人に意見をすると、75%の確率で、相手に嫌な気持ちを抱かせます。
あなたの友人が、ある選択について、Aにしようか、Bにしようか、散々悩み、検討した結果、Aを選んだとしましょう。
Aを選び、結局それが正解だった場合、友人は「Aを選んでよかった」と思います。
反対に、不正解だった場合、「やっぱりBを選ぶべきだった」と後悔します。
この時点では、友人がこの選択から嫌な気持ちを抱く確率は50%です。
さて、友人が「Aを選ぶことにしたよ」と何気なくあなたに話したとき、あなたは直感的に、「Bの方がいいのに」と思い、「AじゃなくてBにしなよ」と友人に意見しました。
ここで、友人はあなたの意見に耳を傾けず、やはりAを選んだとします。
しかし、すでに友人は、自分ひとりで決めたときに感じるはずだった、単純な安堵や、単純な後悔を感じることはできなくなっています。
Aを選んで正解だった場合、友人は、「Aを選んでよかった」ではなく、「あなたの意見を聞かなくてよかった」と思います。これは決してポジティブな感情ではありません。「あなたに失敗させられるところだった」と感じるかもしれませんし、あなたの考えはあてにならないという印象を持つかもしれません。
また、その結果で満足だったはずなのに、「Bを選んでいたら、もっと良い結果を得られたのではないか?」と、結果を純粋に喜べなくなってしまうかもしれません。
Aを選んで不正解だった場合も同様です。「やっぱりBを選ぶべきだった」ではなく、「あなたの意見を聞くべきだった」と友人は思います。単純な後悔ではなく、あなたの意見に耳を傾けなかったことに対する後悔、そしてあなたに対して、申し訳ない気持ちを抱くかもしれません。
あるいは、自分を説得できなかったあなたに対して、「もっと強く言って欲しかった」と、理不尽な怒りを感じるかもしれません。
それでは、あなたの意見に耳を傾けて、友人がBを選んだとしたらどうでしょうか?
Bを選んで正解だった場合、「あなたの意見を聞いてよかった」と友人は思います。これはポジティブな感情です。(ただ、人によっては、正解だったにもかかわらず、自分が間違っていたことが立証されて、プライドが傷ついてしまうかもしれません)
Bを選んで不正解だった場合は最悪です。自分は正解を選んでいたのに、あなたの意見に耳を傾けたせいで、不正解になってしまったのですから。
つまり、あなたが意見したことで、友人の辿るパターンは2から4に増え、そのうち3つは好ましくない結果ですから、75%の確率で、感じる必要のない、あなたに対するネガティブな感情を、友人は抱くことになるのです。
もちろん、友人があなたの意見を却下することに、何の躊躇いも感じない場合は、このような心配をする必要はないかもしれません。
また、友人の方から意見を求めてきた場合や、その友人の選択によって、自分にも何らかの影響がある場合、また、推測ではなく、客観的事実として、その選択で友人が、100%不利益を被ることをあなたが知っている場合は、遠慮なく意見するべきです。
しかしそうでない場合は、やみくもに人の決断に意見をするのは危険です。
友人はあんたよりも、何倍も悩み、調べた結果、そう結論を出しているかもしれないのです。
例えそれで失敗してしまっても、それはその人の問題です。
他人から指摘されて失敗を回避できても、人は何も学びません。
痛みを感じて、初めて学ぶことができます。
75%の確率で相手に嫌な思いをさせてまで、失敗から学ぶ機会を、奪うべきではないのです。
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