小学生のとき、体育の授業で50m走の練習をしていました。
僕は足が遅く、友達はほとんど9秒台でしたが、僕は10秒台。
なんとか速く走れないものかと授業中に考えました。
そして、「僕は歩幅が狭いのではないか」という結論に達しました。
例えゆっくりでも、一歩の歩幅が広ければ、速く走れるのではないか……。
そこで僕は早速、思いっきり一歩を大きくして走ってみました。それはまるで、大きくスキップをしているような走り方でした。
すると速くなるどころか、ぶっち切りのビリでゴールイン。
おかしいなぁと首を傾げていると、当時の担任、竹内先生(初老の女性教師でした)がやってきて、僕の頭をポカッと叩きました。
なぜ自分が叩かれたか理解できないでいると、「ふざけるんじゃありません!」と竹内先生は言いました。
僕は全くふざけてはいなくて、むしろ速く走ることに対する探究心から出た行動だったのですが、それは先生には伝わらなかったようです。
新宿の地下道を歩いていたら、突然そのときのことを思い出して、なんだかとても悔しい思いがしました。
自分のことながら、小学生の工夫しようとする心を踏みにじった先生は、教育者として間違っていたのではないかと思います。
でもこういうことって、もしかしたら日常に溢れているのかもしれません。
努力しているつもりが、相手にはふざけているように思われたり、ふざけるんじゃないよって思ったら、本人は結構まじめに考えていたり。
「世の中に誤解というものは存在しない。考え方の違いがあるだけだ」って誰かの本にありましたが、その通りかもしれません。
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