確か小学校4年生くらいの頃、我が家にアメリカ人の男子学生が二人、食事にやって来ました。
ふたりともアメフトだかラグビーだかの選手で、体格がよく、身長が190センチ近くあったと思います。
真面目な青年たちでしたが、「招待された家の子供を楽しませてあげなければいけない」とでも思ったのでしょう、食事の前に、僕に向かっておいでと手を振りました。
僕は英語は判らなかったけれど、来いという空気を理解し、ニコニコしながら彼らの方へ歩いていきました。
すると突然、ふたりは両側からそれぞれ僕の右手と左手を持って僕を持ち上げ、空いた手で僕のおなかをくすぐり始めたのです。
僕はびっくりしたのとくすぐったいので、大きな声を出して笑いました。
そしてそれを彼らは「喜んでいる」と勘違いしたのか、更に激しくくすぐってきました。
彼らには力加減と言うものがなく、それはほとんど拷問のような苦しさでした。しばらくすれば終わるだろうと初めは我慢していましたが、一向に終わる気配がありません。
逃げられないし、言葉は通じないし、家族の前で恥ずかしいしで、笑い声はいつの間にか、泣き声のようになっていきました。
しばらくして学生二人も変化に気づき、慌てて僕をおろしました。
屈辱的な思いで、僕は大声で泣きたかったのだけれど、ここで泣いたらせっかくの食事会の空気が凍りつくだろうし、食事の準備をした母も困るだろうし、だけれど溢れようとする涙をこらえることも出来ず、顔を隠し、何も言わずに走って自分の部屋に駆け込みました。そして彼らが帰るまで、そこには戻りませんでした。
その後、家族の誰かが心配して来てくれたような気もしますし、「お客様に失礼だから一緒に食事をしなさい」と言われたような気もしますが、はっきり覚えていません。とにかく、彼らとは二度と顔を合わせられないという、恥ずかしい思いでいっぱいでした。
最後に覚えているのは、なんとなく漂ってきた、学生二人がその状況に困惑し、両親に何度も謝っている空気と、「子供のことだから気にしないでください」と恐縮している親の姿でした。
僕が親の立場なら、同じ様にゲストに対して「気にしないでください」と言うだろうことは、当時の僕も十分理解していました。
ただ、ここで、「うちの子供に何をするんだ!」と、親がそのアメリカ人たちに対し、真剣に怒ってくれたら、どんなに嬉しいだろうと思った記憶があります。そして、決してうちの両親はそういうタイプではなく、波風立てないことが最優先事項なのだという事実が、僕を余計に苛立たせました。
今、この出来事を振り返ると、多分、誰も悪くありません。むしろ善意が集まったところで起こった出来事だと思います。
微妙なボタンの掛け違いの結果だろうし、もしかしたら、僕がもっと強い子供で、そうやってかまってくれることを、キャッキャと喜ぶことが出来れば、何の問題もない、平和な食事会になっていたのかもしれない。
でも僕はそんなに強くなくて、結局はボタンの掛け違いの原因を作ってしまったし、その結果の大部分をひとりで引き受けてしまったのかもしれない。
この出来事がトラウマで、アメリカ人が怖いとか、親が信じられなくなったとかはもちろんないのですが、しばらくはこの出来事が頭から離れなかったし、何でもなかった出来事として、ゆっくり記憶から消えることも、ついにありませんでした。
そしてそれ以来、「悪意のない仕打ち」というのはあるのだなぁと、漠然と思うようになりました。
「悪意のない仕打ち」って、「悪意のある仕打ち」よりもずっと性質が悪いです。
誰のせいでもないのに苦しい。誰のせいでもないからその場に居合わせた自分を責めてしまう。
嫌な記憶が消えないのは、そこから学ぶことがまだあるからだと思います。
同じことが起こったときに、どう対処すれば良いのか、まだ答が見つかっていないからかもしれないし、その準備をするためにも、嫌な出来事は忘れてはいけないのかもしれません。
僕がこの手のアグレッシブな「冗談」に対して、周りが引くほど冷めているのは、今思えば、この出来事が原因だったのかもなぁと思います。
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