「恋人(友達)をひどく傷つけてしまい、自分との距離が開いてしまった。催眠で相手の心の中のその記憶を消し、元の関係に戻れないだろうか?」という相談を受けることがときどきあります。
その相手を僕のところに連れてきてくれて、相手が催眠に入ることを了承し、また、記憶の一部を思い出せなくすることにも了承してくれるなら、催眠でなんとかすることも、もしかしたら可能かもしれません。しかし気まずい関係の相手からいきなりそんなことを言われて、了承する人はいないと思います。
催眠というのは魔法ではないので、柱の影から力を送って催眠状態に入れることはできません。瞬間催眠と言う方法を使ったり、相手に催眠を意識させずにトランスに入れることは全くの不可能ではありませんが、それでも100%の人を十分な催眠状態に入れられるわけではないし、催眠に入ったところで、そのような暗示に反応するかどうかはまた、別の問題です。
そんなつもりがなかったのに大切な人を深く傷つけてしまった、その気持ち、辛さはよく判ります。そうせずにはいられなかった事情もきっとあることでしょう。
相手は未だに傷ついているし、自分も相手ともう一度以前のような関係に戻りたい。そのためだったらどんなことでもする……。
相談される方は多かれ少なかれ、そのように思っていらっしゃいます。そしてみなさん、「時間がない」という焦りを感じていらっしゃいます。
非常に残念ですが、過去を消す消しゴムってないんですよね。こちらにもっともな理由があろうがなかろうが、相手の心は現実的に傷つき、血が流れたのです。でもいずれその血は止まり、カサブタができるでしょう。そして長い時間を経て、そのカサブタがきれいに取れる日が、いつか来るかもしれません。
僕たちにできることって、祈るような気持ちで、それを待つことだけだと思うのです。
「相手の気持ちを少しでも癒したい」と中途半端に近づくことは、せっかく固まりかけていたカサブタを無理にはがしてしまうことにもなりかねません。そんなことをしたら、また血が流れ、いつまでたっても傷は癒えません。
相手が離れて行ってしまった場合、求められているのは完全な沈黙だと思う。どんなに反省しようが、償おうという気になろうが、残念ながら、もう相手に対してできることは何もないのです。その現実を受け入れなくてはいけないと思うし、相手の望むとおりに距離をあけることが、結局は一番の近道なのかもしれません。
元の関係に戻れるならば何でもする!、と思っているのであれば、最低でも1年間、相手の方をそっとしてあげて下さい。その1年間がもしかしたら、二人の関係に完璧なとどめを刺してしまうかもしれない。でもそれは仕方のないことです。それだけのことをしてしまったのだから。
相手から離れる……、これは最後に一つだけ残された「かけ」なのです。どうしようもなく相手を傷つけてしまったのと同じように、相手もどうしようもなく今は離れたい気持ちなのだから、それに従うしかないと思うのです。
うまくいけば1年後、傷は癒え、二人の関係は新しくはじまるでしょう。
「でも時間がないんです!」
いえいえ、時間はいくらでもありますよ。そのタイムリミットを決めてしまったのは誰なのか、考えてみて下さい。
傷が大きければ大きいほど、カサブタが取れるまで時間が必要です。こちらの事情でその時間を短くすることはできないのです。
この相談にはふたつの側面があります。相手の傷を癒したい、ということと、相手との関係を戻したい、ということです。おそらく前者は理性が抱えている悩み、後者は無意識が抱えている悩みだと思う。でもこのふたつ、実はぴったりくっついているんです。
もし傷つけてしまった相手と関係を戻したくなければ、「相手の傷を癒したい」とは思わないかもしれません。本人にとって問題なのは、相手の傷が癒えるかどうかではなく、ふたりの関係が戻るかどうか、なのだと思うのです。でも相手にとって重要なのは、明らかに関係が戻ることではなく、傷が癒えることなんですね。
このギャップに気がつくことができれば、自ずとどうすればよいのかが解ると思います。もしかしたら、もう自分には何もできることはない、というのが答えだという可能性も十分にあります。
僕たちは毎日の生活でたくさんの間違いを犯します。そして多分、その多くは、自分が意図していなかった間違いだろうし、良かれと思ってしてしまった間違いだと思う。
しかし間違いは間違い。その種から育った実は、自分で刈り取らなくてはいけないのです。現実を受け止めなくてはいけないのです。
間違いを犯さないように注意しながら生きていても、ちゃんとそれはどこかで待ち構えていて、誰かとの関係を切り裂いてしまうでしょう。
でも、「確かに自分はそのとき、最善を尽くしたのだ」と思えるのと思えないのでは、やはり気持ちの上では全然違うんですよね。
村上春樹の「ダンスダンスダンス」という小説に、このようなくだりがあります。
ユキという中学生の女の子が出てくるのですが、彼女は母親(カメラマン)のアシスタントであるディックノースという詩人のことが好きではありません。「どうしようもない馬鹿だ」と思っているし、日頃から実際にひどく冷たく接しています。
ある日、ディックノースは車に跳ねられてあっけなく死んでしまいます。ディックノースの死に直面し、ユキは「自分がひどいことをしたような気がする」という言葉を漏らします。それを聞いた主人公の「僕」は、溜息をつき、彼女の顔を見てこんな風に言います。
「そういう考え方は本当に下らないと僕は思う」と僕は言った。「後悔するくらいなら君ははじめからきちんと公平に彼に接しておくべきだったんだ。少なくとも公平になろうという努力くらいはするべきだったんだ。でも君はそうしなかった。だから君には後悔する資格はない。全然ない」
ユキは目を細めて僕の顔を見た。
「僕の言い方はきつすぎるかもしれない。でも僕は他の人間にはともかく、君にだけはそういう下らない考え方をしてほしくないんだ。ねえ、いいかい、ある種の物事というのは口に出してはいけないんだ。口に出したらそれはそこで終わってしまうんだ。身につかない。君はディック・ノースに対して後悔する。そして後悔していると言う。本当にしているんだろうと思う。でももし僕がディック・ノースだったら、僕は君にそんな風に簡単に後悔なんかしてほしくない。口に出して『酷いことをした』なんて他人に言ってほしくないと思う。それは礼儀の問題であり、節度の問題なんだ。君はそれを学ぶべきだ」
(中略)
「いったい私はどうすればいいのかしら?」と少しあとでユキは言った。
「何もしなくて言い」と僕は言った。「言葉にならないものを大事にすればいいんだ。それが死者に対する礼儀だ。時間が経てばいろんなことがわかるよ。残るべきものは残るし、残らないものは残らない。時間が多くの部分を解決してくれる。時間が解決できないことを君が解決するんだ。僕の言うことは難しすぎる?」
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