊を出すならもっとしっかりと出して欲しかったし、あのマンションはなんか違うし、結局はワタナベ君の白いパンツばかりが印象に残った映画でした。
あ、でも永沢さんは良かったです。
映画を観ていると、永沢さんの事を「どうしようもない俗物」と言ったワタナベ君の方が、何倍もどうしようもない俗物に観えてしまうから不思議。
村上春樹はこの映画を観て、「やれやれ」って思っているのかな。
<2010-12-26>
女性が滅多に使わない単語。「改造」
男性が滅多に使わない単語。「ナツメグ」
<2010-12-23>
逃げ出せない状況でふりかかる矛盾は、人を依存させるなぁと、改めて思う、年末の夜です。
<2010-12-18>
以前、ダイエットでセッションにいらした方から、嬉しいメールをいただきました。掲載の許可をいただきましたので、ご紹介いたします。
---
催眠療法から1カ月が経ちましたが、順調に体重が減っています。
今のところ5kgほど減りました。
朝食は普通に食べるようになり、昼食はカロリーコントロールされたお弁当を宅配してもらっています。
夜は、一食置き換えのダイエットプロティンを飲んでいます。
週に5日は通っていた水中ウォーキングは仕事が休みの日と体が疲れていない日に行っています。
まだまだ頑張ります!
不思議なことに催眠療法をしていただいてから心がとても穏やかになった気がしています。
仕事も嫌で嫌で仕方なったのですが、今は・・・そんなに嫌ではなくなりました。
何よりも朝食を採るようになってからは、体の疲れが出なくなりました。
ダイエット中ですが、イライラしたりすることもなく暴飲暴食もありません。
曖昧なダイエットをしていたのは、ダイエットを終わりにすると太ってしまうという気持ちがあったからだと思います。
変にダイエットばかりしていたので、これくらいなら・・という変な自信があったのだと思います。
どうしても見かえしてやりたい人がいるので、それを目標に頑張ります。
ゆっくりと確実に痩せたいと思います。
催眠療法で色んな事が変わった気がします。
ありがとうございました。
---
<2010-12-16>
もし、この世の中に魔法があるのなら、僕は「すぐに効く魔法」なんて信じません。
本物の魔法は、時間がかかるものなのです。
<2010-12-15>
実写版ヤマトを観てきました。
改めて、黒木メイサは時代が生んだ泡なんだなぁと思いました。
<2010-12-12>
誰もがナンバーワンになる必要がないのと同じように、誰もがオンリーワンになる必要もないなぁと思います。
独創的なことが、何か良いことのように語られることもありますが、村上春樹が言っているように、世の中には独創的じゃないことが必要とされる場合がいっぱいあるし、むしろそういう場合の方がずっと多いのです。
少し変わっていたり、他人ができないことができたり、特別だったりすることは、愛される理由にはなるかもしれないけれど、そういうのはどこか、条件付な気がする。
「自分は一体何者なのか?」というのを背負って人は生きていきますが、そんな肩の荷物をおろせたら随分と楽になれるし、そんな人が、僕は好きです。
<2010-12-11>
確か、「ダンス・ダンス・ダンス」に、主人公の「僕」が、ホテルのロビーでユミヨシさんを見つめながら、「Knowing
she would.」と思うシーンが出てきますね。
明日は、「ノルウェイの森」の読書会へ行ってきます。
<2010-12-1>
「素敵」という言葉は、響きがとっても素敵だと思います。
「汚泥」という言葉は、響きが汚いです。
「たっぷり」はとってもたっぷりな感じがしますし、「ふわふわ」はとってもふわふわした感じがします。
言葉というのは記号ですから、素敵なものを表す言葉が「オデイ」でも良かったはずですし、汚泥を表す言葉が「ステキ」でも良かったはずですが、実際には、偶然なのか、それとも慣れなのか、語感と言葉の意味って、すごくマッチしていると思う。
だって、やっぱり「その帽子、とってもオデイ!」って言われたら、何だか嫌だもの。
大抵の言葉は語感と意味が合っているけれど、もちろん、そうではない組み合わせもときどきあります。
例えば英語ですが、[harm] という言葉は、あんまり害がある感じがしません。むしろ、優しい感じがする。
こういうのはことわざにもあって、「焼け石に水」というのは、すごく効果的な感じがしてしまいます。
皆さん、焼けた石に水をかけたことありますか?
すごい音がして、水蒸気がぶわっと広がって、見た目にはめちゃくちゃ温度が下がっている感じがするんですよ。
どうでもいいけど、「ベランダ」って変な言葉です。
何度も繰り返すと、とても変な気持ちになります。
15回目くらいで、窓の外についている「アレ」のことを意味するのかどうか、自信が持てなくなります。
これはただのゲシュタルト崩壊ではありません。
「ベ・ランダ」なのか、それとも「ベラン・ダ」なのか、そんなことまで考えてしまいます。
やっぱり、「ベ・ランダ」かな。
<< ひとりごと目次
<2010-11-19>
「完全熟睡マニュアル」の中国語版が、台湾で発売されることが決まりました。
執筆当時は、外国の方が読んでくださることなど考えてもみなかったので、オファーを受けたときはびっくりしました。
根拠はないのだけれど、日本よりも売れてしまうのではないかと期待しています。
<2010-11-13>
目からレーザー光線が出たら、楽しいだろうな♪
日常生活では全く役には立たないだろうけど。
<2010-11-12>
「あげる」と「くれる」の違いを外国人に説明するのはかなり面倒な作業です。
そんなルールに従って使い分けていたなんて、自分でも気がつきませんでした。
<< ひとりごと目次
<2010-10-29>
キャンドル・ジュン……。
とても破壊力のある名前です。
<2010-10-28>
完璧な人間などひとりもいませんから、矛盾していることはなんら悪いことではないと思います。
その矛盾を、気づいたときに認められないことこそ問題です。
<2010-10-17>
心霊写真や心霊現象を怖がる人と、怖がらない人がいます。
怖がらない人はどういう人かというと、まずは超常現象を信じない人です。すべてが合理的に解釈できるという立場で物事を考えますので、例えその場では超常現象に見えても、何かトリックがあるし、厳密に調査すれば科学的にその現象を証明できるはずだと考えます。次に、心霊現象を完全に信じている人も怖がりません。霊はいると思っているのですから、それが見えても「当たり前」なのです。
それでは、どんな人が怖がるかというと、完全に信じてもいないし、完全に否定もできない、中途半端な、煮え切らない人だと思います。
「すべてを疑うか、すべてを信ずるかは、二つとも都合のよい解決法である、どちらでも我々は反省しないですむからである」という言葉がありますが、信念を持っている人は、都合が良いので強いのでしょう。
僕は今では、かなり都合の良い人間になってしまいましたが、それでも、反省しながら進んでいきたいと思っています。
<2010-10-14>
いつか、「ユリイカ!」って叫ぶ日が来るといいなと、ずっと思っています。
<2010-10-11>
海外ドラマを見ていると、向こうの人は、隠していたことがばれたときや、約束を破ってしまったときなど、[ I can explain! ] と言いますね。
「誤解しているようだけれど、これはちゃんと説明できるんだ」ということだと思いますが、日本人はそんなとき、向こうの人ほど、「これには訳があるんです」とは言わない気がします。
誤解を解くよりも、謝るか、開き直るかのどちらかを選ぶように思う。
日本人は、潔さや、言い訳をしないことを美徳としているからでしょうか。それとも、話し合って分かり合うと言う文化が育っていないからでしょうか。
どちらがいいという訳ではありませんが、[ I can explain! ] というセリフを聞くたびに、往生際の悪さを感じます。
そして、周りの人が何かにつけ、[ I'm sorry. ] ではなく、[ I can explain! ] と言い出したら、鬱陶しいだろうなぁと思います。
<2010-10-9>
平凡なのが一番だと思います。
心がワクワクするような幸せがいいに決まっていると昔は思っていましたが、幸せって、コントラストの中にしか見つからないんですよね。
幸せがずっと続いたら、だんだんとその感覚が麻痺していくし、良いことがあるということは、それがなくなったとき、反動で平凡さえも虚しくなることだと思う。
いま持っている人は、それを失くしたとき、初めから持っていない人よりも苦しみますし、いま持っていない人は、一生持てないのではないかと不安になったり、諦めたりしながら生きていきます。一見、前者の方が幸せに見えるけれど、例え持っていないまま一生を終えたとしても、失くしたときの激しい苦しみがない分、どちらも大して変わらないのではないかなぁ、と。
だったら僕は、心を乱されないで、平凡に生きていきたい。
平凡な日々の中にある、当たり前の幸せを味わえたらって思います。
<2010-10-3>
マロンは長毛のせいか、ブラッシングが大好きです。
毎回、ごっそり取れるので、やりがいがあります。
最後の方で、ぐるっと反対を向いていますが、これは、「こっち側もやってくれ」ということらしい。
聞こえるかわかりませんが、一応、ゴロゴロ言っています。
寺田寅彦は、「私は猫に対して感ずるような純粋なあたたかい愛情を人間に対していだくことのできないのを残念に思う。
そういう事が可能になるためには私は人間よりも一段高い存在になる必要があるかもしれない」と言っていますが、ブラッシングをしているときはまさに、「純粋なあたたかい愛情」を、僕はマロンに対して抱いている気がします。
<2010-10-3>
「やらないで後悔するより、やって後悔する方がいい」と言う人がいますが、あれ、嘘だと思う。後になって、「あぁ、やらなければ良かった」って思うより、「あぁ、やっておけば良かった」と思う方が、辛くないもの。
「考えずに動け」と言う人もいますが、そんなことを続けたら、いつか考えられない人間になってしまいます。
「やってから後悔しろ」、「考えずに動け」と言うのは、洗脳の匂いがして、僕は嫌いです。何だか自己啓発セミナーみたいで。
カイさんの言っている通り、「臆病なくらいがちょうどいい」と思っています。
<2010-10-2>
つつじヶ丘の駅前に、オオゼキというスーパーがあって、その前の道にはいつも、自転車がずらーっと並んでいます。
ちょうどその前を歩いていたとき、無理に自転車をとめようとしたおばさんが隣の自転車を倒してしまい、自転車は将棋倒しのように次々に倒れていきました。
僕はとっさに倒れていく一番端の自転車を受け止めて、それ以上倒れないように支えたのですが、台数が結構あったので、そのまま身動きがとれなくなりました。力を抜けば更に自転車が倒れてしまうし、立て直すには重過ぎます。
自転車を倒したおばさんの方を見ると、オロオロするばかりで、倒れた自転車を一台ずつ立て直そうという気配がありません。おばさん、あなたが動かないと、僕はこのまま動けないのですよ、という気持ちでいると、どこからともなく、3、4人の男性が現れて、手際よく、自転車を直し始めました。
最初はオオゼキの店員かと思ったのですが、そうではなく、皆さん、通行人のようです。
僕は、「逆襲のシャア」のクライマックスで、アクシズを支えているアムロのような気持ちになりました。
こういった、何気ない人の優しさに触れると、日本は素敵な国なんだなぁって思います。
<< ひとりごと目次
<2010-9-29>
人生初カーナビを買いました。
カーナビ購入は、車を買い換えたときに一度検討したことがあります。
当時は、HDDナビが出始めで、ナビよりも、音楽を保存しておいて自由に聴けるようになることが魅力でした。
しかし、価格が30万円近くしたので、さすがに手が出ませんでした。
MP3プレーヤーを購入してからは、車ではCDだけでなく、MP3プレーヤー+FMトランスミッタで音楽を聴くようにもなりましたし、ナビ自体は、1年に2、3度、「ナビがあれば。。。。」と思うことがある程度だったので、ここまで、カーナビの必要性はそれほど感じませんでした。
ただ、不便を感じることがあるのも事実でした。
音楽を聴くとき、毎回シガープラグから伸びている電源をMP3プレーヤーに接続し、ヘッドフォン端子にFMトランスミッタを接続し、電源を入れなければなりません。また、エンジンを切っても内蔵の電池で動き続けるので、手動で電源を切る必要もあります。
知らないところへ出かけるときには、事前に googleマップ
で行き先を調べ、地図を印刷することで、大抵は問題なく目的地につけるのですが、曲がるところを一度間違えてしまうと、迷ってしまいます。また、予定外のところへ行くことになったときにも困ってしまいます。
やはり、ナビがあるに越したことはありません。
今乗っている車は8年目ですので、今から据付型のナビをつけるのはタイミングが悪い気もしますし、かといってポータブルナビは画面も小さく、役に立たないイメージがあり、ナビをどうするかは、ここ数年、ずっと悩んでいました。
今回、思い立ってナビについて調べてみると、ナビも随分と安くなっており、さらにポータブルナビの性能も、据付型に迫るものがあることを知りました。
ナビを買う上で、いくつかの条件がありました。
・FMトランスミッタがついていること。
(僕の車には外部入力がありませんし、音楽をナビ本体の貧弱なスピーカーでは聴きたくないので、これは必要です)
・エンジンのオンオフに、電源が連動すること。
(電源くらい、自分で入れればいいと初めは思っていたのですが、これが意外と面倒なのです。連動すれば、カーステレオ感覚で使えます)
・音楽のレジューム再生が可能なこと。
(いまどき、レジュームが効かない機種があるのかは判りませんが、僕はパソコンで録音したラジオ番組を聴くことが多いので、レジュームが効かないと、いちいち聴いた所まで頭だしをしなければなりません)
・ナビを使いながら音楽が聴けること。
(ポータブルナビには、これができない機種が少なからずあるようです)
・画面が7インチ以上で、解像度が高いこと。
(ポータブルナビは、4.3インチのものが多いのですが、これだと小さいです。また、7インチの製品でも、4.3インチと変わらないものがあります)
・地図データが4GB以上。
(2GBの地図が載っているナビもありますが、最低4GBは欲しいです。これは、ナビを使ったことがないので、根拠のない希望です)
・SDカードが使えること。そして地図データが、SDカードではなく、本体のメモリに内蔵されていること。
(SDカードを大容量のものにできれば、データをたくさん入れられます)
・出来れば、動画再生や、ワンセグがついていること。
(車の中で動画やテレビは観ませんが、せっかくのポータブルナビですから、メディアプレーヤー的に、持ち運んで使えればと思いました)
これら、すべての条件を満たす製品がないかと探したところ、唯一、MANDO
JM-HT700NE というポータブルナビが、条件に適うことがわかりました。お値段も3万円台で、以前から比べれば激安です。
早速、16GB の SDHCカードと一緒に購入し、車に取り付けてみました。
配線は、シガープラグから電源を取るだけ。ワンセグのアンテナも、GPSアンテナも内蔵です。
スタンドは、吸盤式ではなく、接着式だったのですが、ちょうどカーステレオの隙間にスタンドの脚を差し込むことができましたので、接着シートは使わず、100円ショップで購入した耐震ジェルで固定しました。
一週間ほど使ってみましたが、とにかく便利です!
音楽を聴くという目的の方が大きかったのですが、もういちいちコードをつなげたり、CDを入れ替えたりしなくても、持っている音源がすべてナビの中に入っているというのは、すごい進歩です。MP3プレーヤーでも多くの音源を入れておくことができましたが、ナビの大きな画面に曲名リストやフォルダリストを表示できて、画面に触れるだけでそれを選択できるので、操作も格段に楽になりました。
ワンセグは期待していませんでしたが、自宅でもちゃんと映りました。車の中でも、見通しのよい広い道ならば、内蔵アンテナだけで映ります。スカイツリーから電波が出るようになれば、もっと安定するのではないかと思います。
肝心のナビですが、とても便利に使えています。
知っている場所も、ナビを使ってどんな道を案内してくれるのか試していますが、「こんな近道があったんだ!」という発見が結構あり、面白いです。
また、「周辺検索」ができるので、今いる場所の近くにあるレストランとか、コンビニなどを、簡単に探すことができます。
地図上にお店のロゴが表示されるので、事前にこの先にどんなお店があるのか知ることができ、「そろそろどこかでお昼にしよう」というときにも役立ちそうです。今までは、看板をみつけて「どうしようかな、ここにしようか、それとも、先にいくと他のお店もあるのかな」などと考えているうちに通り過ぎてしまうことがあったので、知らない所を走るときには、これは便利だと思いました。
バッテリーでも2時間くらいは動くみたいなので、電車で出かけるときも、これがあれば迷わないですみそうですし、暇つぶしにもなりそうです。
DVDレコーダーを初めて買ったとき、あまりの便利さに、もうビデオデッキには戻れないと思いましたが、そのときと似た感覚を感じています。
MANDO
というメーカーは聞いたことがなかったので、使ってみるまでは不安でしたが、3万円台のナビでここまで使えるなんて、コストパフォーマンスが高すぎだと思いました。
カーナビをご検討中の方がいらっしゃいましたら、是非、JM-HT700NE
も調べてみてくださいね。
<2010-9-24>
先日、近所の電気屋さんで3Dテレビを観てきました。
メガネをのぞくと、当たり前ですが、本当に立体でした。
ただ、それで迫力があるかと言えば、まったく逆で、大画面テレビのはずなのに、映像の世界がおもちゃみたいに、小さく感じました。
同じ大きさの普通のテレビは、大迫力なのに、どうして3Dだと小さく感じるのだろう?
しばらく意味が解らなかったのですが、何度も観ているうちに、理屈が解りました。
おそらく僕の脳は、2Dの画像は「ニセモノ」として観ているのに対し、3Dの画像は「ホンモノ」と勘違いしているのでしょう。
1mのAさんの写真があったら、「大きい写真だなぁ」と思うと思いますが、1mのAさんが目の前に現れたら、「Aさん、どうして小さくなっちゃったの?」と思うと思います。どうも、それと同じことが3Dテレビではおこっている気がする。
ですから、違和感をなくすには、原寸大以上のサイズにしないとダメなのかもしれません。
僕は学生の頃、野球が大好きで、テレビ中継のない日は、ラジオにかじりついて試合終了まで聞いていました。
ラジオで聞く野球は、大部分を自分の脳で補完しなければなりませんので、逆にものすごくリアルでした。
僕はスタンドで、マウンドで、そしてバッターボックスで試合を感じていました。雨が降れば雨を感じ、風が吹けば風を感じました。
途中までラジオで聞いていた試合の続きをテレビで観ると、何とも味気ない感じがしました。
テレビを観るより、ラジオで聞く方が、より想像力を必要とし、その分、空想の世界に没頭することができたのだと思います。
映像が見える(情報が増える)ということは、想像力を使わずにすむということですから、楽ですが、そこにある以上の感動はないわけです。
3Dテレビも、ラジオからテレビほどの変化ではないにしても、情報が増えることで、一層、脳で補完する必要がなくなるのだと思います。
昨年、ベランダに地デジのアンテナを設置したまでは良かったのですが、それに安心して、未だに僕はブラウン管のアナログテレビを使っています。
3Dは流行らない、という専門家もいますが、僕はせっかくなので、3Dテレビに買い換えようと思う。
ついでに3Dで録画できるビデオカメラも買って、我が家の猫を撮りたいと思っています。
まぁ、わざわざテレビで立体の猫を観なくても、隣に立体の猫がいるわけですが……。
<< ひとりごと目次
<< HOME エッセイ
ご予約
>>
Copyright © Naoya Sakurai.
All Rights Reserved.