記憶がないという感覚は、不思議ですね。
生まれてから今日までは、部分的には記憶がありますが、当然、生まれる前の記憶はありません。
「気がついたら、いた」という感覚。
はじまりを覚えているわけでもない。
そして、昔の自分を思うとき、もちろん、同じ自分なのだけれど、本当に同一人物なのかも、怪しいような気がしてくる。
それは性格が変わったからかもしれないけれど、自分があの場所に属していたのだとか、あんなことをやっていたのだということが、本当に自分のことなのか、よく解らなくなる。まるで、中の人が変わったみたい。
ということは、20年後の自分は、もはや今の自分ではないのかもしれない。
今の自分は知らないうちにゆっくりと死んでいって、新しい自分に変わっているのかもしれません。
生まれる前を覚えていないのと同じで、死んだあとのことも、当然認識できませんね。
よく、亡くなった人に、「安らかにお眠りください」と声をかけますが、本人はその「安らかさ」さえ、感じられない。
痛かったり、苦しかったり、淋しかったり、辛かったりする人が、それらから「死ぬ」ことで解放されたところで、解放されたことを知ることもできないのは、なんだか非常に残念な気がします。
数日でもいいから、「あぁ、楽になったなぁ」って感じてから、意識がなくなったら、少しは救われるのに。
自分にとっては、生まれるということは、世界がはじまるということで、死ぬということは、世界が終わるということだと思います。
生きるというのは、ほんの数十年、世界をのぞいてみることに過ぎないのでしょう。
そう思ったら、そこでどんな経験をしようと、大した違いはないような気がしてきた。
お金持ちになったり、成功したり、愛されたりしないと意味がないという風潮は、本当に疲れますね。
意味があってもなくてもいいじゃないですか。まぁ、お茶でも飲みましょうよ。
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