ひとりごと
2004年 5〜8月
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<2004-8-31>
何か楽しい話でも、と思う瞬間って、大抵持ち合わせの楽しい話がなくて困ります。
<2004-8-30>
頭が柔らかいとか頭が固いとか言う言葉があります。
この二つの言葉が並んで出てくるとき、純粋に頭が柔らかいことが良いことだと信じられていますし、「頭が固い人」というのは褒め言葉ではありません。
でも僕は、みんなが頭が柔らかい状態を目指す必要はないと思うし、逆にみんなが頭が柔らかかったら、この国はとっくの昔に滅んでいたと思います。頭が柔らかい人というのは、カレーライスの中の福神漬け程度にいればよろしい。残りの人たちが頭が固いからこそ、混乱も無く社会は動いていくのです。
僕はこういった、根拠の無い価値観って大嫌いです。
<2004-8-29>
下駄箱に指を挟んでしまいました。
去年の今頃も、同じ下駄箱で指を挟み、爪の中が内出血して黒くなりました。
しばらくは気をつけていたんだけれど、ここ最近は注意も忘れていました。
もともとこの下駄箱は立て付けが悪く、力を入れないと開かないし、力を入れると一気に開いて指を挟む構造(?)になっています。
誰に怒りをぶつけられるわけでもなく、自分のうっかり加減にただただ凹みました。
<2004-8-28>
「日本を代表する脅威のメロディーメーカー」と言ったら、みなさんは誰を連想しますか?
小室? 桑田? 奥田? ユーミン? 小田? 山下? 矢野? 久保田? 中島?
いえいえ、つんく♂ でも スガシカオ でもありません。
一度しか言いませんから、心して聞いてください。
日本を代表する脅威のメロディーメーカーは、小林亜星です。
初めて「パッ!とさいでりあ」のバラードバージョンを聴いたときには、うかつにも涙が出そうになりました。
たかが十数秒のCMでそこまでできるのは、亜星以外、誰ひとりいません。
僕は何年か前、横浜のランドマークタワーで亜星とすれ違いました。
オフを楽しんでいる生亜星は、テレビで見るよりもずっと小さく見えました。
<2004-8-27>
加藤いづみが昔、「Thursday」という曲で「木曜日が何故か好き」と歌っていました。
僕は木曜日が好きだと思ったことは一度もなくて、恐らく火曜日と並んであまり好きではない曜日なのですが、どうして加藤いづみは木曜日が好きなんだろう、なんて思ってネットを巡っていたら、すっかり彼女の魅力にはまってしまいました。(^^;;
加藤いづみ、美しすぎ。
<2004-8-26>
「幸せ」って、結局は言ったもの勝ちなのかなぁ。
うーん。。。
<2004-8-25>
夜になると、虫の鳴き声が良く聴こえます。
だんだん涼しくなってきて、もうじき秋なんですね。
僕は夏はあまり好きではないけれど、晩夏は結構好きです。
「晩夏」って言葉を聞くと、夕暮れに野球場の外野スタンドで、涼しい風を浴びながら昔を思い出しているような、そんな気分になります。
<2004-8-24>
キンモクセイのライブの予習(?)のために、ポータブルオーディオを探していました。
以前はウォークマンを使っていたのですが、何となく調子が悪くなり、その後は歩きながら音楽を聴かない生活がずっと続いていました。
今更カセットテープは使いたくないので、ポータブルCDにしようか、ポータブルMDにしようか、それともMP3プレーヤーにしようか悩み、いろいろ調べて
iRiver プリズム というシリコンプレーヤーを買いました。
MP3プレーヤーは初めて買ったので、ちょっと不安だったのですが、小さいし、ビットレートを下げれば結構な量の音楽が入るし、音も悪くないし、サウンドレコーダーとしても使えるし、電池も長持ちだし、大満足な買い物でした。
<2004-8-23>
NHK大河ドラマの新選組ですが、ついに山南さんが切腹してしまいました。
僕は歴史に詳しくありませんので、どこまでこのドラマが史実に基づいているのか判りませんが、仮に歴史がこの通りだったとしたら、何故彼は脱走しようとしたのか理解できませんでした。
いや、脱走までは理解できるのですが、何故沖田に見つかったとき逃げずに帰って来たのかが解らないし、永倉や原田が逃がそうとしたときに逃げなかったことも理解できません。
本気で脱走したかったのならば、逃げずに帰ってくるでしょうか? 逆に潔く切腹するほどの人が、脱走するでしょうか?
もうこのドラマで山南さんの、腹に力の入っていない喋りが聞かれないのかと思うと、かなり残念です。
<2004-8-22>
夏休みで遊びに来ている甥と一緒にいると、「なぞなぞ」責めにあいます。
僕は「なぞなぞ」って大嫌いです。
何で嫌いなのかなぁって考えてみたのですが、その一番の理由は、「答が正解かどうかは出題者のさじ加減ひとつだから」だと思う。
「なぞなぞ」を出されると、知らない国で知らない法律のもと、横暴な裁判官の前で裁判を受けているような気になります。
「象を冷蔵庫へ入れるための3つのステップは?」という「なぞなぞ」は、答を聞いて発狂しそうになりました。
<2004-8-21>
ラジオを聴いていたら、キンモクセイというグループの曲が流れてきました。
とても懐かしい感じのサウンドで、勢いで9月のライブチケットをファミリーマートで買ってしまいました。
ライブに行くなんて、3年前に浜田省吾のライブへ行った以来です。
これからアルバム買って、曲を覚えなきゃ。
<2004-8-20>
ネットでニュースを読んでいたら、「東芝キヤリア製品で発煙、発火の可能性」という記事。
ぬぬぬ、うちのエアコンも東芝製です。
まさかと思い、念のため我が家のエアコンを調べてみると、どんぴしゃり、該当機種でした。
こんな所で当たりを引きたくはなかったなぁ。
東芝製エアコンをご使用の皆様、念のため調べみてくださいね。
<2004-8-19>
小沢健二の「愛し愛されて生きるのさ」という曲の中に、「10年前の僕らは胸を痛めて『いとしのエリー』なんて聴いてた」という歌詞があります。
この曲を初めて聴いたとき、「あぁ、『いとしのエリー』ってもう10年も前なんだぁ」と、感慨深く思ったものです。そして、10年後の僕はこの曲を聴きながら、10年前の僕は胸を痛めながら「愛し愛されて生きるのさ」なんて聴いてたなぁ、って思うのかなぁ、なんて思ったりもしました。
今年、あれからちょうど10年になります。
久しぶりにCDを引っ張り出し、この曲を聴いてみました。
10年前を思い出すと、確かに胸が痛みました。
<2004-8-18>
電車に乗っていたら、隣の人と、隣の隣の人が、僕と全く同じ携帯電話を持っていて、二人とも必死でメールを打っていました。
なんとなく嬉しくなる瞬間でした。
<2004-8-17>
ごめんなさい、森山直太朗、僕は無理みたいです。
<2004-8-16>
PRIDE GP 決勝戦を観ました。
小川はこれで楽になれたんじゃないかな。
もう一度リアルファイトでの勝利を目指すのか、それともきっぱりとリアルファイトからは足を洗い、プロレスラーとして生きていくのか、ここからが彼の正念場だと思います。
負けちゃったのは残念ですが、ファンも本人も背負っていた幻想から解放されて、僕はかえって良かったのではないかと思います。
今回はミルコの豪快な復活劇が見られましたが、決勝戦は後味が悪かったし、シウバを倒せそうな日本人はもういなくなってしまったし、個人的にはすっきりとしない興行でした。
そうそう、小川のビデオのバックに流れていた音楽が、オフコースの「心はなれて」でびっくりしました。
オフコースファンはすごく嬉しかったんじゃないかと思います。
<2004-8-15>
オーストラリア対日本のソフトボールの試合をなんとなく観ていたら、1回の裏、オーストラリアの投手が大乱調。
コースを狙ってストライクが入らないわけではなく、投げる球、投げる球、キャッチャーさえ取れないようなすっぽ抜けた球で、5連続フォアボールを与えていました。
緊張していたのか、それとも腕や指に、見えないところで怪我でも負ったのか判りませんが、こんなに荒れているピッチャーは見たことがありません。
日本チームは労せずに2点を先取しました。
でも結局試合は4対2で日本が負けてしまいました。
この5連続フォアボールで調子を崩したのはオーストラリアチームではなく、むしろ日本チームだったのではないかと思います。
オーストラリアチームはこの失点で逆に緊張が解け、降板した投手以外全員が「これで負けても私のせいではない」と心のどこかでホッと安心し、のびのびとプレーができたのかもしれませんし、日本チームは2点の余裕をもらい、かえって勝ちを意識しすぎて緊張感が増したのかもしれません。
オリンピックという大舞台の、更にまだエンジンもかかっていない1回の裏の出来事だっただけに、このフォアボールの与えたインパクトは絶大だったのではないかと思います。
<2004-8-14>
最近、家の前に死んだ蝉やトカゲが置いてあります。
ここによると、どうやら我が家の野良猫たちが、「いつもお世話になってます」という意を込めて、プレゼントしてくれているらしいのです。
先日も半殺しにされた蝉が、一晩中ビービー鳴いていました。
正直言うとありがた迷惑。
ちゃんと餌はあげるから、もう殺さないでくれ、と祈るような気持ちです。
<2004-8-13>
「心を開かないとエヴァは動かないわ」
「新世紀エヴァンゲリオン」の中で、エヴァとのシンクロができなくなってしまったアスカに向かってレイが言った言葉です。
催眠誘導をしていて、僕もときどき同じように思います。心を開かないと催眠には入れませんよ、って。
こんなことを書くと、「それを開かせるのがあんたの仕事でしょ!」と怒られそうですが、まぁ、実際にその通りなのですが、あくまでその鍵を握っているのは、セッションにいらっしゃる皆様、おひとりおひとりなのです。
<2004-8-12>
京王線の某駅を降りてびっくりしました。
階段の手すりのところに張り紙があり、「この手すりはネジが外れてグラグラします。お気をつけ下さい」と書いてありました。
これって、致命的なことじゃないかなぁ。
「ペンキ塗りたて」とはわけが違い、手すりがグラグラしてたら、手すりの存在理由がなくなってしまうと思うのです。
「この命綱は強度が弱くてときどき切れます」と書かれた命綱を使っちゃいけないのと同じで、グラグラの手すりにつかまってバランスを崩したり、手すりが外れたりしたらかなり危ないと思う。
関係ないけど、存在理由って言葉、結構好きです。
<2004-8-11>
ときどき、テレビで格闘技やプロレスを観ていると、信じられないような睡魔に襲われることがあります。
僕は普段、テレビを観ていて眠くなることはほとんどありません。
また睡眠時間はきっちりとるタイプですので、夜、疲れて起きていられないということもほとんどありません。
ですが、格闘技だけは、面白い試合は興奮して観ていますが、つまらない試合は気がつくと目を開けていられないくらい眠くなり、ちょっと横になろうものならそのまま眠ってしまいます。
この眠りというのがすごく深いのです。
夜、布団の中で感じる眠りが穏やかな眠りだとしたら、このときに感じる眠りは激しい眠り。
意識は浮かび上がったり沈んで行ったりを繰り返し、睡眠よりも、深い催眠状態に近いような気がします。すごく気持ちがいいです。
格闘技観戦には、もしかしたら催眠作用があるのかもしれません。
試合の流れって、1/f ゆらぎ なのかもしれないし、疲れていく選手を見ていると、自分もだんだんと心地よく疲れていくのかもしれません。
<2004-8-10>
ゴリラが手話で歯の痛みを訴えたというニュースを読みました。
動物とお話をするというのは、夢のような話ですが、ちゃんと教えれば話せるようになるのですね。
以前スカパーの動物番組で、飼い主とお話をする鳥が出ていました。
もちろん、「お話をしているように見える」だけなのですが、それでもちゃんと飼い主の言葉を区別しているからこそ、適切な言葉を返せるわけです。
人間だけが高度な知能を発達させたように言われていますが、それは人間の脳がすごいのではなくて、もしかしたら人間だけが「言葉」を持っていたからではないかなぁと思います。
言葉がなかったら、人間だって動物と同じだったのかもしれませんし、言葉があれば、ゴリラやイルカだって、文明を築いていたのかもしれません。
このニュースの記者は最後に、「女性が名刺を差し出すと、むしゃむしゃ食べたという。」と結んでいます。
ゴリラが手話で話したことよりも、名刺を差し出す女性医師、そしてそれをむしゃむしゃと食べてしまうゴリラに、心が和みました。
<2004-8-9>
昨年のリベンジということで、献血へ行ってきました。
体も冷えてないし、今日こそはと思って気合を入れましたが、やはり去年と同じく「血管が細いから無理」とのこと。
ちなみに僕の前の人も、同じ理由で断られていました。
検査で採血するときの注射針よりも、献血用の注射針はずっと太いそうで、細い人に無理にさすと、神経を痛めて手が痺れてしまうことがあるそうです。
去年の看護士は「またいらっしゃい」的な雰囲気でしたが、今日の人は「あなたは献血のできない欠陥人間です」的な対応で、もうこれ以上来ても無駄です、と言わんばかりでした。
その看護士は自分の腕を出し、僕の人差し指を盛り上がった血管に押し付け、「ほら、血管の位置がすぐ判るでしょ」と自慢気。確かに立派な血管で、触っただけで血管を感じることができました。
「でもね、これでも細いのよ」
彼女は今度は僕の腕に僕の人差し指を押し付け、「血管の場所、判る?」と非常に挑戦的に言いました。僕は仕方なく「判りません」と答えました。彼女は満足したみたいに僕の腕に巻きつけられたゴムチューブを外し、「献血だけがボランティアじゃないから……」と言いました。
それが慰めの言葉なのかどうか、僕には良く判りませんでした。
帰り際、献血もしていないのに「ありがとう 献血」と書かれたバンドエイドをもらい、複雑な気持ちで献血センターを後にしました。
僕のように、献血できない人って結構多いんじゃないでしょうか。
どうしてもっと細い注射針を使わないのでしょう? 僕は採血をされたことは何回もありますし、その際、結構な量を採られます。そのまま放っておけば、200ml
くらい採れそうなものだけど、やっぱり途中で出なくなってしまうのかな。
「血が足りない」とカリオストロの城のルパンみたいなことを、献血センターの前で叫んでいますが、僕のような門前払い組から採血する方法を考案すれば、もっともっと血は集まるんじゃないかなぁって思いました。
<2004-8-7>
学生のころ、夏になるとよく合宿へ行きました。
夜になってもみんな寝ないで騒いでいるのですが、僕はこっそり輪から抜け出し、近くの川原やキャンプファイヤーをした空き地へ行って、ぼんやり空を眺めるのが好きでした。
空気が澄んでいると、たくさんの星が見えます。
ときどき流れ星なんかも流れます。でも誰もそばにいないから、その感動を誰とも分かち合えなくて、何とも切ない思いをします。
辺りは信じられないくらい静か。
空気の圧力が高いような、鼓膜が押し付けられるような静けさです。
宿舎では今頃、思い出を刻み付けることを焦るかのように、みんな騒いでいることでしょう。
僕はそんな雰囲気に乗れず、またどこか白けた気分で、ひとり自然に包まれます。
そうやって空を見ていると、自分はこの奇妙な星の上で、一体なにをしているのだろうと思います。
結局はそんな気分に浸りたいだけなのかな、なんて思ったりもします。
でも本当は、同じようにこっそり輪を抜け出してきた女の子が、「そんなところで何してるの」なんて言いながら僕の方に歩いてきて、隣に座り、話を聞いてくれることを、心のどこかでずっと待っていたのかもしれません。
「うん、わかるわ、そういうの。だって私も同じだもの……」って。
そんなことは実際、一度も起こらなかったのですけどね。(^^;;
<2004-8-6>
小学校3年生のとき、体育の授業で50m走の練習をしていました。
僕は足が遅く、友達はほとんど9秒台でしたが、僕は10秒台。
なんとか速く走れないものかと授業中に考えました。
そして、「僕は歩幅が狭いのではないか」という結論に達しました。
例えゆっくりでも、一歩の歩幅が広ければ、速く走れるのではないか……。
そこで僕は早速、思いっきり一歩を大きくして走ってみました。それはまるで、大きくスキップをしているような走り方でした。
すると速くなるどころか、ぶっち切りのビリでゴールイン。
おかしいなぁと首を傾げていると、当時の担任、竹内先生(初老の女性教師でした)がやってきて、僕の頭をポカッと叩きました。
なぜ自分が叩かれたか理解できないでいると、「ふざけるんじゃありません!」と竹内先生は言いました。
僕は全くふざけてはいなくて、むしろ速く走ることに対する探究心から出た行動だったのですが、それは先生には伝わらなかったようです。
新宿の地下道を歩いていたら、突然そのときのことを思い出して、なんだかとても悔しい思いがしました。
自分のことながら、小学生の工夫しようとする心を踏みにじった先生は、教育者として間違っていたのではないかと思います。
でもこういうことって、もしかしたら日常に溢れているのかもしれません。
努力しているつもりが、相手にはふざけているように思われたり、ふざけるんじゃないよって思ったら、本人は結構まじめに考えていたり。
「世の中に誤解というものは存在しない。考え方の違いがあるだけだ」って誰かの本にありましたが、その通りかもしれません。
<2004-8-5>
ブルーベリーの枯れ枝の剪定をしていたら、気がつかないうちに、手や顔をたくさん蚊に刺されてしまいました。
血が欲しいならいくらでも吸わせてあげるから、頼むから痒い成分をお返しに注入するのはやめてくれって思いました。
<2004-8-4>
果物で一番おいしいのは、良く冷えた桃だと思うのだけれど、いかがでしょうか。
<2004-8-3>
今年は戦後最高の暑い夏になる可能性があるそうです。
確かに7月には殺人的な暑さが続きました。
でもそのせいか、「最高気温32度」とか書いてあっても、「暑そー!」というよりは、「はぁ、今日はちょっとは涼しいんだな」って思ってしまいます。
夜になると、心地の良い風が吹いてきて、少し気がはやいですが、秋の気配を感じます。
<2004-8-2>
「ハッピーターン」の塩辛い感じ、大好きです。
<2004-8-1>
この「理科は実生活に役に立たない」という記事、もう、馬鹿かと。アホかと。
小6と中3に聞いてどうするよ、という感じです。彼らの実生活って一体何?
理科が役に立ちはじめるのは、おそらく、一人暮らしを始めてからです。
僕は理系だからではありませんが、今までの人生、間違いなく理科が一番生活に役立っています。
理科がもし役に立たないのであれば、それはその人がしっかり勉強していないからであり、応用の仕方を知らないだけです。
僕は地震が起こると、初期微動の長さを数えてその地震の震源が近いか遠いかを考えますし、天気図を読みます。匂いをかぐときには習ったとおり、手であおいで嗅ぎますし、有効数字は目盛りのひとつ下の位までしっかり読みます。「トリハロメタン」という言葉を聞くと、「トリ、ハロ、ということは、ハロゲン(ハロ)が3つ(トリ)結合しているんだな。それがメタンのように並んでいるんだな」と思います。
理科の知識を応用できる場面は、日常の中でいくらでもあるのです。
それに、「実生活で役に立たない」を言い出したら、小6や中3が歴史を習って歴史から何かを学ぶでしょうか? 習った英語で外国人に道を訊ねるでしょうか? 古文の活用を日常会話で用いるでしょうか?
「役に立たない」などという考え方は、結局はイメージにしか過ぎないのです。役に立つ場面に出会えば何でも役に立つし、出会わなければ何も役には立ちません。
……となんだか熱くなってしまいましたが、僕は教育というのは本来、実際に役に立つべきものだと考えています。そして現代の教育が、例え受験や学歴を目的とした詰め込み型の教育だったとしても、少なくとも僕の受けた教育は十分、実生活でも役に立っています。
本当に役に立つことは学校では教えてくれない、などと言っている人もいますが、そう思うのならば学校以外で自分が勉強すればいいだけの話であって、学校のせいにするのは筋違いです。
中学までは、誰もが無料で勉強させてもらえるというのは、江戸時代ではとても考えられなかったほどのすごいことです。現代においても、勉強をしたくてもできない子供は世界中にたくさんいるのです。
どうも子供たちは、学校は行きたくないのに行ってやっている、将来のために我慢して行っている、というスタンスで学校や勉強をとらえているように思います。
そういった教育のありがたみを解らない子供たちは、義務教育などと言わずにどんどん退学させればいいのです。そうすればクラスもすっきりして、学級崩壊などなくなります。
行きたいから学校へ行く。勉強したいから勉強する。それが基本なのです。
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<2004-7-31>
以前は生まれ変わるならタッキーになりたいって思っていましたが、最近は、生まれ変わるならオダギリジョーになりたいなぁって思います。
新選組の斉藤一はかっこよすぎます。
<2004-7-30>
サザエさんを観て憂鬱になる、サザエさん症候群なるものがあるそうですが、僕はサザエさんよりも、ちびまる子ちゃんを観ると何だか悲しくなります。
理由ははっきりしていて、ちびまる子ちゃんを初めてまともに観たのが19の頃で、そのころ僕は、ひどく落ち込んでいたからです。
ちびまる子ちゃんを観るたびに、当時を思い出し、面白切ない気持ちになります。
<2004-7-29>
昨日、ギターを弾く夢を観ました。
そうしたら無性にギターを弾きたくなり、押入れから昔のギターを引っ張り出しました。
こうやってギターを手に取るのは、かれこれ7年ぶりくらいです。
すっかりチューニングも狂っていて、さらにチューニングメーターの電池も切れていたので、ギターケースの中にあったブルースハープで調弦をしました。
ずっと弾いていなかったのでもう弾けないかと思っていましたが、昔好きだった曲があっさり弾けてしまって、ちょっとびっくりしました。何でこんなに覚えているんだろう……。
久しぶりだったので、弦を押さえる指が痛かったし、曲にあわせて歌おうと思っても、声が全然出なくなっていました。
ギターが弾けることが嬉しかった反面、高い声が出ないことはそれなりにショックでした。
カラオケで鍛えようかと真剣に思ってしまいました。
<2004-7-28>
子供の頃の夏休みを思い出すと、ちゃんと朝早く起きていたし、テレビばかり観ていたわけでもないし、毎日友達と遊んでいたわけでもありませんが、何故か「暇だなぁ」とか「することないなぁ」という気分にはなりませんでした。
毎日何をして過ごしていたんだろう? すごく謎です。
今、いきなり1ヶ月休みをもらったら、毎日ゴロゴロして、反省しっぱなしの1ヶ月になるような気がします。
<2004-7-27>
ラジオ体操の中に「左へポーン」っていう部分、ありますよね。
「腕を前から上げて、のびのびと背伸びの運動から」とか、「正面で起こす」とか、「外回り、内回り」とかはいいのですが、僕は子供の頃からこの「左へポーン」というのだけは、なにか違和感を感じていました。具体的な指示を出さず、フィーリングで誤魔化しちゃいけないんじゃないか。この人、左へポーンって恥ずかしくないのだろうかって。
NHKの会議室で、この体の動きをうまく表現できなくて、「もうこれ、左へポーン、でいいんじゃないですか?」「そうですね、左へポーン、で行きましょう」みたいなやりとりをしているところを、体操しながらどうしても想像してしまいました。
今、何年かぶりにラジオ体操を途中までやってみましたが、毎朝ラジオを聞きながらこれをやったら、確かに精神と肉体の鍛錬になるような気がします。
<2004-7-26>
「ハッスル4」をPPVで観ました。
高山のドタキャンでテンションが下がり、「大物X」が長州力でもっとテンションが下がりました。
島田、中村のコントもグダグダ。直後の崔、藤井組の試合は会場が冷え切っていて気の毒なほどでした。
しかし、メイン後の高田総統登場から一気に面白くなり、結果的には大満足な興行でした。
川田が一生懸命、なれないマイクで「俺だけのハッスル」を宣言したときには、感動すら覚えてしまいました。
<2004-7-25>
さきほど、髪を乾かそうとドライヤーの電源を入れたら、いきなりドライヤーが壊れてしまいました。
このドライヤー、去年の7月24日に購入したもので、ぴったり1年動き、壊れたことになります。
我が家の電化製品の死は、まだまだ続きそうです。
<2004-7-24>
テレビでやっていた「となりのトトロ」を観ました。
宮崎アニメは多分ほとんど観ているのだけれど、何故かトトロだけは観ていませんでした。
やたらと雲の絵がきれいだなぁって思いました。
ストーリー的には、「ただ迷子が見つかっただけの話」という感じで、正直、思っていたほど面白くありませんでした。
これ、トトロあんまり関係ないですよね? もっとすごく仲良くなるのかと思っていたから、拍子抜けしたのかも。
あと、「子供にしか見えない」とか言われると、薄汚れてしまった自分をこれでもかと見せ付けられる気がして、心が洗われるよりも先に、何だか逃げてしまいたくなります。
<2004-7-23>
我が家の野良猫クルリちゃんですが、耳だけではなく、頭、首、胴体も撫でられるようになりました。
まだ、エサを夢中で食べているときじゃないと撫でられませんが、大きな進歩です。
ずっと撫で続けていると、エサが終わって一息ついた後、「なに触ってるのよー」というような目つきでこちらを見て、ゆっくり遠ざかっていきます。でも、決して逃げるわけではなく、ちょっと離れた所でまた座りなおし、こちらをジーっと見つめます。
こんな風に慣れてきたのはクルリだけで、ダレ君もコダレも、ちょっとでも触ろうとするとパーっと逃げてしまいます。
やっぱりクルリはミラクルチャイルド。
特別な子です。
<2004-7-22>
「ピースな愛のバイブスでポジティブな感じでお願いしますよ」
これは、窪塚洋介が長男誕生の際、記者たちに語った名言です。
窪塚と言えば、東洋のマイケルジャクソンと呼んでもいいくらい、奇行や意味不明の発言が多いですが、この発言はそれらの中でもずば抜けていると思います。
ピースも愛もバイブスもポジティブも理解できますが、それでも何が言いたいのか判らないから不思議。
尾崎豊の「LoveWay」に出てくる、「真実なんてそれは共同条理の原理の嘘」という歌詞をを初めて聴いたときにも、「真実も共同も条理も原理も嘘も理解できるけれど何が言いたいのか判らない」と思いましたが、それに匹敵する難解さです。
今度散髪に行き、「今日はどうしましょうか?」ってきかれたら、「ピースな愛のバイブスで、ポジティブな感じでお願いします」って言ってみようかな。
何の確認もなく、窪塚っぽい髪型にされそうです。
<2004-7-21>
村上春樹の「風の歌を聴け」を久しぶりに読み返しました。
僕は彼の小説の中でも、この作品が一番好きで、高校の頃に初めて読んでから、おそらく100回くらい読み返しています。
小説の中の季節は夏。
今頃読むにはちょうどいい本です。
「ねえ、もしよかったら一緒に食事しないか?」
彼女は伝票から目を離さずに首を振った。
「一人で食事するのが好きなの」
「僕もそうさ」
「そう?」
彼女は面倒臭そうに伝票を脇にやり、プレイヤーにハーパース・ビザールの新譜をのせて針を下ろした。
「じゃあ、何故誘うの?」
「たまには習慣を変えてみたいんだ」
「一人で変えて」
彼女は伝票を手もとに寄せて作業の続きを始めた。「もう私に構わないで」
僕は肯いた。
「前にも言ったと思うけど、あなたって最低よ」
村上春樹 「風の歌を聴け」 より
<2004-7-20>
イチゴのランナー取りをしていたら、葉の影に真っ赤なイチゴがなっているのを発見しました。
よく観ると、他にも花が咲いていたり、青い実になり始めているものもありました。
うちで育てているイチゴは近所の園芸店で買った「とちおとめ」ですから、春以外には花を咲かせないはずだし、現に去年は春の収穫が終わった後は花が咲きませんでした。
何故今年になって、夏にも花が咲くようになったのか謎です。
ひとつだけならまだしも、いくつかの苗で花が咲いているので、個体差ではないように思います。
イチゴは突然冬に花が咲いたりすることが以前にもあったので、それほど驚きませんでしたが、例えばうちで育てているブルーベリーは、収穫時期が終わった後に再び花が咲くことはあり得ませんので、そう思うとかなり不思議です。
今年の夏は天気がいい日が多く、気がつくとイチゴのプランターはからからに乾いています。
もしかしたら、死ぬ間際に子孫を残そうと、必死になって花を咲かせているのかもしれません。
このまま四季なりイチゴになってしまうのかなぁ。
<2004-7-19>
「別のセクト」も良い響きですが、「パントマイマー」も言ってみたくなる単語です。
「パント」の部分はどうでもいいのですが、「マイマー」が気持ちがいいように思います。
<2004-7-18>
学生運動の頃の人たちって、毎日のように別のセクトの連中と、角材で殴りあったりしてたんだろうなって思います。(もちろん勝手な妄想です)
別のセクト……。
すごくよい響きです。
やっぱり青春時代には、別のセクトとかなくちゃな、と思います。
<2004-7-17>
ヒグラシの鳴き声を今年初めて聞きました。
夕暮れにヒグラシの鳴き声を聞くと、学生の頃、一人過ごしたボロアパートを思い出します。
<2004-7-16>
地元の駅を降りると、焼肉屋の店員が割引券を配っていました。
「世界の中心で焼肉を食べませんか〜」と、ものすごくやる気のない感じで言っていました。
きっとこの人、こんなこと言いたくないんだろうな。
恥ずかしいんだろうな。
言わされちゃってるんだろうな。
よく解らないけれど、「高度資本主義経済……」と思いました。
<2004-7-15>
「汚れているのは土なんです!」
映画「風の谷のナウシカ」で、ナウシカは出征前、秘密の地下室でユパ様にそう訴えます。
その部屋には障気(有毒なガス)を出す腐海の植物が咲き乱れていましたが、ナウシカはマスクをしていませんでした。
腐海の植物もきれいな土と水で育てれば、障気を出さないのです。
そう、汚れていたのは土だったのです。
何だかこのセリフって、すごく教訓めいていると思うのです。
今の悩みは本当は、問題の本質ではないのかもしれません。
原因はもっと別のところにあるのかもしれない。
もしかしたら自分の中にではなくて、外にあるのかもしれないのです。
汚れているのは土なんです。
<2004-7-14>
もう何年も前の大晦日に、ビートルズアンソロジーという番組が放送されました。
その中で、ポールがインドでの出来事を語ったシーンがありました。
ビートルズに多大な影響を与えたインド人導師のマハリシという人が、ある日、「一人だけ一緒にヘリコプターに乗せてあげよう」と言ったそうです。そのときジョンは、「僕が乗りたい!」と大きくアピールしました。
後日ポールがジョンに、「どうしてあの時、あんなに乗りたがったんだい?」と訊いたら、ジョンはこう答えました。
「僕にだけ、人生の意味を教えてくれるかもしれないって思ったんだ」
「まったくこういうのはジョンだよね」とポールは笑いながら言っていました。
僕はこのシーンを観て、すごく不思議でした。
僕の目から見ればジョンは、世界のスーパースターで、超大金持ちで、やりたいことは何でもできて、才能に満ち溢れています。それでも彼は人生の意味が解らず、さらにそれを知りたがっていた。
もし僕が同じ立場だったら、人生の意味なんてどうでもいいんじゃないかって思うけど、そうじゃないのかなぁ。
ジョンが人々に愛される理由って、彼のこういった一面なのじゃないかと思います。
<2004-7-13>
ナイフでうっかり指を切ってしまいました。
大した傷ではないし、血もそれほど出なかったのですが、自分のおっちょこちょい加減に若干へこみました。
不思議とスパッと切れた瞬間は全く痛くありませんでした。
時間がたつにつれ、少しずつジンジンしてきましたが、バンドエイドをつけると、そのジンジンした感覚も気にならなくなりました。
久しぶりのバンドエイドの感覚、この保護されている感覚は、なかなか気持ちがいいです。
<2004-7-12>
佐野元春の「I'm
in blue」という曲に、「行くあてがどこかにあるわけじゃないけれど、ここにいる訳にもいかない」っていう歌詞があります。
まだ十代の頃、こういった曲を聴くと、僕は心の底から鳥肌が立ちました。
そして僕の心は今でも、あの頃とは何も変わらず、行くあてもなければ、ここにいることにしっくりきているわけでもありません。
生きるって、自分の居場所を探すことなのだと思う。
あてもなく居場所を探し、適当な所をみつけてはしばらくたたずみ、首を振ってはまた探し始める……。
そしてそれは、死ぬまで続くのではないかと思います。
<2004-7-11>
「憤死」という言葉があります。
辞書を引くと、「憤慨しながら死ぬこと」とあります。
でもこれって、どういう状況なんだろう?
憤慨しながら自殺することなのかな? それとも、憤慨していたら脳の血管が切れちゃったり呼吸困難になったり心臓が止まっちゃったりして死ぬことなのかな?
どちらにしても、嫌な死に方ベスト10に入る死に方だと思います。
死ぬときくらいは、「いろんなことがあったけれど、悪くない人生だった」って思いたいですね。
<2004-7-10>
高校の頃の同級生に、渋谷君という人がいたのですが、彼のあだ名は「駅」でした。
学生時代、いろいろなあだ名の人に出会ったけれど、「駅」以上に変なあだ名の人はいなかったように思う。
駅、今なにしてるのかなぁ。
<2004-7-9>
渡辺満里奈はいつまでたっても若いなぁと思っていましたが、最近急に老け込んだ気がします。
<2004-7-8>
昨年10月のひとりごとで、「魚肉ソーセージは何であんなにビニールが剥きにくいのか?」と書きましたが、なんと、魚肉ソーセージが留め金いらずになるそうです。
やっぱりあれ、不評だったのでしょうね。
<2004-7-7>
ゴクミとアレジがタイヤに乗ってるコマーシャル、なんか苦手です。
ついでに「ベッキーだよ」っていうコマーシャルも、なんか苦手です。
なんでだろう?
<2004-7-6>
「モンスターズ・インク」を観ました。
僕は子供や動物、ロボットなどに弱く、それらが一生懸命だったり、辛い目にあったり、別れを惜しんだりするシーンが出てくると、自分でも嫌になるくらいウルウルしてしまいます。
この映画も、以前コマーシャルで流れていたのを観ただけで泣きそうになり、涙を必死でこらえたのを覚えています。
ピクサー社のアニメは結構好きなのですが、そういった理由で、この映画だけはなかなか観る気がしませんでした。
僕は映画というのは娯楽だと思っています。
だから考えさせられたり、必要以上に悲しい思いをしたくはないのです。
今回、勇気を出して(?)、「モンスターズ・インク」を観ることにしました。
気合を入れて、ティッシュの箱を目の前において観はじめました。
結果から言うと、最後の方で若干のウルウル感はありましたが、泣きませんでした。
こういう子供は、ツボではないんですよね。
それに、雪山から簡単に二人とも帰ってきたり、そういう都合のいいところがちょっと受け入れられませんでした。
やはり、「トイ・ストーリー」が一番良かったです。
自慢じゃないですが、1でも2でも、大泣きしてしまいました。
よく、「どこで?」って聞かれるのですが、例えばバズが自分がスペースレンジャーじゃないって知ったときとか、UFOキャッチャーの宇宙人が、やっと選ばれて仲間にお別れを言っているシーンとか……。
そういうの、もろにツボでした。
あまりに1が良かったので、2を観たときには、バズが出てくるだけでウルウルしてしまいました。
<2004-7-5>
カタツムリって、梅雨以外はどこでどんな風に生活しているんだろう?
<2004-7-4>
最近、「1/f ゆらぎ」という言葉を良く聞きます。
意味はともかく、語感による安らぎ感は、「アルファ波」とか「マイナスイオン」とかを遥かに超えています。
<2004-7-3>
黒ヤギさんも白ヤギさんも、お手紙を読まずに食べてしまいますが、こういう歌を作る人は、ものすごく純粋な人なのだと思います。
……いや、逆かな。
<2004-7-2>
秀島史香がJ-WAVEで話している声を聞くと、青春の忘れ物の大きさを感じます。
<2004-7-1>
気がつけば今年も下半期。
すでに日はだんだん短くなっているのだと思うと、ちょっと寂しいです。
<< ひとりごと目次
<2004-6-30>
昨年10月より、我が家にやってくるようになった、野良猫のクルリちゃんですが、何と本日はじめて、撫でることに成功しました。
野良猫は生後6ヶ月までに人に慣れないと、もう慣れる事はない、とTVで言っていたので諦めていたのですが、このページをお読みになった方から、一日一瞬でも「ちょん」と触るようにすると、いずれ撫でられるようになる、と教えていただき、少しずつ実行していました。
はじめは手を近づけるだけで逃げてしまいましたが、次第に触れると逃げるくらいまでになり、ようやく今日、耳の後ろをコリコリと掻いてあげることに成功。
正直、撫でることは諦めていましたので、ものすごく嬉しかったし、びっくりしました。
我が家の野良猫たちの中で、一番歴史が古いだけのことはあり、さすがミラクルチャイルド!、と思いました。
今度は耳の後ろだけじゃなくて、頭や胴体を撫でられるようにがんばります。
<2004-6-29>
日曜早朝にやっている「鈴木タイムラー」ですが、視聴2回目にして、早くも飽き気味です。
どうも僕は、この番組のテンポに合わないような気がします。ひたすら早口でポンポン進んでいくので、消化しきれない感じ。
テレバイダーを見ていた人はこの番組の面白さをかろうじて理解できると思いますが、いきなり見た人は二度と見てくれないんじゃないかなぁ、とちょっと心配です。
<2004-6-28>
フジテレビの「ザ・ノンフィクション」という番組で、催眠療法が取り上げられていました。
正直な感想は、うちと随分やり方が違うなぁ、ということ。
もっと催眠っぽい(?)映像が見られるのかと思っていましたが、感情を高ぶらせて(トランス状態?)普段言えないことを吐き出させてあげている映像しか流れませんでした。
これはこのセラピストのやり方なのでしょうから、否定も肯定もしませんが、催眠療法といってもセラピストによって方法は異なりますので、これと同じものを求めてうちのセッションにいらっしゃっても同じことはしていませんし、できません。
<2004-6-27>
当カウンセリングルームには、ダイエット、禁煙、不眠でいらっしゃる方が多いです。
中でも、ダイエットでいらっしゃる方が一番多いかもしれません。
みなさん、テレビの催眠術の番組を見て、あんなに簡単に食べ物が嫌いなったり、好きになったりするのならば、暗示で簡単に食欲を落とせるはず、と期待されていらっしゃいます。
そして困ったことに(?)、深い催眠に入ると、本当に暗示ひとつで甘いものが気持ち悪くなり、食事も途中で満腹になってしまうのです。
じゃあそれで簡単にダイエットができるかというと、決してそうではないところが、難しいところです。
残念なことに、一度の暗示では、それらの効果も数日(早ければ数時間)でとけてしまうことがあるからです。
何故、ダイエットの暗示はとけてしまうことがあるのでしょうか。その説明の前に、太ることについて考えてみましょう。
太るメカニズムは実に単純です。
消費しているカロリーよりも、摂取しているカロリーの方が多いから太るのです。
では何故、必要以上のカロリーを摂取してしまうのでしょうか。
ひとつには、食に対して、現代人は体が送っている信号を無視しているからです。
みなさんは平日、どういうときに食事をしていますか?
お腹がすいたときにでしょうか?
そうできれば良いのですが、恐らく多くの人は、「食事の時間が来たから」という理由だけで食事をしているのではないかと思います。お腹がすいていても、食べずに食事の時間を待ちますし、お腹がすいていなくても、いま食べないと食べる機会がないからと食事を始めます。それが当たり前のようになっているのかもしれません。
また、みなさんはどんなタイミングで食事を終えますか?
お腹がいっぱいになったときでしょうか?
こちらも、そうできれば良いのですが、恐らく多くの人は、お腹がいっぱいかどうかよりも、お皿の上の料理がなくなったから、終わりにしているのではないかと思います。もしかしたら、もっとずっと前にお腹はいっぱいになっていたのかもしれませんが、「もったいない」「残してはいけない」という変な義務感で、必要以上のものを食べてしまっているのです。(もちろん、その逆もあるでしょう)
確かに残すのはもったいないことですが、それをゴミ箱に捨てようが、お腹におさめようが、殺された牛が生き返るわけではありません。残すことがもったいないのではなくて、必要以上に作ることこそ、もったいないのです。
小学生のころ、給食を食べ終わるまで教室に残された経験のある方がいらっしゃるかもしれませんが、食べたくないのに無理に食べさせるというのは、ある種の虐待ではないかと思います。(ここで言っているのは量のことで、好き嫌いはまた別の話です)
体というのはとても良くできています。エネルギーが必要になればお腹が減るし、十分なエネルギーが補給されればお腹がいっぱいになります。その信号に従った食生活を送れば、太ることはないのです。
しかし現代人は、時間や常識(残すのは失礼、等)に縛られ、体の信号をまったく無視しています。そして無視し続けることによって、せっかくの体のセンサーが、正常に動かなくなっているのです。
必要以上のカロリーを摂取してしまうもうひとつの理由は、ストレスです。
人間は多かれ少なかれ、「食べる」という行為から得られる心地の良い感覚によって、日々のストレスを発散しています。そのため、食べる以外のストレス発散方法を持っていない場合、ストレスが大きければ大きいほど、食べることに依存するようになります。また、仕事が忙しかったり、時間的な余裕がない場合も、他の方法でうまくストレスを発散できず、結局は食べてしまいます。
お腹がいっぱいになっているにもかかわらず、食べる衝動が止められない。本当はこんなことはしたくないと思いながらも、食べ続けてしまう。そんな経験のある方も、いらっしゃるのではないでしょうか。
催眠で暗示を入れることによって、食に対する好みを変えたり、食べる量を調節することができます。
甘いもの、あぶらっこいものの変わりに、サラダを好きにすることができますし、少ない量で満腹感を得られるようになります。
しかしそれらの暗示も、暗示が入ったことをいいことに、まったく本人が努力をしないと、いずれとけてしまいます。
どうしても催眠に入ったことを確認したくて、甘いものがまずくなっているにもかかわらず、セッション後にわざと甘いものを食べてみる方がいらっしゃいます。食べた瞬間は当然、まずくなっているので安心します。しかしその「まずい」感覚も、繰り返せば、日に日に自分で期待していたようなまずさではなくなっていきます。そうすると、心は「まずいけれど、食べられる」と思い始めるのです。そこから暗示はとけていきます。
同じように、せっかくお皿の半分でお腹がいっぱいになっているにもかかわらず、捨てるのがもったいないとか、残しているのを人に見られたくない、などと自分で理由をつけ、苦しみながらも今までと同じだけの量を食べ続ければ、いずれ満腹感は得られなくなります。
大切なのは、催眠が効いて「何が何でも食べられない」感覚を実感することでは決してなく、これを機会に自分の意思で甘いものや食べ過ぎをやめることなのです。
催眠はあくまで、後押しに過ぎません。自分で一歩も動こうとしなければ、やはり心は動かないのです。
また、ストレスの問題も無視できません。
食べることで発散していたストレスを、ダイエットの暗示が入ったからこそ、他のもので積極的に発散してあげなければならないのです。
食べれないことをいいことに、ストレスをそのままにしておいたら、やがてストレスは心の中で膨れ上がります。
そして結局は、自分を守るために心は再び食べ物を求め始めるのです。
セッションでは、ストレス発散のために自己催眠をお勧めしていますし、自己催眠に入れる暗示も入れています。それを毎日実践するかしないかで、暗示の持続性が大きく変わってきます。
しかしご本人がいくら努力しても、残念なことに暗示がとけてしまうこともあります。
催眠は決して洗脳ではありませんので、心がすっと受け入れてくれる暗示もあれば、そうでない暗示もあるからです。
しかしそんな場合も、何度もセッションを重ねることで、暗示を定着させることができます。
ラジオから流れてくる知らない音楽を聴くとき、一度で心に焼きつくように覚えてしまう曲もあれば、印象に残らずに忘れてしまう曲もありますよね。しかしその忘れた曲でさえ、毎日10回も20回も聞き続ければ、否が応でもいずれ覚えてしまいます。
暗示はそれと似たような所があります。
一度でとけてしまった暗示も、回数を重ねることで、心にしみ込んでいくのです。
ダイエットでいらっしゃる方は、とても焦っていらっしゃることが多いです。
催眠で魔法のように、あっという間に痩せていくことを期待したい気持ちは分かりますが、例えば5キロ体重を落としたいのであれば、5キロ太ったのと同じ時間をかけるくらいのつもりで取り組んでいただきたいのです。焦らず、諦めずに取り組めば、それよりも遥かに短い時間で、理想の体重に近づくことができるでしょう。
問題を体重や食欲だけのせいにするのもよくありません。その食欲は、あなたのストレスのシワ寄せだからです。
しっかりとストレスに向き合い、その解消に取り組める人こそ、一番早く、ダイエットに成功する人だと思います。
<2004-6-26>
日本の国がしている借金が、700兆円を超えたそうです。
国民が勝手に背負わされている借金は、一人当たり550万円……。
つい10年くらい前までは、うろ覚えですが、日本の借金は200兆円くらいだったように思います。
これって最終的にどうなるのでしょうか。
個人的には、年金問題よりも、自衛隊派遣問題よりも、はるかに緊急度を要する問題だと思うのですが……。
<2004-6-25>
うつつをぬかす、って言葉、好きです。
僕も何かにうつつをぬかしたいな。
<2004-6-24>
シャワーを浴びると、迷いが落ちる気がします。
<2004-6-23>
友達が教えてくれたゲームを試しに遊んでみたら、はまってしまいました。
難しいゲームは一度最後まで終わるともうやる気がおきませんが、こういう単純なゲームは、延々とやり続けてしまいます。
<2004-6-22>
スピードワゴンは大好きですが、最近押している「甘い言葉」は違う気がします。
やっぱり、「サラリーマンにはなりたくないって……」で始まらないとね。
<2004-6-21>
PRIDE GP 2回戦を観ました。
まず、桜庭はもう駄目だと思いました。両足のテーピングが痛々しくて、全然強い感じがしませんでした。
それから、小川は8月、どうするんだろう? ノゲイラでもハリトーノフでもヒョードルでも勝てない気がする。
それから、DSEはハントの使い方を間違えていますね。せっかくK-1の大物なんだから、まずは勝てる相手をぶつけないともったいないです。ついでに、吉田は柔道着を脱いでからだと思う。
今日も、ほとんどの試合が順当に終わってしまいました。
やはりPRIDEの魅力というのは、番狂わせだと思うんです。
前回のランデルマンみたいに、誰もが負けると思っていた人が勝つと、盛り上がるんだけどなぁ。
<2004-6-20>
ホームセンターのペットコーナーで、誰にも買ってもらえず、どんどん大きくなり、値段も半額くらいになっている動物を見ると、何ともかわいそうな気がします。
<2004-6-19>
久しぶりに「マインスイーパ」をしたら、はまってしまいました。
先ほどの上級のスコアは、396秒でした。
<2004-6-18>
ダイハツの軽自動車に「NAKED」という車があります。
僕は「MAX」という車に乗っていますが、「MAX」が発売される前はずっと、この「NAKED」にいずれ乗りたいと思っていました。
先日、気がつくと、ダイハツのホームページから「NAKED」が消えていました。
好きな車がひっそりと市場から消えるのは、何とも切ない思いがします。
<2004-6-17>
上島竜平の生き様に、漢(と書いて おとこ)を感じる今日この頃です。
<2004-6-16>
最近、4枚刃のカミソリが売られています。
カミソリと言えば、少し前までは3枚刃までしかありませんでしたし、それ以前は2枚刃しかありませんでした。
確かに、刃の枚数が多ければ多いほど、一度で楽に剃れる気がします。切れ味はなかなかコマーシャルで伝わりにくいですが、枚数で言われると解りやすいし、インパクトがあります。純粋にすごく剃れそうです。だからこそ、カミソリの刃は、年々増え続けているのでしょう。
3枚刃が出始めた頃、僕は「もうこれ以上は出ないだろう」と思っていました。あの小さなカミソリの頭には、刃を3枚並べるだけで精一杯な感じがしたからです。
しかし、店頭で売られている4枚刃を見ると、4枚の刃は、とても自然にそこに収まっていました。
そしてやはり「もうこれ以上は無理だろう」と思いました。
でも僕がこの世を去る頃には、「世界初!16枚刃!」とかが店頭に並んでいるような気もします。
<2004-6-15>
バーバパパ・ファミリーに日本人がいたとしたら、「バーバ宮川」って名前なんじゃないかと、ふと思いました。
<2004-6-14>
テレバイダーの後釜番組(?)、「鈴木タイムラー」を観ました。
オープニングから、テレバイダーそのまんまと言う感じでちょっと嬉しかったです。
ただ、惜しいなぁと思ったのは、ナレーターが坂本さんではないこと。
一生懸命坂本さんを真似ようとしているナレーターが気になって、面白いのだろうけど笑えない感じがしました。
一番笑ったのが、浜田翔子の豆占いのコーナーです。
津島さんはがんばっているけど、やはり金剛地もスタジオにいないと寂しいな、と思いました。
テレバイダーを100点とすると、多分25点くらいの番組なのですが、地上波で金剛地が見られるだけでよしとします。
<2004-6-13>
ピン芸人「マイケル」がテレビに出ていました。
ほとんど面白いことを言っていないんだけれど笑わせる雰囲気はすごいと思いました。
「マイケルお笑いルールがわからない」が個人的にはツボでした。
<2004-6-12>
「ヨン様〜」と言っている人は、ちょっと前までは「ベッカム様〜」、さらに前には「レオ様〜」と言っていたんじゃないかって思うんだけれど、偏見でしょうか。
<2004-6-11>
この石原都知事、最高です。
<2004-6-10>
「テレバイダー」が打ち切りになって久しいですが、何となくWEBを検索していたら、こんなページを見つけました。
早速今度の日曜日に観てみます。
<2004-6-9>
「いちばんベスト」……。
文法的にはかなり間違っています。
<2004-6-8>
ハッパロクジュウシ……。
ゴサンジュウゴに比べると、爆発力はかなりのものです。
<2004-6-7>
映画「ラストサムライ」を観ました。
勝元の軍があっけなく大砲や鉄砲の前に散っていく姿、なんだかすごくリアリティがありました。
グラディエーターやロードオブザリング、トロイ等、最近は戦争映画よりも、古代の合戦映画が多いですね。
この映画もそのうちのひとつだと思いました。
<2004-6-6>
ブルーベリーが青くなり始めました。
イチゴやラズベリーに比べて、粒が小さいのであまり食べた気がしませんが、とてもお上品な味がします。
いろんな果樹を手がけてきましたが、ブルーベリーは文句なしに家庭菜園に一番向いている果樹だと思います。
<2004-6-5>
コストコの店員って、どうしてあんなに怖いのでしょうか。
<2004-6-4>
最近好きな言葉は、「とんちの効いた」という表現と、「謎かけ」という言葉です。
とんちの効いたことを言う人に出会いたいし、誰かの残した謎かけを見つけたいです。
<2004-6-3>
いつも年が明けてしばらくは、未だに去年の西暦を書きそうになりますが、今年はその逆で、なんか2004年という文字を見ると、去年のような気がしてしまいます。
理由は良く判らないけれど……。
<2004-6-2>
勉強したけれど、人生の中で一度も役に立っていないことって結構ありますね。
あり、をり、はべり、いまそかり、とか。
いまそかりて……。
<2004-6-1>
長谷川京子の出ている保険のCM(何だか夫婦二人と話しているやつ)を見ると、理由は良く判りませんが、すごーく嫌な気持ちになります。
この嫌な感覚、江角マキコの年金のコマーシャルを見たときに感じた感覚と非常に似ています。
<< ひとりごと目次
<2004-5-31>
「見え隠れする」という表現を聞くたびに、電柱の陰から誰かがそーっとこちらを見ていて、こちらが気がつくと、さっと陰に身を潜めてしまうような映像を頭の中で描いてしまうのは、僕だけでしょうか。
<2004-5-30>
アンガールズの腕の細さは尋常じゃありません。
<2004-5-29>
最近、お気に入りのピン芸人のひとりが「ヒロシ」です。
うしろで流れている曲も素敵。
「ヒロシです。ファブリーズがききません。ヒロシです……」
<2004-5-28>
スーパーで売っていたエアコンクリーナーを購入し、使ってみました。
パッケージの写真ほど汚れた液は出てきませんでしたが、それでもなんだかすっきりした気分です。
<2004-5-27>
我が家には野良猫もやってきますが、蜂もやってきます。
毎年やってくる蜂が一匹いるのですが(その蜂が本当に同一の蜂かどうか、もちろん判りませんが、いつも一人でやってくるし、僕は勝手に同一の蜂だと思っています)、彼は朝から晩まで、気がつくとせっせと花にもぐり、蜜を集め、受粉のお手伝いをしてくれます。
彼がいなかったら、きっと我が家の果樹たちは受粉せずにみんな花が落ちてしまうんだろうなと思うと、何だかとっても愛しいです。
<2004-5-26>
イチゴのシーズンはそろそろ終わりです。
今年は去年と比べて、収穫量こそ変わりませんでしたが、味は全然おいしくなかったです。
雨に打たれて腐ったり、猫に踏まれたりで食べられなかった実も多数。
イチゴが鈴なりになっている写真をHPに載せよう、載せようと思っている間にシャッターチャンスを逃してしまいました。
去年も感じましたが、毎日イチゴを食べていると、当然、飽きます。
そしてこれから蚊と戦いながら、ランナーを拾って子株を育て、さらにプランターに植え替える作業を考えると、もういい加減、イチゴはやめようかなぁという気になります。
イチゴの後にはラズベリーのシーズンが始まり、その後にはブルーベリーの収穫が始まります。
ラズベリーもブルーベリーも、ほとんど何もしなくても毎年きちんと収穫できるので、イチゴの苦労が一層きわだちます。
<2004-5-25>
結局スカパーチューナーは、すぐにハングアップしてしまって安定して使えないので、新しいチューナーに買い換えました。
<2004-5-24>
「うち、ベータだから……」という言葉を、久しく聞いていない気がします。
<2004-5-23>
スカパーチューナーの悪夢再び……。
昨年7月にスカパーチューナーが壊れて修理しましたが、1年も経たずに再び調子が悪くなりました。
リセットボタンを押したり、コンセントを抜いたりして騙し騙し使えていますが、これから暑い夏が来ることを考えると、年は越せないかもしれません。
<2004-5-22>
野良猫たちが再び姿を見せ始めました。
どうやら縄張り争いは関係なく、気が向かなかっただけなようです。
猫もときどき、気分転換したいのかな。
<2004-5-21>
うちの古いビデオの予約画面は、時間を12時間制で入力する必要があります。
初めに「am」か「pm」かを選び、次に時間を入れるのですが、日にちをまたいで放送がある場合(例えば23時30分から翌日の0時30分までの番組の場合)、いつも頭を悩ませてしまいます。
というのも、予約画面では、0時を入力すると勝手に12時と直されてしまうからです。
午前12時という表記は果たして夜中の0時のことなのか、正午のことなのか……。
24時間制で言うところの、0時から11時59分59秒までを午前と呼び、12時から23時59分59秒までを午後と呼ぶものと思われますので、本当ならば午前12時も午後12時も存在しないはずですし、もし存在するとすれば、夜中の1時を25時と呼ぶのと同じように正午は午前12時と表現するべきだと思いますが、どうもうちのビデオを筆頭に、世間的には午前12時は夜中の0時、午後12時は正午を表すようです。
ということで、個人的には正午は午前12時派なのですが、仮に午前13時、午後13時だったらどういう印象を受けるだろうと考えてみました。
午後13時と言われたら、やはりそれはお昼の1時のことのように聴こえます。
「頭痛が痛い」という表現と同じで、違和感はありますが、そうとるのが妥当でしょう。
しかし、問題は午前13時という表現方法です。
午前13時と言われても、やはりそれはお昼の1時のように聴こえませんか?
午前12時問題(勝手に名前をつけちゃいました)の本質は、「午前・午後」という言葉と、「○時」という言葉のどちらを優先させるべきか、ということにあると思います。
冷静に考えると、やはり初めについている「午前・午後」を優先させるべきなのでしょう。
先ほど、勝手に午前と午後を定義しましたが、こちらを読むと、正午はなんと午前なのだそうです。だけど、1秒過ぎると午後になるらしい。じゃあ12時間制で正式表現するには、正午は午前12時、1秒過ぎると午後0時0分1秒かというと、こちらを読むと午後0時という呼び方は正式には認められていないそうです。
となると、12時間制では正午のみ、午前12時と呼び、少しでも過ぎたら午後12時5分などと表現するべきなのでしょうか。
また別のページによると、「正午は午前でも午後でもない」という説もありました。
僕は「正午は午前12時派」と書きましたが、それは正午が午前だからではなく、「午前12時などというのは存在しないが、どうしても無理に呼ぶ必要があるのならばその方が合理的」と思ったからであり(深夜1時を25時と表現するのと同じように)、そのルールに則るのであれば、昼の12時5分だって午前12時5分と呼ぶべきだと思います。
考えれば考えるほど、訳が判らなくなってしまいますが、僕が一番不思議なのは、時間という社会生活を送っていく上で基本的な概念がしっかりと制度化されておらず、解釈は人それぞれで、さらにそれでもほとんど誰も困らずに国が動いているということです。
<2004-5-20>
掛け算の九九、6の段は、「ロクゴサンジュウ」あたりから徐々に調子が良くなっていきます。
<2004-5-19>
我が家の3匹の野良猫たちは、ここ数日姿を見せません。
彼らがいなくなる直前、見たこともない猫(首輪をしていたので野良猫ではないようです)がやってきて、しきりにあたりにマーキングをしていたので、もしかしたら縄張り争いに負けてしまったのかもしれません。
<2004-5-18>
今年初めて、バラが咲きました。
近所の家を見ると、バラが咲き乱れているのですが、うちは植木鉢で育てているせいか、ひとつ咲かせるのが精一杯という感じ。
このバラはホワイトクリスマスといって、友人からもらったものです。
かおりがとても良いバラです。
<2004-5-17>
ずっと録り溜めておいたXファイルですが、少しずつ見ていて、ようやくファイナルシーズンに突入しました。
新レギュラーのドゲット捜査官がピンチに陥るたびに、あぁ、彼がT-1000だったら、と思ってしまいます。
それにしても、スカリーの魅力全開のファイナルシーズンです。
<2004-5-16>
星までの距離を「光年」で表しますが、あれ、どうやって測っているのかいつも気になります。
<2004-5-15>
FOX TVの「ワイルド・オン」を見ていると、何だか自分だけ取り残された気になります。
<2004-5-14>
風が強い日は髪がぐちゃぐちゃになって鬱陶しいですが、今、僕はほとんど坊主なので、強い風にあたっても髪型を気にする必要はありません。
外を歩いていて、風が吹き荒れた後、窓に映った自分が全く変わっていないのを見るのは何だか嬉しいです。
この際、もっと風が吹けばいいのにって思います。
<2004-5-13>
散歩をしていたら、猫の鳴き声が聞こえました。
振り向くと、猫がこちらを見ています。
僕が近づいても猫は逃げようともせず、喉をゴロゴロ鳴らしています。
首輪はしていませんでしたが、かなり人に慣れている感じがしました。
恐る恐る手を伸ばしたら、あっさりと撫でることができました。
やっぱり誰かが飼っている猫なのかな。
我が家の野良猫たちが、こんな風に慣れていたらなぁと思いました。
<2004-5-12>
ときどき、夜、近所を散歩します。
いろんな家があって、いろんな庭があって、いろんな車がとまっています。
みんな僕と同じように、この土地にへばりついて暮らしているんだなぁって思うと、何とも不思議な気がします。
散歩って、昼寝や日向ぼっことならんで、三大お金のかからない趣味だと思うのだけれど、いかがでしょうか。
やっぱり履歴書に「趣味:散歩」とか書くと、胡散臭く思われるのかな。
<2004-5-11>
クジラとイルカは実は同じ種類の動物で、4メートル程度を境に、それより大きいものをクジラ、小さいものをイルカと呼んでいるだけなのだそうです。
でも、なんだか納得できません。
クジラの肉は食用にできますが、イルカの肉を食べるなんて話は聞いた事がありません。(と思ってネットで調べたら、結構食べている人もいるみたい)
また、クジラは潮を吹きますが、イルカも吹きませんよね。(と思ってこちらもネットで調べたら、イルカも潮を吹くらしい……)
やっぱりクジラとイルカ、同じなんですね。
<2004-5-10>
久しぶりに、他の猫が我が家にやってきました。
バケ君(オス)です。
彼は他の猫と違い、ちゃんと飼い主がいるようで、首に鈴をつけています。
だから彼が来るとすぐに、「あ、バケ君が来た」と判ります。
名前の由来は、ご想像の通りです。(^^;;
本当に時々しかやってこないので、バケ君が来ると、わけもなくありがたい気持ちになります。
<2004-5-9>
「ハッスル3」はなかなか面白かったです。
ただ、橋本はもう駄目な気がする。
以前の強さもなく、格だけで勝っている感じがします。
思い切って肩の治療に専念した方がいいと思うのだけれど……。
<2004-5-8>
ちょうど一ヶ月前、春菊のことを書きましたが、ついに花が咲きました。
昨年、春菊の種を撒きました。
撒いた時期が悪かったのか、芽が出た後、なかなか成長せず、さらに葉に白い筋のようなものが広がってしまいました。
虫なのか病気なのか判りませんが、食べる気がなくなってしまって、そのまま放っておいたところ、なんとつぼみがつき、先日開花。
写真のように、ガーベラに似た、結構立派なきれいな花です。
小学生の頃、菊を育てたことがありましたが、春菊は菊よりもずっと大きく、つぼみも山ほどついています。
<2004-5-7>
髪を切りに行きました。
「思い切り短くしてください」とお願いしたところ、予想以上に思い切り短くされてしまい、今、恐らく人生で一番髪が短いです。
洗髪後、タオルで髪を拭くだけで完全に乾いてしまい、ブラシでいくらとかそうと、髪型は全く変わりません。
そう、ほとんど坊主頭なのです。
でもこの感覚、悪くないです。
何よりも楽。
髪にかかっていた時間が大幅に短縮されています。
こんな風に、いろんなものをシンプルにしていけたらなぁと思いました。
<2004-5-6>
♪みんなみんな 生きているんだ 友達なんだ
ときどきこの歌に心がぐっと来ます。
<2004-5-5>
PRIDE統括本部長の高田延彦が、親指を立てて、「お前、男だ!」と言っています。
「男の中の男、出て来いや!」と、横浜出身のくせに何故か関西弁で言っています。
確かに格闘家は強いです。でも、「男らしい」とはちょっと違う気がする。
じゃあどんな職業の人が、男の中の男かなぁって、考えてみました。
ポイントは、自分の命をかえりみず何かのために働ける人、だと思うのです。
軍人? ボディーガード? 諜報部員? 消防士?
そして考えた末、ひとつの結論にたどり着きました。
真の男の中の男は、爆発物処理班の人、だと思います。
これ以上、責任と致死度の高い仕事って他にないと思う。
彼らは普段、どんな生活を送っているんだろう?
ひたすら出動に備えて、いつもどこかでじーっと待機しているのかな。
実際にその知識を使う日が来て欲しくない物のための勉強や訓練って、モチベーションを維持するのがすごく大変な気がする。
さらに、しっかり勉強をしておかないと自分の身だけではなく、他の人の命にもかかわるのですから、プレッシャーも半端じゃないでしょう。
戦争になると出てくる「武器評論家」の私生活も気になりますが、「爆発物処理班」の方々の私生活にも興味津々です。
<2004-5-4>
その後も我が家には多くの野良猫がやってきました。
クルリちゃん、ダレ君、コダレの他、6匹の猫を確認しています。
ある猫は、一度きりしか姿を見せませんでした。
ある猫は、数日餌を食べに来て、その後姿を見せなくなりました。
結局残ったのがこの3匹です。
先日、CS放送の猫の特番を見て知ったのですが、猫は生後8週間以内に人間と触れ合うことがないと、一生人間にはなつかないそうです。
ということは、彼らにいくら餌をやったところで、撫でたり抱っこしたりということは、もう無理なのでしょう。
かなり残念ですが、仕方がないですね。
もし、「野良猫を餌付けて撫でることが出来たよ」、という方がいらっしゃいましたら、是非コツをメールで教えてください。
<2004-5-3>
ダレ君登場直後、姿を見せるようになったのがコダレ(メス)です。
うちに来るようになったときはまだ小さくて、恐らくダレ君の子供だろうということで、コダレと名づけました。
クルリちゃんもダレ君も、ほとんど鳴きませんが、コダレだけは人の顔を見るとミャーミャー鳴きます。
親離れできないのか、ダレ君とセットでやって来ることも多いです。
好奇心は一番旺盛。
彼女は近所の野良猫たちのアイドル的存在で、コダレに連れられて見たこともない猫が続々我が家にやって来るようになりました。
最近では、顔を見せる時間が一番長いのがコダレです。
気がつくと窓の前で昼寝をしていたり、写真のような座り方でこちらを見つめながら窓のすぐ外にずっと座っていたりします。
クルリちゃんとダレ君が静かな子だけに、コダレが一番手のかかる子という感じです。
<2004-5-2>
クルリちゃんが我が家にやってきて、雨風がしのげるようにビニールで覆った小屋を作ってあげました。
しばらくは四六時中、その小屋で過ごしていましたが、クルリちゃんはだんだん慣れてきたのか、餌を食べるとどこかへ行ってしまうようになりました。
ある日、ふと気がつくと、小屋にまったく知らない猫が……。
「誰? 誰なの??」
それがこの、ダレ君(メス)です。
最初はオスだと思っていたのですが、その後メスだということが発覚。しかし相変わらずダレ君と呼んでいます。
我が家の野良猫の中では一番性格がお上品で、餌をあげても、他の猫が食べている間は一歩ひいていて、自分は残り物を食べています。
<2004-5-1>
今日から数日間、我が家の野良猫を紹介したいと思います。
昨年10月にも野良猫の話を書きましたが、何故「数日間」に渡って書くかというと、実は野良猫が増えてしまったからです。
本日ご紹介するのは、昨年もご紹介したクルリちゃん(オス)です。
彼がうちにやってきてから半年が経ちます。
半年も経ちますが、未だに撫でることさえできません。
人差し指を差し出すと、くんくんと匂いを嗅いでくれますが、それだけ。
餌の時間に現れて、餌を食べると真っ先にいなくなってしまいます。
「半年も経てば撫でられるだろう」とたかをくくっていたのですが、この分だともしかしたら一生、撫でることは出来ないかもしれません。
ただ、さすがに古株、野良猫たちのなかでは一番慣れていて、窓を開けると他の野良猫は逃げますが、彼だけは「早く餌よこせー」と近づいてきます。
初めにやってきた子だけに、思い入れも強く、最近では「ミラクルチャイルド」と呼んでいます。
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