ひとりごと
2006年 9〜12月

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<2006-12-10>
 昨夜、夢の中に、メーちゃんというヤギが出てきました。
 メーちゃんは流暢な日本語を話し、魚屋からブリを盗んでいました。
 目覚めたとき、何か象徴的な夢でないことを願いました。

<2006-12-7>
 テレビで、「上田晋也に催眠術をかけたら100万円!」という企画をやっていました。
 日本から3人、アメリカから1人の催眠術師が、10分という制限時間の中、チャレンジしていましたが、結果はことごとく失敗。
 僕は、「本人がかかりたくないと思っていたら絶対にかからない」とは思いませんが、この状態だと、上田さんに「催眠にかかってはいけない」という暗示が強烈にかかっているので、誰がやっても、どんな方法を使っても無理ではないかと思いました。
 また、これだけ悪い条件の中で、味覚支配(1人目、4人目)や人格変換(2人目、4人目)をいきなり試す勇気はすごいですが、うまくいくはずもありません。まぁ、テレビ局側との話があってこうなったのだろうけど、本当にトランスに入れて何か暗示をいれたいのであれば、プロとしてそのチョイスはどうなんだろうと思いました。セオリー通りの腕固めも失敗していた(3人目)ところを見ると、条件反射を利用した観念運動くらいから始めるしかないのではないかと思いました。
 でもこの企画、僕は面白かったですね。テレビの催眠番組って、出演者がかかったふりをしてしまう(というか与えられた仕事をこなしてしまう)ので、催眠が魔法のように見えてしまいますが、そのような幻想を取り除くという意味では役に立ったと思います。
 番組の最後で、上田晋也に催眠術をかける自信のある催眠術師を募集していましたが、今後、どんな人がチャレンジし、どういった結末を迎えるか楽しみです。今度は、いわゆる古典的な催眠ではなく、現代催眠をしている人にチャレンジして欲しいです。あの「かからない」という頑なな姿勢は、リソースとして使えると思うんですよ。
 ここを読んでくださっている催眠療法家のみなさん、どうすれば上田晋也をトランスに入れられるか、勉強会しませんか?(^^)
 ご興味があれば、「お問い合わせ」からメールください。

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<2006-11-27>
 ニュータイプ論の中に出てくる、「分かり合える人類」という言葉は素敵ですね。
 自分を主張するだけで、他人の生き方を認めない人と出会うと疲れますし、相手も自分に対し、「こいつは主張するばかりで疲れる」と考えているんじゃないかと思うと悲しくなります。
 逆に、お互いのベクトルが同じ方向(分かり合いたい)を向いていて、例え考えていることや生き方が違っても、そのままで相手を受け入れ、尊重し合える関係は心地が良いです。ラポールは「信頼関係」と説明されることが多いですが、理性的な信頼というよりも、こういった無意識的な共鳴に近いのではないかと思います。
 呼吸を合わせたところで、ミラーリングをしてみたところで、お互いが分かり合いたいと本心から思っていないと、ラポールは築けないのかもしれません。
 まだまだ僕はオールドタイプですが、急ぎ過ぎず、絶望もせず、人の革新を信じたいと思います。

<2006-11-25>
 なぞなぞを思いつきました。
 「洋服の裏地ばかり集めている町はどーこだ」
 答え:ウラジオストック

<2006-11-21>
 11月下旬って、何だか金曜日の夜みたいで昔から好きです。
 そして12月は土曜日で、お正月が日曜日ですね。
 1月3日の夜に感じる憂鬱は、サザエさんを見ながら感じる憂鬱にそっくりです。

<2006-11-17>
 久しぶりに、新作(?)形容矛盾はないかなぁとGoogleで検索したら、こちらのページがトップに表示されてびっくりしました。
 ということで、今日の形容矛盾。
 「性別不詳のおばちゃん」

<2006-11-15>
 自分が存在していること、そして世界が存在していること。
 歴史があって、その上に今の社会があって、そのルールに従って生きていること。
 当たり前のようなことが、ときどき怖くなります。
 何だか宇宙の片隅の、とても暗くて寒い場所で、誰からも忘れられてたったひとり、彷徨っているような、そんな気分に駆られます。
 そして恐らく、それは事実なのでしょう。

<2006-11-14>
 うちはまだまだ、アナログテレビですが、電気屋さんでハイビジョン収録のデジタル放送を観ると、本当に綺麗ですね。
 でも、綺麗過ぎちゃって、アップになると出演者の肌のくすみまで見えてしまい、これからのタレントさんは大変だろうなぁと思いました。
 「世界遺産」とか、「美の巨人」たちをデジタルで観てみたいです。

<2006-11-12>
 死語って大好きです。
 以前、映画のことを「活動」と呼ぶうちのおじの話を書きましたが、FEN(今はAFNって言うんですね)のことを「進駐軍放送」と呼ぶ年配の方に出会ったこともあります。
 当たり前のように会話の中に「進駐軍放送」という単語が出てきたときは、それがFENであることに気がつくまでに一呼吸かかりました。
 「進駐軍放送」と言われるだけで、あぁ、この国は戦争に負けたんだな、ということを、ついこの間のことのように、とてもリアルに感じました。
 「僕と銀座に活動を観にいきませんか?」というデートの誘い方は、意味さえ通じれば風流なのではないかと思いますが、同じように、「先日、進駐軍放送を聴いていたらママス&パパスの『夢のカリフォルニア』が流れていまして……」という会話もまた、風流なのではないかと思います。

<2006-11-11>
 ある方とメールをしていて、ガンダムの登場人物で誰が一番好きかなぁと考えました。
 メジャーな登場人物ももちろん好きですが、ガンダムに関しては、脇役たちの個性も素晴らしく、どうしてもそちらに目が行ってしまいます。
 マチルダさんの後を追うように死んでいったウッディ大尉。
 部下を脅えさせない気配りの出来る、キャメル・パトロール艦隊・ドレン大尉。
 そんな中で、一番好きなのは、ア・バオア・クーのジオング整備兵です。

整備兵「80%? 冗談じゃありません! 現状で、ジオングの性能は100%出せます!」
シャア「足はついていないじゃないか」
整備兵「あんなの飾りです。偉い人にはそれがわからんのですよ」
シャア「使い方はさっきの説明でわかるが・・・。サイコミュな、私に使えるか?」
整備兵「大佐のニュータイプの能力は未知数です。保証できるわけありません!」
シャア「はっきり言う。気に入らんな」
整備兵「どうも」
整備兵「気休めかもしれませんが、大佐ならうまくやれますよ!」
シャア「ありがとう。信じよう」

 ジオン軍のエース、シャアを前にしても物怖じせず、良いものは良い、わからないものはわからないと言ってのけ、更には「気休めかもしれませんが」と断りながらも、あのシャアに対して「大佐ならうまくやれますよ」とエールを送るすがすがしさ。戦況は悪いのに、全く戦争と関係ないかのごとく淡々と与えられた仕事をこなす職人気質なその姿勢。
 たったこれだけの登場シーンにも関わらず、彼からは何か大切なものを教えられた気がします。

 あんなの飾りです。偉い人にはそれがわからんのですよ。

<2006-11-9>
 「おおブレネリ」という歌がありますが、よく考えると訳の判らない歌です。
 「おうちはどこですか?」と聞かれたブレネリさんは、「スイッツァランドよ!」と頓珍漢な回答をし、相手は「いやいやそうじゃなくて、住んでいる家はどこなのよ?」と聞き返すこともせず、ふたりで陽気に、ヤーッホー!ホートランランラン!と踊りだすのです。
 童謡「どんぐりコロコロ」で、お池にはまって困っているどんぐりに対し、「坊ちゃん、一緒に遊びましょう!」とのんきなことを言い出すドジョウと、このブレネリさん。
 国は違えど、童謡の方法論は万国共通なのかもしれません。

<2006-11-8>
 恐らく、僕はものすごく平凡な人間です。
 だから、「変わってるね」って言われると、何を褒められるよりもすごく嬉しいですし、そう言われたくて無意識的に人と違うことを言ったりやったりしてしまうのだと思う。そして、平凡から抜け出そうと一生懸命な自分が、それ故、更に平凡に感じて、平凡スパイラル(?)に落ちてしまうのです。
 自分の凡庸性に敏感だからこそ、他人の凡庸性にも敏感で、「私は人とは違うのよ!」アピール全開の人を見ると、何だか悲しくなるし、滅多にないですが、本物の変人に出逢うと、羨ましくて仕方ありません。
 きっと、本物の変人は、自分が変人かどうかなんて考えないのだろうし、他人の評価も関係ないのでしょうね。
 関係ないけど、大江千里の「平凡」という曲は、とてもいい曲です。

<2006-11-5>
 「裏切る」って何なのかなぁって思います。
 「信じていた人に裏切られた」と言う言葉を聞くことがありますが、僕はこの言葉を聞くたびに、ふむふむ、という顔をしながら、実は全く理解していません。
 騙された、なら理解できるのです。でも、裏切られた、って何?
 辞書を引いてみると、「裏切る」とは、

 1 〔約束・信義を破って〕味方にそむき、敵につく。内通する。裏返る。
 2 〔予期に反して〕反対の結果になる。

だそうです。
 1.の意味は理解できます。戦争での裏切り行為などがこれにあたるのでしょう。同盟関係にあるのにそれを破って攻撃してきたらそれは裏切りですし、卑怯なことです。
 でも、「信じていた人に裏切られた」という場合、必ずしも敵につくわけではないので、この場合は2.の意味なのでしょう。
 つまり、この人はこうしてくれるだろう、という期待に反してそうならなかったことをして、「裏切られた」と言うらしい。そしてその相手は、今日から「裏切り者」であり、「卑怯者」になります。
 それってどうなのかなぁ。
 いや、頭では理解できるんですよ。けど、僕はこの言葉、好きではありません。
 勝手に期待して、その通りにならないから「裏切られた」って……。
 裏を返せば、相手のことを本当に理解していなかっただけなんじゃないかって思う。 
 「裏切られた」なんて言葉を使うと、まるで相手を犯罪者扱いだし、どんどん自分が惨めになるし、関係を修復できない感じがしてしまいます。
 だから「裏切られる」のはもうやめて、約束を破られたり、冷たくされたり、こちらの願いを聞いてもらえなかったり、嘘をつかれたりしてはどうでしょうか。

<2006-11-1>
 ドラえもんの道具で何が欲しい?って聞かれたとき、「そのうそほんと」とか「ウソ・エイトオーオー」とか「もしもBOX」などと答える人はセンスがないですね。気持ちは解るけど。
 例えばバーかどこかで女の子にこの質問をされたとき、なんて答えるべきかといったら、これはもう、「ピーヒョロロープ」しかないのではないかと僕は思います。

「ねぇ、ドラえもんの道具でひとつだけもらえるとしたら、何が欲しい?」
「ピーヒョロロープかな」
「ピーヒョロロープ?」
「うん。知らない?」
「知らない」
「笛とロープのセットで、笛で曲を吹くと、ロープが動いて仕事をしてくれるんだ。もってこいの曲とか、にづくりの曲とかさ」
「ふうん」

 彼女は恐らく、ピーヒョロロープについて考え、ピーヒョロロープjを選んだ彼についても真剣に考えることでしょう。
 この感覚は、例えば「タケコプター」や「どこでもドア」と答えたときの感覚とは明らかに異質で、ピーヒョロロープ以外では醸し出せないのではないかと思います。 

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<2006-10-28>
 リーズナブル、という言葉があります。
 日本語では、値段が安いといった「お得」的な意味で使われることが多いですが、本来、Reasonable は「合理的」という意味です。
 そしてこの「合理的」と言う言葉は、「無駄を省いた」的な意味合いで使われることが多いですが、本来は「理屈が通っている」という意味です。Reason(理由) + able なわけですから。
 となると、日本人は、リーズナブルと言う言葉を二重に誤解しているわけです。
 理屈が通っていることが合理的なのですから、例えば、会社に遅刻して、その理由が「人身事故で電車が止まってしまった」ということだとしたら、それは合理的だし、リーズナブルです。全然無駄を省いていないし、値段が安いわけでもないけど。

<2006-10-21>
 車に乗っていたら、後ろの車を所ジョージが運転していました。
 芸能人を目撃したのは久しぶりです。
 思い出す限り、今まで目撃した芸能人をまとめますと……

 武田鉄也 車に乗っていてすれ違いました。
 谷啓 スーパーで買い物をしているところをすれ違いました。
 和田勉 中華料理屋で食事をしていると、他のテーブルで食事をしていました。
 小林亜星 横浜のランドマークタワーに入ろうとしていたら、ランドマークタワーから出てきました。
 岸部シロー レストランで食事をしていると、他のテーブルで食事をしていました。
 武藤敬司、蝶野正洋、橋本真也 大学のとき、引越しで荷物をたくさん積んだワゴン車に乗っていると、隣の車線を走っていました。車は日産インフィニティQ45。僕が手を振ると、武藤だけが手を振り返してくれました。
 森下千里 新宿中央公園の近くで、マネージャーらしき人と歩いていました。

 当たり前だけど、みんな普通に生きていました。

<2006-10-6>
 お湯を沸かす、というのは間違った日本語ではないかと思います。
 正解は、水を沸かす、じゃないかな。お湯なら沸かす必要、ないもの。
 強いて言うなら、お湯に沸かす、でしょうか。

<2006-10-5>
 溜め息をひとつつくたびに、秋が深まるような気がします。

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<2006-9-29>
 思い切って、髪を坊主にしてみました。
 後頭部のチャリチャリ感を、つい、確認してしまいます。

<2006-9-21>
 子供の頃、我が家には子供用に世界の名作を編集した文庫本シリーズが1セットありました。父が買ってきたもので、「小公女」とか、「セロ弾きのゴーシュ」とか、「風車小屋の便り」、「海底二万里」など、全部で40冊くらいあったと思います。
 ドラえもんばかり読んでいた僕に、父は「マンガではなく本を読みなさい」と言って、その本棚からどれでも良いから本を読めと口うるさく言っていました。まだ、本を一冊、初めから終わりまで読んだことがなかった頃の話ですから、小学校3年生くらいだったと思う。
 僕は仕方なく、その中から「ほら男爵の冒険」という本を選びました。何故それを選んだのか覚えていませんが、「冒険」という言葉にひかれたのでしょう。
 その小説は「ほら男爵」の一人称で書かれてあり、その序文には「月にはじめて行ったのは、このわしだ」というようなことが書かれていました。
 「ほら」というのがどういう意味なのか知らなかった僕は、その序文から首を傾げました。月にはじめて行ったのはアポロ宇宙船に乗ったアメリカ人だと聞いていたので、この本はその宇宙飛行士が書いたものなのだろうかと、頭がこんがらがってしまいました。
 そこで父のところへ行き、率直にそのことを質問しました。「この人がアポロに乗っていたの?」
 父は苦笑いを浮かべながら、ほらというのは嘘という意味なのだというような説明をしてくれました。
 ドラえもんが作り話なのは理解できましたが、こんな立派な、字ばかりの本に嘘が書いてあるなんて、僕には全く理解できませんでした。それと同時に、ようやく重い腰をあげて本を読んでみようと思った気持ちが、ズタズタに引き裂かれたような思いがしました。
 僕はその本をそれ以上読まなかったし、それ以降、そのシリーズの本は一冊も読みませんでした。
 本に対するアレルギーは更に強くなり、本を読もうという気持ちは、そのせいで平均的小学生よりも2年は遅れたのではないかと思います。
 僕はとても信じやすい人間で、その頃から冗談が理解できなかったのです。
 今でも冗談って苦手。「冗談だよ」と笑われるとすごく嫌な気持ちがするし、「冗談が通じない」と言われるともっと嫌な気持ちがします。
 嘘は言っている側に多少の罪悪感があるからまだ救われますが、冗談は罪悪感を伴わないのでたちが悪いですね。

<2006-9-16>
 僕はオフコースが好きです。
 人生で初めて好きになったアーティストです。
 きっかけは、中学生の頃、姉が聴いていた「夏の終わり」という歌詞に心が震えたから。

 ♪夏は冬に憧れて、冬は夏に帰りたい♪

 たったそれだけなのだけれど、特に音楽が好きなわけでもなく、ベストテンのアイドルの歌くらいしか聴いたことがなかった僕は、「こんな歌は聴いたことがない!」とひどく衝撃を受けました。
 今思えば、ユーミン「守ってあげたい」の「遠い夏、息をころしトンボを捕った。もう一度あんな気持ちで夢を捕まえてね」という歌詞から受けた衝撃の方が遥かに大きかったし、尾崎豊の「100円玉で買える温もり」とか、佐野元春の「つまらない大人にはなりたくない」、更には洋楽を聴くようになって、ボブデュランの「How does it feel?」とか、ビートルズの「Living is easy with eyes closed」などは、「夏の終わり」よりもずっと影響を受けました。
 それでも、「夏の終わり」に始まり、友達に借りた「オフコース・ベストナウ」、姉が持っていた「Three and Two」、「over」と聴き進めるうち、オフコースにどっぷりはまってしまいました。だからオフコースを久しぶりに聴くと、僕の心はすぐに、中学時代に戻ってしまいます。学園祭とか、その後のフォークダンスとか、部屋の窓から見上げた雲とか、中間試験の帰り道とか……。
 「秋の気配」という曲は、特に好きではありませんが、オフコースの象徴的な曲だと思います。オフコースは、秋の夕暮れから夜に聴くべき曲ばかりで、必然的に、オフコースから思い出される思い出も、秋の思い出ばかりです。
 なんでオフコースのことを突然書きたくなったのかというと、「あぁ、早く、9月になれば……」という歌詞がふっと浮かんだからです。「I Love You」は、オフコースの曲にしては歌詞の内容が薄いですが、それ故に歌詞ではなく、旋律から受ける印象の強い曲です。間奏で流れるジョンレノンの死を伝えるニュースも、最後の合唱の部分も、理由は良く判らないけれど、鳥肌が立つくらい、心が共鳴します。
 子供の頃からずっと、僕は過去の自分に戻りたいという気持ちをほとんど感じたことはありませんでした。
 でも、オフコースを聴くと、一日だけ中学生に戻るのも悪くないのではないかと思うことがあります。

 「もう一度今日のニュース。ジョンレノンが死にました。享年40歳でした」

<2006-9-11>
 「トンマッコルへようこそ」という映画の試写会へ行ってきました。
 みんなで笑顔で写っているポスターから、楽しい映画だと勝手に思って観たのですが、結構内容がシビアでした。
 先日、甥と一緒に「キングコング」をレンタルして観たからかもしれないけれど、キングコングの、お金はかかっているけど中身はからっぽの映画とは対照的に、非常に濃密で、笑いあり、涙あり、完成度はすごく高い作品です。これほどのエンタテインメント作品はしばらくぶりです。
 ただ、「良かったよー」と何も考えないで言えるかというとそうでもありません。悲惨さと感動って別物なんじゃないかなぁ。
 僕の中で、今までで一番良かった映画は「トイ・ストーリー」なんだけど、ああいった、誰も傷つかないでハッピーエンドというのが、娯楽映画の基本なんじゃないかと思います。

<2006-9-10>
 努力の話の続きなのですが、実は先日、とても辛いことがあって、自分の中の自信がきれいさっぱり、なくなってしまいました。
 でもきっと、僕の経験した辛いことなんて、本当に本当に辛い経験をしている人から見れば何でもないことで、大きな力を持った誰かが、ひょいって救ってくれるわけでもなく、自分で何とかしなければいけないことなんだと解ってはいるのですが、それでも今は力が出ません。
 さっきから、外では鈴虫が鳴いています。
 鈴虫も、鈴虫でいることに自信をなくしたりするのかな。

<2006-9-5>
 努力って、何で必要なのかなぁって時々考えます。
 もちろん、努力して人は大きくなるのだけれど、大した努力もしてないのにうまくいっている人もいれば、すごく努力しているのにまったく実を結んでいない人もいます。努力の方向が間違っているのかもしれないけれど、もともと持って生まれたものが違うのだから、やはり人生は基本的にかなり不公平だと思う。
 これは自分自身の人生を振り返っても言える事で、結構努力したのに結果が得られなかったこともあれば、大した努力もなしに、すーっとそこにいけたこともある。
 一万円が目の前に落ちていて、それを拾うと、少し先にまた一万円が落ちていて、拾うと更に先に一万円が落ちていて……。それを繰り返し、ふと気がつくと自分が行きたい場所にたどり着いていた。そんな人生なら良かったのにって思います。(^^;; 

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