ひとりごと
2008年 1〜4月
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<2008-4-30>
今年も、ナガミヒナゲシの季節になりました。
調べたところ、ヨーロッパが原産だそうです。
僕はこの花が大好き。
アルカリ性を好むということで、コンクリートだらけの都市部の道路と相性がぴったりだったのでしょう。
都市雑草などと呼ばれているようですが、きっとこの花も、栽培が難しければ(つまり、雑草化しなければ)、普通にホームセンターで売られるような花だったと思います。
これだけ増えちゃうと有り難味もないのかな。
僕はこういった、身近に当たり前のようにある自然に心惹かれます。
同じ理由で、雲も好き。
山も川も海も何も見えなくて、ビルだらけだとしても、空を見上げると、雲だけは、自然のまま、手付かずに残っているような気がするのです。
<2008-4-28>
道を歩いていて、行きの道よりも、帰りの道の方がずっと時間が短く感じることがときどきあります。
特に、初めて行く所や、久しぶりに行く所の場合、その傾向が強い気がします。
時間が短く感じるということは、時間の歪曲が起こっているわけで、これはもう、立派な催眠現象ですね。
<2008-4-27>
先日放送された、「アメトーーク エヴァ芸人」を観ました。
エヴァはずっと観ていなかったのだけれど、改めてこうやって紹介されると、また観たいなぁという気持ちになって、新劇場版を観てみました。
テレビシリーズをうまくまとめつつ、テレビシリーズとは違う部分もあって、とても面白かったです。初めての人でもすーっと入っていけるんじゃないかな。
綾波レイの戦闘美少女ぶりが、時を経て、更にパワーアップした気がしました。
<2008-4-24>
久しぶりに NLP Weekly
を開いてみたら、サイトの雰囲気がだいぶ変わっており、昔の記事が見られなくなっていました。どうも、現在、サイトのリニューアル中みたいです。
http://www.nlpweekly.com/
<2008-4-16>
爆笑問題のラジオに、「語れ!音楽論」というコーナーがあるのですが、3月のテーマは、「イントロの格好いい曲」でした。
いろいろな曲が寄せられましたが、僕は「ピアノマン」、そして「ミス・ブランニュー・デイ」かな。
「SOMEDAY」も格好いいですね。
<2008-4-14>
生まれて初めて、忘れ物をしないために、手に文字を書いたときのことを、今でも覚えています。
小学生のとき、先生が、「明日はコンパスを持ってきてください」と言いました。
隣に座っていた友達はそれを聞いて、ボールペンで手に「コンパス」と書いていました。
「何してるの?」とたずねると、「こうやって書いておくと、忘れないですむんだよ」と、彼は少しだけ得意気に言いました。恐らく彼も、最近それを覚えたのでしょう。
僕はときどき忘れ物をしていたので、なるほど、と思い、真似をして手に「コンパス」と書きました。
その夜、僕は手など見なくても、「手に書けば忘れ物をしなくてすむ」というパラダイムシフト(?)が強烈だったため、コンパスのことを覚えていて、忘れないよう、ランドセルに入れました。
翌日、隣の友達はコンパスを忘れていました。
「どうして? 手に書いていたのに」と僕は聞きました。彼の手を見ると、薄く、「コンパス」の文字がまだ残っています。
彼は恥ずかしそうに、「安心して忘れちゃった」と言いました。
僕はそのとき、幼心に、「手段というのは時に、目的を超えてしまうことがある」ということを、漠然と感じたのだと思います。
だから、「○○のために」というのが忘れられて、手段ばかり注目されるのは、あまり好きではないのだと思います。
<2008-4-13>
夢の中に、ピーター・ペトレリが出てきたのですが、彼のかっこ良さは異常ですね。
<2008-4-12>
2002年から使っていた携帯電話が、いよいよ充電してもすぐに電池がなくなってしまうようになり、新しい携帯に買い換えました。
6年で買い換えるのは早いのか、遅いのか良く判りませんが、僕は携帯でメールもネットもしないため、通話が出来れば満足ですので、こういう事がなければずっと買い換えなかったのだろうなぁと思います。
新しい携帯はカメラが以前のものとは比較にならないほど高性能なので、気軽にいろんな写真を撮れればと思っています。
ということで、今日のマロンです。
<2008-4-11>
アクセス解析でみなさんがどのようなキーワードを検索してこのHPにいらしているのかを確認できるのですが、圧倒的に多いのが、エッセイに書いた「ラピュタ都市伝説」と「午後12時」です。
ラピュタについてはさておき、午後12時について多くの人が疑問を感じていることに、ちょっとだけ安心しました。
<2008-4-6>
ずいぶん昔にも同じことを書きましたが、定期的にコーヒー牛乳の魔力にやられます。
僕は食べ物や飲み物で、「○○がないと生きていけない」というのはほとんどないし、コーヒーも特に好きではないのですが、コーヒー牛乳だけは、許されるものならばいつまでも飲んでいたいと思うことがたまにあります。
出来合いのコーヒー牛乳も好きですが、加糖のアイスコーヒーと牛乳を買って、若干多めの牛乳で割ったコーヒー牛乳がたまりません。
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<2008-3-29>
「万能ねぎ」というネーミングは、「サラダ菜」と同じくらい、便宜的で、適当に名づけた感丸出しで、食材に対する愛を感じません。
どの辺が万能なのかも、不明です。
<2008-3-28>
ある討論番組を見ていたら、相手の話を全く聞かず、逆に相手に「あなたは人の話を聞けない人だ!」と憤慨している人が出ていました。
多かれ少なかれ、討論番組では、誰もが自分の言いたいことを言うことしか考えていませんので、どうしても聞き手が不在になりますし、話は平行線のまま、まとまることはありません。また、人間は誰でも、基本的には自分が一番正しいと思っていますから、納得のいく説明を、納得のいく角度で、納得のいくタイミングでされないと、なかなか自分の間違いに気がつきません。(もちろん、僕自身、そういうところがあります)
ただ、それを差し引いて考えても、コミュニケーションの取れない相手というのは存在するのだと、その番組を見ながら思いました。
コミュニケーションは技術ですが、技術ではどうしようもない場合も多々あり、それは誰のせいでもないと思います。
持って生まれた偶然の相性以外、乗り越えることはできないし、乗り越えられないものを、無理をする必要もないのかもしれません。
<2008-3-22>
「ショートショートの広場
(20) 」に、学生の頃に書いて、数年前に投稿したショートショートが掲載されました。
こんな形で自分の作品が活字になるなんて、学生の頃からすれば夢のようです。
いつか、自分の書いた作品が本屋さんにならぶといいなぁと思っています。
<2008-3-20>
なんとなく、なんですけど、「最低」という言葉は、男性よりも圧倒的に女性の方が好んで使う言葉ですね。
「もう、最低!」って感じで。
「一番最低」という二重形容は、嫌いじゃありません。
<2008-3-16>
カウンセリングルームが新しくなったということで、このサイトの名前とロゴも変えてみました。
2002年以来、まったくいじっていないページもいくつかあり、読み返すと、今の考えと違う部分もありますので、それらも少しずつ、書き直していきたいと思っています。
ひとりごとも毎日更新とはいきませんが、4月の半ばころには落ち着けるかな。
新しいカウンセリングルームのキッチンが水漏れで、今週、キッチンごと交換になりました。
面倒だけれど、新しいものに変えてもらえるのは嬉しいです。
悪いこともあるけれど、それがきっかけで良いこともあり、トータルで見ると、ちょっとよい事の方が多い……、そういうのが人生なのかもと、水漏れしたキッチンの板を見ながら思いました。
<2008-3-10>
新カウンセリングルームへの移転、ほぼ終了しました。
今週より、予約受付を再開いたします。
<2008-3-2>
今日は、新しいカウンセリングルームに家具を運び込みました。
ここ数日、ホームセンター巡りばかりしています。
今週中には、形になるかな。
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<2008-2-25>
新しいカウンセリングルームの鍵を受け取ってきました。
先日のセミナーで、セラピスト志望の方が多かったので、勉強会と、セラピスト養成スクールの、ちょうど中間のような集まりを始められたらなぁと、そんなことを考えています。
<2008-2-24>
無事、セミナー終了しました。
1日2回のセミナーはさすがに疲れましたが、アンケートを読ませていただくと、皆さん、楽しんでくださったようで、ホッとしました。
風の強い中、参加してくださった皆さん、本当にありがとうございました。
<2008-2-22>
いよいよ明日、高円寺にて、催眠療法体験セミナーが開催されます。
今回は1日に2回行うため、まだ残席がございますので、当日参加が可能になりました。
お申し込みが間に合わなかった方は、明日の12時もしくは15時までに、直接会場までおこしください。
受付にて、当日参加である旨をお伝え下さい。
皆様にお会いできることを楽しみにしています!
<2008-2-20>
日がのびてきたり、ブルーベリーの花芽が膨らんできたりするのを見ると、春はもうすぐそこという感じがします。
<2008-2-17>
「笑うなよ。兵が見ている」
ガルマ・ザビの持っている空気感、嫌いじゃありません。
<2008-2-16>
今日、山手線に乗っていたら、目の前の座席に4人の老人(全員男性)が並んで座っていました。
右から、凄く怒りっぽそうな顔の老人、ひげをたくわえて仙人のような老人、気の弱そうな老人、めちゃくちゃハンサムな老人、でした。
4人とも黙ったままでしたし、ふと気がついたらその4人が座っていたので、果たして彼らは何かのグループで、一緒にどこかに出かけようとしているのか、それとも全くの他人で、偶然が引き合わせた4人なのかは不明です。
電車内を見渡しても、これだけおじいちゃん率が高いシートは他にありませんでしたので、当たり前のような光景に見えて、僕にとっては奇跡のように見えました。
僕の好きな言葉に、「枯れ木に花咲くに驚くより、生木に花咲くに驚け」という言葉があるのですが、人と人とのめぐり合わせというのは、当たり前のようでいて、全てがあり得ない確率の奇跡なのではないかと思います。
ひとつ何かが違っていれば、出逢うはずのなかった人たちと、こうしてすれ違うのですから。
「当たり前」という感覚って、感じる心を邪魔しますね。
子供にとって一日が長いのは、何もかもが当たり前じゃないからだと思います。
大人になって、全て解った気になって、日常にただ流されてしまうのは悲しいことです。
今日の山手線老人4人組は、僕に驚ける心を思い出させてくれました。
<2008-2-15>
催眠療法体験セミナーまであと1週間です。
まだ空席がございますので、ご興味のある方は、是非、いらしてくださいね。(^^)
僕は催眠誘導が上手ですから(笑)、きっと楽しめると思います。
<2008-2-9>
長い間、カウンセリングルームでのセッションをお休みしていましたが、3月から再開できそうです。
新しい場所は、京王線のつつじヶ丘駅のすぐ近く。
以前のカウンセリングルームより若干広いので、セッションだけでなく、少人数のセミナーやワークショップもそこでできたらと思っています。
詳細は、決まり次第、お知らせします。
<2008-2-7>
ふと気がつくと、スピードワゴンが消えそうです。
<2008-2-5>
コンビニに行ったら、駐車場の隅に猫を発見しました。
近づいていくと、猫もこちらに近づいてきて、僕の脚にスリスリ。
撫でてあげるとゴロゴロととても人懐っこく、毛並みも綺麗でしたので、もしかしたら、近所の飼い猫がお散歩していたのかもしれません。
抱っこをしようとしたら、お腹がとても大きいことに気がつき、抱っこをやめました。
どうやら、もうすぐ子猫が生まれるようです。
<2008-2-4>
友人のセラピストと話していて、「催眠術」という言い方は怪しいよねぇ、という話になりました。
世の中の催眠療法家は、どうにかこの怪しいイメージを払拭しようと、「催眠」に変わる宣伝文句を模索しているように思います。
僕は「催眠」という言葉が誤解を生んだり、怪しいと思われたりしたところで、「催眠」という言葉を使うのが結局は一番良いのではないかと思っていますが、もし、他の言葉を使う必要があるのであれば、あえて、もっと怪しい言葉を使った方がインパクトがあるのではないかと思いました。
メスメリズムとか、動物磁気術とか、暗示術とか、注意術とか……。
まぁ、インパクトがあればいいってものでもありませんけれど。(^^;;
<2008-2-3>
23日のセミナーの準備を少しずつ始めています。
今回は、催眠を体験することに加え、自分で自分の問題にアプローチできる、簡単なテクニックをお教えできたらと思っています。
お手軽に催眠に触れることの出来るチャンスですので、迷っていらっしゃる方は、迷ったままのお気持ちで結構ですので、是非いらしてくださいね。(^^)
<2008-2-2>
今日は久しぶりに本屋に行きました。
最近はもっぱら、本はアマゾンで購入していましたが、本屋ってやっぱりいいですね。
平積みされている本を眺めるだけでも、今のブームが解るし、思いがけず面白そうな本にも出逢えます。
映画の予告編が、時として本編よりも気分がワクワクするのと同じで、面白そうな本を見つけて購入し、カバーのかかった綺麗な本を抱えて家路を急いでいる途中って、もしかしたらその本を実際に読んでいるときよりも気分のいいものかもしれません。
<2008-2-1>
自分にどれだけ投資できるかって、大切だったんだなぁと、この歳になって実感します。
一見無駄に思えることでも、時間とお金をかけてチャレンジすることで、少し世界が広がり、少し生きやすくなる。
人生はその連続で出来ているのかもしれませんね。
もちろん、義務感で何かをするのは心のために良くないし、勉強したことも身につきませんが、興味があるのに何かに遠慮しているのだとしたら、思い切ってやってみるのが吉だと思います。
あ、なんかポジティブなこと書いちゃった。(^^;
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<2008-1-31>
髪を切りに行ったら、HEROESのネイサン・ペトレリみたいな髪型になってしまいました。
僕は髪を切りに行って、「どうしましょう?」と聞かれるたびに、毎回同じリクエストをするのですが、毎回仕上がりが異なります。(^^;;
同じ人に切ってもらわないからそうなるのですが、人によって受け取りかたがこうも違うのかと、感心します。
<2008-1-30>
ときどき、ひとりごとのネタに困って、昔はどんなこと書いていたんだろうと、過去の日記を読み直すのですが、自分で言うのもなんだけれど、初期の日記のほうが明らかに面白いですね。
2004年の1月、2月、3月を読み直してみたけれど、こういった感覚で最近日記が書けないのは、ネタ切れなのか、感受性が鈍くなっているのか、疲れているのか、はたまた刺激が足りないのか……。
きっと、全部なんだろうな。
子供の頃は、前の年より全てにおいて成長しているのが当たり前でした。
体力も、知識も、感性も、毎年成長を実感できました。
けれど、いつからだろう、全部とは言いませんが、いくつかの領域で、明らかに過去の自分に勝てなくなり始めました。
昔歌えていた曲の高音部の声が出なかったり、昔書いた文字が今よりもずっと綺麗だったのを発見したり、そんなことからして、喪失感を覚えます。
僕が80歳になって、もう人生も終わろうとするとき、一体なにが残っているのだろう?
<2008-1-29>
我が家の先住猫、マロンは、あまりゴロゴロいいません。
もちろん、寝る前など、ゴロゴロいうことはあるのですが、体が大きい割にはゴロゴロは小さめ。
一方、新入りの ゆず は、遊びモードではないときだと、2,3回撫でてやるだけで、すぐにゴロゴロいいはじめます。
しかもそのゴロゴロがすごく大きくて、振動がはっきりと伝わってきます。
もし神様がいて、人間を見ているとしたら、やっぱり2、3回撫でてやるだけで、大きなゴロゴロを言う人間がかわいいんだろうなぁと思いました。
<2008-1-27>
私は時折 苦しみについて考えます
誰もが等しく抱いた悲しみについて
生きる苦しみと 老いてゆく悲しみと
病いの苦しみと 死にゆく悲しみと
いまの自分と
さだまさし「防人の詩」
<2008-1-25>
季節の匂いってありますね。
生暖かい春風の匂いを嗅ぐと、春だなぁ、とか、蚊取り線香の匂いを嗅ぐと、夏だなぁ、とか、タンスから出したセーターの匂いを嗅ぐと、秋だなぁ、とか。
で、冬の匂いって何かというと、灯油が燃える匂いだったり、おでんの匂いだったりするのですが、僕が一番冬を感じるのは、かまぼこ です。
しかも、うどん や そば の中の熱い汁にひたひたに浸って、少し湾曲して、表面が若干かたくなったような かまぼこ の匂い。
まぁ、匂いの90%くらいは めんつゆ の匂いなのですが、ただの めんつゆ の匂いではあまり冬という感じはしません。熱い めんつゆ に かまぼこ
が入って、初めて冬の匂いという感じがします。
風が強くて寒い日に、外を歩いていて、お蕎麦屋さんの前からこの匂いがしてくると、もうたまりません。
<2008-1-24>
偉い人たちが言った言葉、「無知の知」とか、「死に至る病とは絶望のことである」とか、「神は死んだ」とか、「男は狼なのよ、気をつけなさい」とか、いろいろありますけど、デカルトの言った「我思う、ゆえに我あり」という言葉以上に真実な言葉はないのではないかと思います。
例えそれが、実生活には何の役にも立たない真実であったとしても、僕にとってこの言葉、そしてこの事実は、非常に恐ろしいものです。
<2008-1-23>
ブルボン、バタークッキーの美味しさは異常です。
これで100円は安すぎ!
<2008-1-22>
リメイク版のヤッターマンを観ました。
おだて豚とか、びっくりドッキリメカとか、とても懐かしくて楽しい時間を過ごしました。
当時は気がつかなかったけれど、ドロンジョ様の声って、のび太の声と同じなんですね。
個人的には、ボヤッキーの流れ弾のくだりがツボでした。
毎週観る必要はないけれど、まだ観ていない方は、是非一度ご覧下さい。(^^)
<2008-1-19>
例外はたくさんあると思いますが、お笑いコンビって、顔が整っている方がボケで、そうじゃない方がツッコミの方が成功している気がします。その方が、見ている側としては笑いやすいのかもしれませんね。
ザブングルは、ボケとツッコミが逆の方がいいんじゃないかと思いました。
<2008-1-18>
結局美味しいのはチーズなんですよね。
<2008-1-17>
ゴールが見えているかどうかというのは、大切なことだなぁと思います。
自分が最終的に何をしたいのか、どこに行きたいのか、相手に何をして欲しいのか……。
漠然としたゴールではなく、はっきりとしたゴールがあり、目的意識があるとき、自ずと行動は決まってくるし、その行動を当たり前のようにすることで、ゴールに着実に近づくことができるのだと思います。
しかし、現実には、はっきりとしたゴールが見えている瞬間はあまり多くなくて、毎日の生活に追われ、忙しさや義務の重荷に潰されそうになりながら探しているゴールはあまりにも遠く、不鮮明なのではないでしょうか。
誰かと意見が合わなかったり、議論が続いてしまうときなどは、大抵、このゴールが見えていないときではないかと思います。ゴールが見えず、その場の思いつきで発言し、行動し、疲れるだけで何も残らない。
ゴールが見えていれば、ひとりでも進んでいくことはできるのですから。
「ノルウェイの森」に出てくる永沢さんというエリートは、「自分の行動規範は、紳士であること」と言います。
「紳士って何ですか?」という問いに対する、「したいことをするのではなく、するべきことをするのが紳士」という彼の答は、僕の心にとても響きました。
自分が今、何をしようとしているのかに自信を持てる人は、とても幸せだし、既にそれを得ているのかもしれません。
<2008-1-16>
愛には実態がありませんね。
愛している思いを取り出して見せることは出来ません。
かといって、状況をして愛と呼べるのかといったら、それも思いが伴っていなければ愛とは呼べなさそうです。
高価なプレゼントをくれたら愛なのか、優しい言葉をかけてくれたら愛なのか、もちろん、愛ゆえの行為かもしれませんが、それだけで愛とは言えないようにも思います。
もちろん、愛の定義なんてできないと思いますが、だからと言って何でもかんでも愛というのも違うでしょう。
色々考えてみたのだけれど、愛を受け取る側の視点から見れば、「気が利く人」というのは、限りなく「愛のある人」に見えるのではないかなぁと思いました。
しかも、好きな人だけに、頑張ってする気の利いた行動ではなく、まったく素の状態で、当たり前のように、誰にでも気の利いた行動が出来る人は、愛があるように見えるんじゃないかなぁ、と。
「気が利く」と、「優しい」は違いますね。
気が利かないけど優しい人と、優しくないけど気が利く人では、もしかしたら後者の方が優しく見えるのではないかと思います。
<2008-1-15>
一休さんみたいに、目を閉じて瞑想するだけで、ポク、ポク、ポク、ポク、ポク、ポク、チーン!、と頓知が閃いたら、人生もっと生きやすいだろうなぁと思います。
悩んだら、ちょっと席を外して、ポク、ポク、ポク……。
<2008-1-14>
甲州街道を走りながら、カーステレオで中島みゆきの「ファイト」を聴いていました。
過去にももちろん、聴いたことがあった曲ですが、歌詞をしっかり聞き取ろうと、詩の内容を追っていたら、魚のくだりで涙が止まらなくなりました。
こんな風に、曲を聴いて涙がこぼれたのは、さだまさしの「償い」以来でした。
こういった魂に訴えかけてくる曲をかける人は、もう、僕等の世代や、僕らより若い世代にはいないのではないかと思いました。
<2008-1-10>
我が家にマロン(雑種オス猫・5歳)がやって来て、3年が経ちました。
室内で飼っているので、人間の目から見れば、いつも退屈そうで、ひとりぼっちでは寂しいのではないかと思っていました。
何度も、もう一匹飼おうかと思ったのですが、新しい猫が来て、果たして僕の愛情は分散せず、平等に愛せるだろうか?、ということが心配で、踏ん切りがつきませんでした。
新しい猫が魅力満載で、マロンのことが2番目になったらマロンがかわいそうだし、逆に新しい猫に全くかわいげがなくて、マロンのように愛せなかったら、それもかわいそうです。
また、猫同士で仲良くなりすぎて、人間との距離が出来てしまうことも心配でしたし、逆にいつまでも仲良くならなくて、喧嘩ばかりでもかわいそうです。
考えすぎなのは解っているのですが、せっかくのマロンとの関係が、新しい猫の登場で壊れてしまうことがとにかく心配でした。
……と言いつつも、ときどき里親募集のページを開いては、もらっちゃおうか、やめようか、という葛藤を続けていました。
昨年の11月頃、ふっと、2匹目をもらうことに対する心配から解放されて、アントニオ猪木の言葉にあるように、「迷わず行けよ。行けばわかるさ」という心境になりました。
それから毎日のように里親募集ページを読み、何度も里親会に出かけました。
里親会では、里親を待っている猫がたくさんいて、その中から一匹を選ぶことがどうしてもできませんでした。(昨年12月6日のひとりごとが意味不明なのはそのためです)
里子にもらいたい猫には条件がありました。
里親ボランティアをしている人の話しによると、統計的に、オスの先住猫がいる場合は、メスの猫をもらった方がよいということだったので、メス猫。そして、子猫の方が適応能力が高いので、できれば1歳未満の猫。あとは、マロンはクールな猫なので、今度の猫は、できれば膝に載ってくるような甘えん坊が良いなぁ、と思っていました。
そんな条件の下、里親募集ページを探したのですが、載っている猫達はオスの方が多く、なかなか、これだ!、という猫が見つかりませんでした。
何回か、条件に合った猫に問い合わせてみたのですが、やはり子猫は人気が高く、ふられっぱなし。
そんなこんなで里子さがしにも疲れ始めた頃、再び条件ぴったりの子が掲載されていました。
かわいそうなことに、生まれたてで、まだへその緒がついた状態で紙袋に入れられ、ホッチキスで封をされた状態でスーパーのゴミ箱に捨てられていたそうです。
ボランティアさんが助け出し、ミルクをあげて育てたということでした。
早速メールをして、すぐにお見合いに行きました。
さすが子猫、希望者が16人もいたそうで、その場では決定しなかったのですが、後日、里親に選んでいただくことができ、12月22日に、無事に我が家にやってきました。
冬至の日にやってきたことを記念して、「ゆず」と命名しました。
まだ子猫のせいもあるのでしょうが、ゆずはとにかく御転婆娘で、マロンがいかに静かな猫か、改めて実感しました。
御転婆な分、とても甘えん坊で、パソコンをしているとやって来て、膝に載ろうとしますし、載せてあげるとゴロゴロいって、寝てしまいます。
心配していたマロンとの相性ですが、マロンが優しい性格のせいか、初めはマロンが逃げている感じでした。
ゆずはとにかく、遊んで欲しくて、マロンを追い掛け回し、逃げていたマロンも、次第に自分の方が強いことが解ったのか、怖がらなくなりました。
ときどきじゃれあっていますが、喧嘩と言うよりは、スパーリングという感じで、とても静かに、ばた、ばた、と柔道のような音をさせながらじゃれています。
猫が威嚇するときの「フー」とか「シャー」とかいう声を、マロンは初日に一度出しただけで、それ以来はじゃれているときも全くの無言。
ゆずの方は、1週間ほど、じゃれているときに「シャー」という声を出していましたが、それも今はなくなりました。
マロンが来たときはすでに大人の猫でしたので、僕にとって、ゆずは初めての子猫です。
子猫の魅力は、もう反則と感じるほどで、それと同時に、マロンの魅力にも改めて気づかされている、今日この頃です。
<2008-1-9>
「第2回 催眠療法体験セミナー」の詳細をアップしました。
セッションを受けるのは抵抗があるけれど、催眠に興味がある、という方々が、気軽に催眠に触れられる機会になればと思っています。
僕は会場のスタジオKの雰囲気が、何故か大好き。
週末の空気と、スタジオKの薄暗い照明がとても心地よいんです。
あそこにいるだけで、不思議とトランスに入っていく気さえします。
セミナーについては、こちらをご覧下さい。
ご興味のある方は、是非、いらしてくださいね。(^^)
(内容についてご質問がある方は、遠慮なく、お問い合わせよりメールください)
<2008-1-8>
セミナーですが、2月23日(土)になりました。(ほぼ確定)
案内や申し込みのページは、近日中にアップします。
<2008-1-7>
2月(3月?)に、セミナーを開こうと思っています。
まだ日時も内容も決まっていませんが、今回は催眠誘導のワークショップではなく、参加者がトランスを体験できるような内容にしようかと思っています。
もし、内容についてリクエストがあれば、お気軽に「お問い合わせ」より、ご連絡くださいね。
<2008-1-1>
あけましておめでとうございます。
年末年始は、一年を振り返ったり、これからの一年について考えなくてはいけない空気があって、そういうのはどうも苦手なのですが、平凡に一年を過ごせたらなぁと思っています。
昨年の元旦に、「ぐっさんの相方、平畠がブレークする」と予言して見事に外れましたが、今年もひとつ、予言します。
今年は元猿岩石の有吉がブレークします!
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