何か踏ん切りがつかないときに心に浮かぶセリフがあります。
「いま使わずに、いつ使うのだ!」
これは、映画「風の谷のナウシカ」に出て来る、トルメキア軍クシャナ殿下の言葉です。
王蟲の大群が風の谷に襲い掛かろうとしているとき、クシャナはやっとの思いで手に入れ、現在養育中(?)の巨神兵を実戦投入するため、戦場を離れようとします。
「殿下、まさかあれを……。まだ早すぎます」
部下のクロトワはそう言ってクシャナを諌めます。
しかしクシャナは聞こうとしません。そこで言ったのがこのセリフ。
「いま使わずに、いつ使うのだ!」
結局、クシャナに引き連れられた巨神兵は、数度閃光を放って王蟲を蹴散らしますが、やがてドロドロにとけて死んでしまいます。
そう、まだ早すぎたのです。
でもクシャナの決断は真っ当だと思う。
いくら苦労を重ねて手に入れた巨神兵だとしても、このまま王蟲が風の谷を襲ったら、どちらにしても巨神兵はやられてしまいます。クシャナの言う通り、今使わなかったら使うときなどもうないのです。
何かのために苦労して準備をすると、その行為自体が目的を帯びていき、その「何か」よりも、準備した物の方に愛着がわいて人の判断を狂わせることがあります。
旧日本海軍の戦艦大和。あんな立派な船を作っておきながら、結局は戦果らしいものを上げることも出来ずに最後は海上特攻して沈んでしまいました。クシャナのような司令官がいて、使うところで大和を使っていれば、戦況も少しは変わっていたかもしれません。(決して勝てなかったとしても、です)
せこい話になりますが、僕もしょっちゅうそんな気持ちになります。
例えば軍手。
土いじりをするためにホームセンターで軍手の束を買い、それが引き出しに入っているのですが、いざ作業をする段になると、真っ白な軍手を使うのが忍びなく、素手で作業を始めようか一寸悩んでしまいます。すると心の中で声が聞こえます。
「いま使わずに、いつ使うのだ!」
例えばチェキのフィルム。
インスタントカメラ「チェキ」がうちにはあるのですが、チェキのフィルムって、結構高いんですよね。
せっかくチェキを持って出かけても、シャッターを押そうとするたびに、これを写真に撮る価値はあるのか、とか、あとでもっと撮りたい物が出てきて後悔するのではないか、などと真剣に考えてしまいます。すると心の中で声が聞こえます。
「いま使わずに、いつ使うのだ!」
人生を楽しめるかどうかって、このタイミングを知っているかどうかなのかもしれないなぁと思います。
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