ひとりごと
2008年 5〜8月

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<2008-8-31>
 昔から、「○○に似てるね」と言われることがあります。
 今、思い出せるだけざっと書いてみると、エスパー伊藤、爆笑問題田中、お天気の森田さん、山口良一、藤井隆、鈴井貴之、石橋保、真田広之、等々。
 「似てる」と言われると、僕の中の何がそう言わせているのか、とても不思議に思います。自分でも「似ている」と思うことはほとんどないからです。
 それでも、真田広之と言われたときはかなり嬉しかったし、エスパー伊藤と言われたときはかなりショックでした。
 ちなみに、真田広之といわれたのは15年位前で、エスパー伊藤と言われたのは1年位前ですので、今は圧倒的にエスパー似なのでしょう。
 大きいバックでも買って、中に入る練習でもしようかな。(^^;

<2008-8-29>
 昨夜はすごい雨でしたが、今はもう、セミが鳴いています。
 雨が降っているとき、セミはどこにいるんでしょう?
 セミぐらい大きくなると、葉っぱの裏に隠れるとかも難しいだろうし、昨日みたいな豪雨だと、雨を防げる場所なんて容易には見つからないと思うんですよね。
 意外に雨なんてへっちゃらで、どこかにしがみつきながら、ひたすら雨がやむのを待っているのかな?

<2008-8-28>
 昔から、ギルバート・オサリバンの「Alone Again」という曲が大好きでした。
 でもこの曲は、ビートルズみたいに、歌詞がスーッと入ってくることはなくて、発音も聞き取りにくく、内容を理解するのは諦めていました。それでずっと歌詞の内容は知らないまま、音楽だけを聴いて、「いい歌だなぁ」と思っていたんです。
 先日、Youtube で彼が歌っている映像を観て、感動して歌詞も検索し、ここここを発見しました。
 正直、ここまでシリアスな歌だとは思っていなかったので、意外でした。曲調から、もっと都会的な空虚感みたいなものを歌っているのかと思っていましたが、何というか、真正面からぶつかって、何も救いがないような歌ですね。でもその正直さが、この曲の魅力なのかもしれません。
 この雰囲気、何かに似てるなぁと思ったら、ビートルズの「Eleanor Rigby」ですね。
 "What do we do?"  という問いは、"All the lonely people where do they all belong?" という問いに繋がると思いました。 

<2008-8-27>
 「くれた」という考え方をすると、少しだけ人生が楽になるかも、と思います。

 来た → 来てくれた
 怒った → 怒ってくれた
 会った → 会ってくれた
 食べた → 食べてくれた
 話した → 話してくれた
 
 もちろん、何でもかんでもは無理です。 殴った → 殴ってくれた くらいは言葉の響き的にはギリギリセーフですが、 裏切った → 裏切ってくれた とかは理屈が破綻していますね。
 「くれた」をつけるだけで、何だか相手の行動が自分のためみたいに思えてくるし、逆に誰かが自分の行動に「くれた」をつけてくれると、感謝されている気になります。  

<2008-8-26>
 昨日の続きです。
 この話題、あまり需要がないかもしれませんが、記録に残す意味でも思いついたら書いていこうと思います。
 さて、今日心に響いた心地よい単語は、

 「トリスタンとイゾルデ」 と 「エポキシ樹脂」

です。
 だんだん、自分のツボが解ってきました。
 どうも僕は、クラシック音楽と化学製品に弱いみたいです。

<2008-8-25>
 単語って、意味を表せばそれで良いという物ではないと思います。
 意味が通じれば良いだけならば、それこそ、人類はとっくに二進数で会話をするようになっていたのかもしれない。
 でも、実際には単語には響きがあって、その意味に関わらず、心地よい響き、きれいな響きの単語もあれば、逆にあまりきれいに響かない単語もある。
 僕は心地の良い響きの単語に出逢うと、つい、声に出して言ってしまいます。
 場合によっては、一日何度も、その単語を呟いてしまったりもします。
 最近、心地よさに気がついた単語が二つあって、

 「ベルガマスク組曲」 と 「高濃度茶カテキン」

です。
 どうも僕が心地よさを感じるのは、カタカナと漢字で構成されている単語に多いような気がします。
 他にも心地よい単語を発見された方がいらっしゃいましたら、是非、教え下さいね。(^^)

<2008-8-24>
 結局ファーストガンダムの中で、ホワイトベースを一番苦しめたのは、シャア・アズナブルでもガルマ・ザビでもランバ・ラルでもなく、ハモンさんの小部隊だったんですね。

<2008-8-23>
 漢字って、とっても深いときがありますね。
 例えば、「人の為」と書いて「偽」だったり、「信者」と書いて、「儲かる」だったり。
 先日、ふと、「毒」という漢字を見たとき、「お? もしかして、『主に母』と書いて『毒』なのかも!」と気がつき、ひとり、「わ、漢字すげー」と興奮してしまいました。嫁姑問題とかを想像しながら、毒なことって、結局は母が原因なのかも、と勝手な妄想を膨らませていました。
 それで改めて調べてみたのですが、毒は、「生(くさの芽生え)+母(子を産む)の会意兼形声文字で、もとは生殖強精剤として調合された薬草のこと。刺激が強く,常用すると害を及ぼしたことから毒物の意を生じた」という成り立ちだそうです。
 「主に母」説は間違いでした。
 全国のお母様方、変な誤解をしてごめんなさい。(^^;;

<2008-8-19>
 今日、3年ぶりに、プールで泳ぎました。
 近所のコミュニティーセンターにプールがあり、利用したことはなかったので、初めて行ってみました。
 25mの小さなプールで、子供と付き添いの親と老人ばかり。
 プールの半分は子供用、1コースは老人が歩く用、2コースは25mを泳ぎたい人用になっているのですが、25mのコースはほとんど人がいなくて、貸切みたいな感じだったので、ひたすら往復し、1km泳ぎました。
 疲れたけれど、気持ちよかったです。

<2008-8-15>
 まだ今年は終わっていませんが、元旦に予言した通り、元猿岩石の有吉がプチブレーク中です。
 有名人の人生って、些細な出来事が原因で決まってしまうことがありますが、有吉の場合は、アメトーークで品川に「おしゃべりクソ野郎」とあだ名をつけたことが、ブレークのきっかけになったのではないかと思います。

<2008-8-11>
 一昨日、魔法瓶について書きましたが、2004年4月に全く同じことを書いていますね。
 すでに僕は、頭の中の思考を全部ここに書いてしまったのかもしれない。
 さっき、レベッカ「プライベートヒロイン」に出てくる「彼女の髪はブルネット、ふーん、確かに綺麗だけど、それがどうしたって言うのよ!」という歌詞について書こうとしたのですが、こちらも既に、2003年11月に書いてました。
 きっと他にも、気がつかないだけで、同じことを何度も何度も書いているんだろうな。 

<2008-8-10>
 以前にも紹介しました、松任谷由実の「よそゆき顔で」という曲に、「私は明日から変わるんだから」というフレーズがあります。
 うまく行かないことが続くと、頭の中にこの曲が思い出されることがあり、そうだ、明日から変わってみよう、と心に決めます。
 ただ何となく、ではなくて、はっきりと意思を持って何かを決めることは、とても大切なことだと思います。
 例えば初対面の人と会ったときに、ただ何となく自己紹介をしたのではすぐに名前を忘れてしまいますが、「覚えよう」と意識するだけで、全然結果が違ってきます。
 関係ないけど、「海猿」で環菜ちゃんが出てくるたびに、「カンナ8号線」を思い出します。

<2008-8-9>
 「魔法瓶」という命名の仕方も、どうかと思います。

<2008-8-8>
 ときどき、マクドナルドのソフトクリームを食べます。
 最近発見したのですが、コーンの中までちゃんとソフトクリームを入れてくれる店舗と、コーンの中は入っておらず、コーンの上からソフトクリームを巻いているだけの店舗があります。
 やっぱりコーンの中までしっかり入っていると、ちょっと得した気分になります。(^^)

<2008-8-6>
 以前、石原良純が、「どんなに暑い日でも、雲を見上げて、あそこはマイナス40度なんだと思うと涼しくなる」とテレビで言っていました。
 それ以来、暑いときは空を見上げることにしています。
 夏のモコモコとした雲が僕は大好きで、それを見ながらマイナス40度の雲の中を想像してみると、確かに少しだけ涼しい気持ちになります。

<2008-8-4>
 時代とともに、言葉って変わっていきますよね。
 例えば、「コンサート」→「ライブ」という具合に。
 以前の言い方で通じないわけではないけれど、少し古さを感じる。
 「スパゲティ」→「パスタ」とか、「バーゲン」→「セール」とかもそうかもしれません。
 ちょっと前にも書いた「ビフテキ」→「ステーキ」や、「ピザパイ」→「ピザ」、「ライスカレー」→「カレーライス」なんかもそうですが、これらは、以前の言い方では古いを通り越して、片足を死語の世界に踏み入れている感じがします。
 「活動写真」→「映画」における「活動写真」なんかは、完全に死語ですね。
 この「少し古い」という感覚ですが、「以前の言い方」を自分がしていた時代があるからこそ(もしくは、その意味が解るからこそ)古さを感じられるのであって、例えば今後、「スパゲティ」という言葉を知らない子供たちが出てきたとしたら、彼らには「スパゲティ」=「少し古い言い回し」という感覚はそもそもなくなってしまうのではないかと思うのです。(厳密に言えば、「スパゲティ」は「パスタ」の部分集合なのですから、「スパゲティ」の方が正確な気もしますが、それはまた別の話です)
 というのも、「アベック」→「カップル」という変化は、僕にとっては「カップル」→「アベック」だったからです。
 僕はもともと、恋人たちを表す言葉は、「カップル」だと思っていました。「アベック」という言葉の存在は知りませんでした。僕が「アベック」という言葉を知ったのは中学生の頃で、大江千里が「AVEC」というアルバムを出したのがきっかけです。当時、「AVEC」の意味が解らず、辞書をひいて「男女の二人連れ」のことであることを知りました。
 「AVEC」という言葉の響きもさることながら、それがフランス語であるということ、また、大江千里がアルバムのタイトルにしてしまったことで、中学生の僕はこの「AVEC」が、非常におしゃれな言葉であるように感じました。この言葉が、今は誰も使わないような古い言葉だとは知るよしもありませんでした。むしろ、逆に「カップル」という言い方の方がどこか古臭く、恥ずかしい言い回しのような気がしました。そしてそれ以来、「カップル」という言葉を使うとき、ちょっとだけ恥ずかしささえ感じるようになってしまったのです。
 だから僕は、ときどき「アベック」という言葉を使ってしまって、まわりから「アベックて〜」と突っ込まれても、恥ずかしい素振りをしつつも、心の奥底では全くピンと来ず、やはり自分があっているような、アベックの方がおしゃれなような気がしてしまうのです。

<2008-8-1>
 昔から、おかずに入っているフルーツが許せません。
 酢豚の中のパイナップルとか、ソーメンの中のみかんとか、ポテトサラダの中のリンゴ、生ハムのメロン。
 フルーツの美味しさも楽しめなければ、おかずの味も甘みが邪魔して決して良くなっておらず、奇をてらうことしかできない料理人が勢いだけで入れて、周りが不味いと言えなかったことから始まった、悲しい習慣な気がしてなりません。いや、むしろ呪いと言っても良いかもしれない。
 更に、不味いだけじゃなく、「私、本当はこんなとこにいちゃいけないんだけれど……」みたいな雰囲気がこちらにも伝わってきて、食べながらとても緊張します。
 やっぱりフルーツはフルーツとして食べたいです。
 もうみんなで我慢しないで、「これは違うよ」って言ってもいい頃じゃないかな。

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<2008-7-28>
 先日、狭山丘陵を訪れましたが、そのときは適当にドライブしただけだったので、今回はホームページを調べて、六道山公園へ行ってみました。
 ホームページの雰囲気から、お土産屋さんがあるような、しっかりした観光地をイメージしていて、無料駐車場には車がいっぱいなんじゃないかと心配していたのですが、行ってみると駐車場はガラガラ。近所の子供が遊んでいるばかりで、他に観光客も見当たらず、ちょっと拍子抜け。
 公園はものすごく広くて、とても一日で周れる広さではなさそうなので、今回は展望台まで歩いてみました。
 園内に入った途端、空気がヒヤッとして、ヒグラシの鳴き声や、鳥の鳴き声が聞こえました。もちろん、遊歩道が木陰だから涼しかったというのもありますが、地面が土で、これだけ植物が豊かだと、真夏でも暑くないのだということを、身をもって実感しました。
 東京にいることをすっかり忘れてしまうくらい、ひたすら森、山、そしてマムシに注意の看板。
 のんびり癒されるスポットを見つけた気分です。

<2008-7-26>
 「ビフテキ」って言葉の響き、嫌いじゃないです。

<2008-7-24>
 本当にどうでもいいことですが、ドラえもんに出てくるしずかちゃんは、源氏の末裔だそうです。

<2008-7-20>
 近日、催眠研究会を定期開催しようと思います。
 催眠のワークショップでもなく、セミナーでもなく、参加者の皆さんと、現在の手法の有効性や、新しい手法の研究をしていけたらと考えています。よって、僕が何かを教える会ではありません。
 2週〜月に一度開催予定。
 参加費は無料ですが、いくつかの条件を作ります。
 当研究会での研究内容を勝手に発表、利用しないこと。毎回参加すること。(開催日は相談の上、決定します) 研究会では、参加者の全員に、誘導する側、される側をしていただきますので、それをご了解いただけること。研究の性質上、極端に被催眠性、被暗示性が低いと研究が進みませんので、事前に面接をさせていただき、簡単な被暗示性のテストをさせていただきます。場合によっては、その段階で参加をお断りする可能性がありますので、それをご理解いただけること。催眠の知識は問いませんが、これを機会に、勉強したい気持ちがある方。また、勉強中の方は、自分の知識を出し惜しみしない方。
 場所は当カウンセリングルームです。(京王線つつじヶ丘下車徒歩2分)
 日時ですが、金曜日の夜か、土曜日になります。1回2時間〜3時間程度。
 年内に、5〜10回程度開催できたらと思っています。
 募集人数は2−4名。
 参加者が集まり次第、開催します。
 内容ですが、例えば、こちらのビデオの1分過ぎからのようなことを実際にやってみて、どのような変化が起こるか、等を予定しています。ラポール形成時の呼吸の調和が与える影響とか、アイアクセシングキューの検証、サブリミナル効果、タイプ別誘導方法、自己啓発セミナーや宗教で利用されているトランスの研究なんかもできたら面白いですね。
 ご興味のある方は、「お問い合わせ」より、ご連絡ください。
 当然、参加者の入れ替わりがあると思いますし、定員を超えても、開催日を増やす等、可能ですので、この書き込みを読んでご興味がある方は、いつでも問い合わせてみてください。(ご期待に添えなかったらごめんなさい)

<2008-7-19>
 テレビでトトロを放送していたので、触発されて、トトロの森と呼ばれている狭山丘陵まで車で行ってみました。
 先週に引き続き、2週連続でドライブです。
 多摩湖を縦断する道路を渡り、狭山湖、野球場、西武園の辺りを巡りました。
 映画に出てきたような自然がこの辺りには色濃く残されており、家からは1時間ほどの距離でしたが、遠くまで夏休みの旅行に来たような、そんな気分になりました。
 特に、多摩湖を縦断する道路は圧巻で、両側に見渡せる湖の景色が素晴らしく、次回は時間をかけて、ゆっくり景色を楽しみたいと思いました。
 ラピュタにも都市伝説がありますが、実はトトロにも、ちょっと怖い都市伝説があります。
 検索すればたくさんヒットしますが、映画が台無しになってしまいますので、ファンの方は読まない方がいいでしょう。
 あと、怖いのが苦手な人も、読まないでくださいね。怖くてトイレに行けなくなったり、数日間憂鬱な気持ちになっても僕も責任がとれませんので。
 僕はこの都市伝説を知り、改めて昨日の放送を観たのですが、その視点で見ると、確かにそう見れないこともなく、もしかしたら本当に、宮崎監督はそういう意図で作ったのではないかという気がしないでもありませんでした。
 というのも、初めてトトロを観たとき(都市伝説のことは知りませんでした)、あのトウモロコシのくだりは僕自身、納得できなかった記憶があり、都市伝説の視点で見た方が、よっぽど説得力があるからです。
 反論として、サンダルのことや影のこと、エンディングの映像のことなどがあげられていますが、そんなことは些細なことだと思います(子供向きの映画として成立させるためには、むしろ当たり前だと思われる)。
 それよりも、あれだけたくさんのヒントが隠されていると(猫バスの行き先とか、メイの発見場所とか、夫婦の会話とか)、むしろそういった意味を読み取って欲しいと宮崎監督が思っていたのではないかとさえ、思います。
 ある事件との関連性も指摘されており、これは少々、こじつけなような気もしますが、僕はこの事件のことを知らなかったので、調べるうち、この事件の不可解さも気になりだしました。これ、トトロの都市伝説どころではない、ミステリーですね。人間って、恐ろしいです。

<2008-7-14>
 「にわか雨」は、「ニワカ・アメ」というよりも、「ニワ・カーメ」という感じがします。

<2008-7-13>
 昨日、思い立って、学生時代に一人暮らしをしていた街に車で行ってみました。
 大学やいつも使っていた和田町の商店街、更には足を伸ばして、よく遊んでいた関内周辺、ランドマークタワーとか、中華街とか、山下公園とか、港の見える丘公園を巡りました。
 横浜を離れてから15年。
 それが長いのか、短いのか判りませんが、当時の知人と昔のように会わなくなった今となっては、失われた時代のようにも感じますし、街はあのときのままで、ついこの前のような気もしました。
 自分だけがどんどん遠くへ押し出されているような、そんな感じもしました。
 一番印象的だったのは、ずっと住んでいたアパートが今も取り壊されずに残っていたこと。
 僕が暮らしていたとき、すでに築30年くらいのボロアパートでした。お風呂もなくて、家賃が3万円ちょっとだったと思います。
 そのアパートは坂の途中にあり、窓からは横浜の町並みや高速道路なんかが見えました。夕暮れにアパートの窓から見る夜景は切なく、当時はクラシックに目覚めた頃だったので、ショパンのノクターンなんかを聴きながら、これから自分はどこへ行くのだろうと、何時間もぐるぐると考えていました。どうしてわざわざそんなことをしていたのか、今では思い出せません。夜景を眺め、クラシックを聴きながら漠然とした気持ちに浸ることが、何かかっこいいことだと勘違いしていたのかもしれません。
 アパートの前から横浜の町並みを見下ろすと、ずっと忘れていた思い出が、あっという間に心に広がりました。
 その記憶は頭の中から出てきたのではなく、その土地に染み付いていたような、そんな気がしました。
 当時より更に色あせたアパートの外壁が、ひとつの時代が完全に終わってしまったことを告げているようでした。

<2008-7-12>
 「ゲド戦記」をテレビで観ました。
 僕は基本、映画は娯楽作品が好きなので、面白かったですが、ちょっと難しかったです。最初のシーンの竜が結局何だったのかも良く判らなかったし。
 ジブリ作品では、やはり「ラピュタ」が最高傑作なんじゃないかな。「もののけ姫」あたりから、見終わった後の爽快感がなくなった気がする。
 ジブリ作品じゃないですが、「トイ・ストーリー」はもっと評価されてもいい、ある意味完成された作品だと思います。

<2008-7-7>
 ジュディ・オングの「魅せられて」。
 幼心に、英語の歌詞を覚えていて、この年になってふと「あれ、もしかしたら、Wind is blowing from the Asia って歌ってたのかも」と気がつきました。
 この曲が流行ったのは、確か僕が小学校低学年の頃で、そのときは英語の知識もなかったので、フィーリングでこの文章が頭の中に入っていたということになります。
 しっかりヒアリングできていたなんて、すごいなぁと我ながら感心していたのですが、今日、この歌詞が間違っていたことが発覚。
 正確には、「Wind is blowing from the Aegean」、つまり、アジアではなく、エーゲ海らしいです。
 うーん、惜しい! 

<2008-7-3>
 知らない、ということは、素晴らしいことだと思います。
 もし、生まれるときに、神様の前で、この人生はどんな人生なのか、どんな苦難や挫折や痛みがあるのかを全て告知され、それでも生まれたいかどうか、自分で選択できるとしたら、もしかしたら半分くらいの人は、生まれることを選ばないのかもしれません。
 だけど、何も知らないからこそ、今日、笑っていられるし、希望を持って生きていけるし、突然の辛い出来事もなんとかやり過ごせるのだと思います。
 聖書の中に、「明日のための心配は無用です。明日のことは明日が心配します。労苦はその日その日に、十分あります」という言葉があります。
 この「明日は明日が心配する」という言い回しは、頓知が利いていて大好きです。

<2008-7-2>
 「理由ある太郎」という番組で、「No1ホストがNo1な理由」というのをやっていました。
 実際にホストが接客する様子をVTRで見ながら、心理学者に解説してもらうというものでした。
 3人のホストがでてきたのですが、男性の僕には、いまいちピンと来ませんでした。
 ただ、二人目のホストが、やたらとNLPっぽいことをしていたのに、心理学者はまったくそれには触れなかったのが、何だか面白かったです。心理学者はNLPなんて眼中にないのかな。
 最初は偶然かとも思いましたが、散りばめたり、アンカー打ったり、選択肢の幻想を使ったり、相手に思い込ませたりと、恐らくこのホストは、石井裕之の本でも読んで、忠実にひとつひとつ、実践しているのでしょう。
 実践的であるか、というのは非常に大切なことだと思います。
 どんなに知識があっても、実践で使わなければ意味がないし、実践で使えなければ意味がありませんね。 

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<2008-6-29>
 テレビでやっていたT2をみて思ったのですが、サラ・コナーは、ヴァンダレイ・シウバに似ていますね。

<2008-6-26>
 最近のDAIGOの露出ぶりはすごいですね。
 全く嫌味がなく、害がなく、人気が出るのは納得という感じです。
 表裏がない感じが、視聴者に安心感を与えるのだと思います。

<2008-6-25>
 ミラーリングというテクニックがあります。
 簡単に言うと、相手と同じ行動をすることで、相手と自分の気持ちが同調していき、警戒感が解け、心が通じやすくなる、というようなテクニックです。
 逆に、誰かと心が同調していくと、自然と行動が同じようになっていくこともあります。
 ミラーリングのポイントは、ミラーリングしていることを相手に悟られないこと、というのが基本のようです。
 自分の真似をされていることを相手が気づくと、相手に不快感を与えてしまうからです。
 それでは、両者が意識的にミラーリングを続けるとどんなことが起こるのでしょうか?
 こちらのビデオの1分過ぎから、そのような実験が行われています。
 これはあくまで、バラエティのショーですから、どこまでが真実か、解りません。
 ただ、無意識的な行動がすべてコミュニケーションの手段だと仮定すれば、それを真似ることで無意識的にそのメッセージを受け取ることもありうるのかもしれないと思いました。

<2008-6-24>
 夜、あまりにも外が爽やかだったので、近所を1時間ばかり散歩しました。
 学生の頃は、お金がなくて、時間ばかりあったので、することと言えば、「昼寝」、「散歩」、そして「日向ぼっこ」でした。
 この3つは、趣味とまでは言えませんが、お金のかからない究極の時間つぶしでした。
 散歩をしていると、近所とはいえ、やはり知らない道を歩いてみたくなり、まだ入ったことのない路地に入ってみては、そこで暮らしている人の生活を感じ、ときどき外国に来たような、すごく一人ぼっちな気持ちになります。
 今日は近くの川沿いを歩き、団地の真ん中の公園を横切って帰ってきました。
 この街に越してきて7年になりますが、まだまだ僕は、この街に馴染んでいない気がします。

<2008-6-22>
 今、日本で一番楽しく生きているのは、森泉なんじゃないかと思います。

<2008-6-21>
 Windowsについてくる、スパイダソリティアは、カードを並び替えるだけの単純なルールですが、それ故、かなりの中毒性があります。
 もうやめよう、とクリアする度に思うのですが、やめることができません。
 カードを動かしながら、自分がスパイダソリティアの奴隷になったような気さえします。

<2008-6-18>
 Youtubeを観ていたら、オフコース「ワインの匂い」のセルフカバーを見つけました。
 オリジナルよりも更に切なく、洗練された感じで、さすが小田さんという感じです。

 ♪ 私はもう 誰も好きになることもない 今は
   ありがとう あなたはいい人 もっと早く会えたら ♪

 この曲に出てくる「ワインの好きなその娘」は、ユーミンのことだという噂が昔流れました。

<2008-6-14>
 子供の頃からしょっちゅう見ているし、今でもブルーベリーの葉にとまっているのを良く見る、黄色い虫がいます。
 あまりにも当たり前のようにいる割には、害虫のような嫌な感じはせず、かといって、トンボとかセミのような季節感があるわけでもなく、子供の時には捕まえて遊びたいという衝動も感じなかったため、ついに今日まで、名前を知りませんでした。
 誰かとこの虫の事を話すことはありませんので、名前を知らなくても困らなかったし、正確な名前を使ったところで、相手がその名前を知っている可能性はかなり低い気がして、調べる気が起きなかったのです。
 ただ、この虫を見るたびに、心のどこかで「なんて名前なんだろう?」という気持ちが一瞬湧き上がるのも事実で、その度に「いつか調べなくちゃ」と、まるで宿題を出されたような気持ちになりました。
 なかなか調べられずにいたのは、どうやって調べればいいのか判らなかったからです。
 口で説明しても伝わらないだろうし、伝わったところで、本当に相手が想像している虫が同じかどうかも判らない。第一、誰がこの虫の名前を知っているのかも判らない。
 人に聞くのも限界がありそうですが、昆虫図鑑をそのために借りて、1ページ1ページ探すのも、何だかそこまでするのも違うんじゃないかという気がする。
 インターネットで探せばいいとも思いましたが、以前、道路脇に咲いていたオレンジ色の花の名前がなんなのかをネットで検索したとき、なかなかヒットせず、その花が「ナガミヒナゲシ」という名前だと判るまでには、結構な時間がかかりましたので、検索する気もなかなか起きませんでした。
 しかし今日、このまま逃げてちゃいけないと思い、とりあえずネットで「黄色い虫 名前」と検索してみました。
 ヒットしたページを順番に呼んでいたら、ある方のブログの中で、すぐに名前を発見することができました。(ナガミヒナゲシのときよりもずっと簡単でした)
 僕が知りたかった黄色い虫の名前は、「ツマグロオオヨコバイ」です。
 歩くときに横に歩くので「横這い」から「ヨコバイ」。
 セミ類に近い昆虫で、学名も「小さなセミ」という意味があるそうです。
 俗称はバナナ虫。
 俗称って言われても、俗称も本当の名前も全くの初耳です。
 ひそかに、知っている名前で「あぁ、これってこの虫のことだったのね」という展開を期待していたのですが、ちょっと期待はずれでした。
 でも、ずっと気になっていたので、すっきりした気分です。
 この虫を見つけたら、「あ、ツマグロオオヨコバイだね」って何気なく言うと、すごく博識に見られそうです。 

<2008-6-14>
 ラズベリーに続いて、ブルーベリーの収穫も始まりました。
 この時期にとれるブルーベリーは、ハイブッシュ系といわれるブルーベリーです。
 ハイブッシュ系は冷涼な地方に向く品種なので、東京での成長はいまいち。よって、ほんのお味見程度の量しか収穫できません。
 収穫のメインは、ラビットアイ系という暑さに強い品種の収穫が始まる7月下旬以降になります。
 写真は、パトリオットという品種です。
 とてもフレッシュな味わいで、美味しかったです。
 先日こちらでご紹介したラズベリーは、日ごとに収穫量が増え、日持ちがしないので無理して食べています。
 ラズベリーにそろそろ飽き始めた頃の収穫で、更に、量も少ないので、何だかブルーベリーはとてもありがたい気持ちになります。

<2008-6-7>
 はじめてマクドナルドのソフトクリームを食べました。
 思っていたよりずっとまともで、美味しかったです。
 あれ、100円で売ってしまって大丈夫なのかな。 

<2008-6-6>
 今年も、ラズベリーの収穫シーズンになりました。
 ラズベリーは、ブルーベリーとは違い、実をつけた翌年には枯れてしまいます。その代わり、毎年春になると、地面から新しい木が生えてきて、それが次の年には収穫できます。
 古い木の整理が多少面倒ですが、それを除けば、ほぼ何もしなくても、毎年飽きるほど収穫が出来ます。
 実際、シーズンの後半は飽きてしまって、実がなっていてもとらずに落ちてしまうこともしばしばです。
 これほど家庭園芸向きの果樹はないのではないかと思います。雑草のような生命力なので、土を選ばず、日当たりがちょっと悪くても、肥料をやらずとも、ちゃんと育ちます。
 木は地下茎で増えるので、気をつけないと、どんどん増えて、藪のようになります。それも面倒と言えば面倒かな。
 ラズベリーをレンジで即席ジャムにして、バニラアイスクリームにかけて食べると、とても美味しいです。

<2008-6-5>
 先日、何故奇跡の話を書いたかと言うと、ふと、旧日本海軍の駆逐艦「雪風」のことを思い出したからです。
 雪風は、ミッドウェー海戦、ガダルカナル島の戦い、マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦、戦艦「大和」の水上特攻等、16回以上の主要な作戦に参加し、ほぼ無傷で終戦を迎えた奇跡の船です。(Wikipedia情報)
 特に終戦間際の大和の水上特攻の際などは、航空機の援護のない中、丸裸同然での出撃にも関わらず、無事だったのです。
 当然、乗組員が優秀だったのでしょうし、艦長も優秀だったのだとは思いますが、歴代の艦長は6人もいましたし、他の同型駆逐艦はいずれも戦没していることから、やはり強運だったのでしょう。
 運って、なんなのでしょうね。
 運が味方についている人は、きっとすごく生きやすいし、運のない人の気持ちなんて解らないのだろうなぁと思います。

<2008-6-2>
 さだまさしが年始の特番で、「全く起きるはずのないことが起こることが奇跡っていうんではないんです。ここで起きるわけないだろうっていうのが起きるのが奇跡っていうんです」と言っていました。
 とてもいい言葉だと思います。
 そういった視点で世の中を見ると、すべては当たり前で、そしてすべては奇跡なのですね。

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<2008-5-31>
 以前録画しておいた「フライド・グリーン・トマト」という映画を観ました。
 1940年代のアメリカ南部を舞台にした、笑いあり、涙あり、サスペンスありのドラマなのですが、最近は「24」以降の、次回が待ち遠しいタイプの海外ドラマばかり観ていたので、とても新鮮な気持ちで観終わりました。
 なんというか、心をえぐられるような、見終わった後に余韻がいつまでも残る感じの作品で、完全に別世界に心が行ってしまいました。
 主人公のイジーという女性が、貨物列車に忍び込み、中にあった食料を線路沿いに住んでいる貧しい人たちにばら撒くシーンがあるのですが、一緒にいたルースはイジーに「何しているの?」と訊ねます。
 「これも施しよ」とイジー。
 「でもあなたの物じゃないじゃない」
 「だから何よ。教会に行く連中って、みんな同じ。お祈りをするだけで何もしないんだから」
 僕はイエスの語った「不正の富で友達を作りなさい」とは、こういうことなのではないかなぁと、映画を観ながら思いました。

<2008-5-28>
 つらい、と、からい、は、両方とも「辛い」と書くんですね。
 普段は意識していなかったけれど、改めて考えると、不思議です。

<2008-5-27>
 目の前に、サイコロがあるのをイメージしてください。
 そのサイコロを右手の人差し指と親指でつまんで下さい。(ちょうど、OKサインのような感じで)
 つまんだら、サイコロを目の前に持って行き、見つめながらできるだけくっきりイメージしてみてください。
 イメージが出来たら、それを机の上に転がします。
 さて、何の目が出たでしょうか?
 ここで一度読むのをやめて、実際にやってみてください。(この後に解説を書きますので、やる前に読まないように)

 これは、島田紳助司会の「テッパンノート」という番組でやっていた心理誘導です。
 実際にゲストがこれをやっていたのですが、半数がさん(答がパッと目に入らないように平仮名にしておきます)の目が出たと答えていました。
 紳助は得意気に、「心理誘導でさんを選ばせた」「もうかかってんねん」と言っていました。
 彼の理論によると、人は悩めば悩むほど、真ん中のものを選ぶ傾向にあるそうです。
 つまり、サイコロをイメージさせてから、実際に振らせるまでに、時間をかけるのがポイントらしい。
 僕はゲストがサイコロを振る前に、多分さんと言わせたいのだろうなぁと思いましたが、紳助とは全く違う理由でそうなると思っていました。
 「え? そんなことまで紳助は意識してやっているの? それ、テレビで言っちゃっていいの?」と、びっくりしたので、解説を聞いて、がっかりというか、ホッとしたというか、ちょっと複雑な気分でした。
 皆さんはどんな結果でしたか? (よろしければ、お問い合わせより、結果を教えてくださいね!)

<2008-5-26>
 吉野屋に張ってあった、「おいしいが元気のもとになる」という松井のポスター。
 見事なダブルバインドです。

<2008-5-25>
 「丸い」や「四角い」という形容詞はあるのに、どうして三角を表す「三角い」という言葉はないのでしょうか?

<2008-5-21>
 テレビで ふかわりょう が、「何故、人は怒ると物を投げるのか?」という話をしていました。
 彼の出した答えは、「人は怒ると、飛びたくなるのではないか。けれども、実際には飛べないので、そのかわりに物を投げるのではないか」というものでした。
 実際に彼は、イライラしたときに、その場でジャンプしてみたそうです。
 すると、不思議と、ふっと気持ちが楽になったそうです。
 僕は、飛ぶ代償行為として物を投げるという説が正しいのかどうかはよく判りませんが、イライラしたときにジャンプをすると気分が良くなる、というのは、あり得る話だと思います。
 特に彼は、自分で仮説を立てているのですから、それがそのまま自己暗示ですし、例えそのような考えがなくても、例えば喧嘩の最中に大きな地震があって、それで喧嘩がどうでもよくなってしまうのと同じように、飛ぶという行為が、自分の中の他の感情を引き出すトリガーになるのかもしれません。
 今度、何かに頭に来たら、その場でジャンプして、気分の変化を観察してみます。

<2008-5-18>
 佐野元春「アンジェリーナ」が名曲なのは、「望みをなくしたポップコーンガール」に尽きます。
 恐らく誰もが、人生で初めて聞いたであろう、「ポップコーンガール」という単語。
 もちろん、ポップコーンもガールも意味も解るけれど、ポップコーンガールとなったところで人々の想像力は爆発します。
 誰もがこの言葉に、プロムナードにたむろしている望みをなくしたポップコーンガールの姿を心に思い描き、そのイメージは一瞬のうちに、心に焼きついてしまったのではないでしょうか。
 そもそも伏線は、「トランジスタラジオでブガルー」の段階で十分張られていた気がします。
 トランジスタラジオでブガルー?
 マジンガーZに出てくる「マジンゴー」という意味不明の造語を耳にしたときと同じようなクエスチョンマークが心に広がります。
 彼はこの手法を得意としており、例えば「ガラスのジェネレーション」には「この街のクレイジー・プリティ・フラミンゴ」そして「この街のクレイジー・ミッドナイト・カンガルー」が登場します。(しかし、あまりにも「つまらない大人にはなりたくない」というメッセージが強烈なため、ポップコーンガールに比べてインパクトは控えめ)
 渡辺美里の「センチメンタルカンガルー」も、もしかしたら佐野イズムなのかもしれません。

<2008-5-17>
 佐野元春「SOMEDAY」が名曲なのは、「傷の手当もせず」という一節から受ける共感が半端ないからなのではないかと思います。
 窓辺にもたれ、夢のひとつひとつを消してゆくのは確かにつらいし、素敵なことは素敵だと無邪気に笑える心は僕も好きですが、やはりそれは、傷の手当をしないという圧倒的リアリティがあればこそ、です。
 「手おくれ」と言われたときに、いつか口笛で答えてやろうと昔から目論んでいるのですが、なかなかそういう状況が訪れません。

<2008-5-13>
 我が家の猫たちですが、同じ猫なのにマロンとゆずは全然性格が違います。
 マロンはボイスレスキャットで、ほとんど鳴きません。鳴くときにも、小さな声で、にゃー、という感じ。
 一方のゆずは、何かにつけ、ピーピー鳴きます。
 面白いのは、トイレの中に入ると、用をたしながらずっとピーピー鳴き続けること。
 ボランティアさんの話では、生後すぐに保護されたときから、ずっとそうらしい。
 また、マロンは水が嫌いで、お風呂場も濡れていると絶対中に入ってきませんが、ゆずは濡れようがおかまいなしで、僕がお風呂に入っているとドアの外から「開けろー!」とピーピー鳴きます。
 開けると勢いよく中に入ってきて、風呂場をウロウロ徘徊します。
 ゆずはまだ、子供だからかもしれませんが、野良猫という感じ。マロンは反対に、血統の猫のような感じがします。

<2008-5-10>
 「ガソリン、300円時代に突入か」というニュース記事を読みました。
 原油が毎日のように最高値を更新している現状ですから、300円はオーバーだとしても、年末までには200円を超えているかもしれません。
 CO2削減が叫ばれて、エコバックを持ち歩いたり、ペットボトルをリサイクルに出したりしている昨今ですが、実はそんな努力をするよりも、全国民が自動車に乗る回数を1割でも減らせば、桁外れに効果があるんですよね。
 ガソリンの値段が高くなるのは苦しいですが、その分、必然的に自動車に乗る回数が減ったり、燃費の良い車が選ばれるようになったり、新エネルギーの研究がさかんになったり、電気代の節約を意識する人が増えるのであれば、長い目で見て良い事なのではないかと思います。
 17世紀、オランダではチューリップの球根が投機の対象となり、ブームが最高潮の時には、球根ひとつが、現在の日本円に換算すると4千万円くらいで取引されていたそうです。
 原油高のニュースを読みながら、1個4千万円の球根を育てる気持ちというのは、どういうものだったのだろうと、そんなことを考えました。

<2008-5-2>
 何回観ても、カリオストロの城はいいですね。
 「奴はとんでもないものを盗んでいきました。あなたの心です」

<2008-5-1>
 今日、京王線に乗っていて、アナウンスを聞いてびっくりしたのですが、5月18日に、国領駅付近において不発弾処理をするため、列車が一部運休になるそうです。
 立体交差工事のため、地下を掘っている際に見つかったそうで、1トン爆弾だそうです。
 1個あるということは、もっとあるんじゃないかという心配もあるし、国領で見つかったのなら、我が家の下にあってもおかしくないわけで、地震とかのショックで爆発したりすることはないのだろうか。
 地下鉄が環八の外側に作られないのは、どこも不発弾だらけでとても掘れたものではないから、という都市伝説がありますが、案外本当なのかもしれませんね。

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