ダブルバインド・加瀬亮の反応

「ありふれた奇跡」第二話を観ました。

第一話(まだお読みでない方は、こちらからお読みください)を観たときは、加奈のダブルバインドぶりにただただ、圧倒されてしまいましたが、回が進むにつれ、少しずつ、加奈や翔太が育ってきた環境がはっきりしてきた感じがします。

翔太の家庭は、翔太、お父さん、おじいちゃんの3人とも、お互いにとてもストレートなコミュニケーションの取り方をします。もちろん、分かり合えないこともあるし、隠していることもあるのだけれど、基本は本心をぶつけあっていて、ぶっきらぼうな中に、人の温かさを感じます。

一方、加奈の家庭は、加奈、お母さん、お父さんの3人とも、お互いにストレートなコミュニケーションができません。本当は理解して欲しいのに、本心を隠し、一見スマートで、問わず語らず理解しあえている風を装いつつ、実は皆が孤独を感じている。何と言うか、温かい感じがあまりしません。

加奈が対人関係において、無意識的に自分を優位に導こうとするのも、会話の主導権を握らずにはいられないのも、全然引くことができないのも、この家庭の中で生きていくための術なのかな、と思いました。

このドラマはフィクションのはずですが、ここまで人間と、その環境と、人間関係を描ける山田太一の表現力には、本当に驚かされます。

今回も当然のように、加奈は否定的ダブルバインドを連発します。

一番象徴的なのが、「デートじゃなく会いたい」という発言です。

デートの定義ってなんだろう、ということにもなるのですが、あまり難しいことは考えず、年頃の男女が、完全なプライベートで約束して会うのは、それが恋人同士だろうが、そうでなかろうが、僕はデートと呼んでいいと思うし、少なくとも、誰かがそれをしてデートと思っているのであれば、自分はそうは思っていなくても、認めてあげても良いように思います。

恐らく翔太から観ても、周りの人から観ても、待ち合わせて、ふたりでコーヒーを飲もうとしているその姿は、デート以外の何ものでもないのではないかと思うのです。

しかし加奈は、きっぱりと「デートなんてしていません」と、それがデートであることを否定します。これはデートじゃないし、デートなんてしたくない。だけれど、会いたいし、私に関心があるのなら、私と向き合って欲しい、と。

翔太にしてみれば、加奈の要求通りに会えばデートをすることになるし、会わなければ相手の要求を否定することになります。どちらを選んでも、加奈に否定される(否定的ダブルバインド)わけです。

前回は、加奈がいかに、否定的ダブルバインドを連発しているかをご紹介しました。

今回は、否定的ダブルバインドに直面すると、人はどのような反応をするのか、見て行きたいと思います。

基本的には、否定的ダブルバインドに直面すると、人間はどうにかして矛盾した状態から、矛盾を取り除こうとします。その過程で以下のようなことが起こります。

注意していただきたいのは、以下の反応は、すべて無意識で行なわれ、意識的にはそれが、あたかも本心であるかのように感じられる、ということです。(それ故、洗脳が容易に起こるのです)

1.<両方の命令が矛盾しない状況に身を置こうとする>

例えば上司が部下を昼食に誘っている所を想像してください。

上司「今日はわしのおごりだ。何でも好きなもの食わせてやるぞ。何を食いたい?」
部下「ありがとうございます。……それでは、お蕎麦でも」
上司「蕎麦か。昨日食べたんだよな」
部下「そうでしたか。それでは駅前の居酒屋のランチはいかがでしょう?」
上司「せっかくわしがおごると言っているんだ。遠慮するな」
部下「はぁ。それでは……」
上司「天ぷらはどうだ。天ぷら」
部下「天ぷら、いいですね!」

一見、何の問題もない会話に聞こえますが、この上司の発言は否定的ダブルバインドです。「好きなもの選べ」と言いながらも、部下が何を選んでも、それを否定しています。発言と行動が矛盾しています。

部下にとって、「好きなものを選べ」という命令に従いつつ、上司に否定されずにすむ唯一の方法は、「上司の勧めた物が好きなものになる」ということです。

先ほども書きましたが、この反応は無意識的に起こります。ですからこの部下は、天ぷらを選んだ瞬間から、本心で「自分は初めから天ぷらが食べたかったのだ」と思い始めます。否定的ダブルバインドの怖いところは、まさにここなのです。

逆に言うと、「何だよこの上司、矛盾したこと言いやがって」と心の中で反論しながら、「天ぷら、いいですね!」と愛想よく合わせただけだとしたら、「自分は初めから天ぷらが食べたかったのだ」と思い込むことはありません。しっかり逃げ出せる状況があるので、否定的ダブルバインドは成立していないのです。

2.<どちらかの命令が無効になる状況に身を置こうとする>

今度は上司が部下に、「仕事で起こった出来事は、些細なことでも報告しろ!」と部下に命令したとします。

部下は命令通り、些細な出来事、ひとつひとつを報告しに行くと、上司は「こんな簡単なこと、わざわざ報告するな!自分で処理しろ!」と怒り出しました。

そこで部下は、今度は簡単な案件は報告せず、自分で処理を始めます。しばらくすると、上司が席を通りかかり、「何故報告しろといったのに報告に来ないんだ!」と、怒り出します。

報告しろという命令と、報告するなという命令が、矛盾しながら同時に出されているわけです。

この矛盾から解放されるには、そもそも報告するものがなければ良いわけです。つまり、仕事がなければ報告自体がなくなる。

となると、部下は、「病気になって仕事から離れる」という選択肢を選ぶかもしれません。

もちろん自分の意思で病気になるわけではありませんし、仮病でもありません。

無意識が本当に自分を病気にすることで、上司の「仕事で起こった出来事は報告しろ!」という命令を無効にでき、「報告するな!」の命令には従うことが出来ます。矛盾はなくなるわけです。

3.<どちらかの命令にのみ従うことで判断することを放棄する>

「愛している」と口では言う恋人が、頻繁に暴力を振るう場合を想像してください。

言語的メッセージと、非言語的メッセージが矛盾しています。

「愛している」という言語的メッセージに応えようと思えば、愛を返すことになりますし、暴力という非言語的なメッセージに応えようと思えば、恋人から離れることになりますが、ふたつを同時にすることはできません。そこで、自分にとってより都合の良いメッセージにだけ応え、あとは考えることを放棄してしまうことがあります。つまり、愛しているという言葉にのみ固執し、暴力については目をつぶってしまうわけです。

4.<正解が判らないために相手に服従しはじめる>

夫婦間で、奥さんが理由も言わずに怒った態度をとっていたとします。旦那さんが「何を怒っているの? 何か悪いことしちゃったかな?」と聞いても、「怒っていない」の一点張りで、理由を教えてくれません。だけれど、彼女の怒った態度はエスカレートするばかり。

怒っている事実を認めてくれないことには話し合いが始まりませんし、ご主人は、その怒りの原因が自分にあるのか、他にあるのかさえ判りません。

そういった状況が続くと、ご主人は不安感が募っていきます。

もし、奥さんに内緒にしていた後ろめたい思いがあれば、それがばれたのかもしれない、と不安になりますし、何も後ろめたいものがない場合、もしかしたらあれについて怒っているのではないか、これが嫌だったのではないか、などと、勘ぐりはじめます。

そしてどちらにしても、奥さんの怒りに堪えられなくなった時点で、旦那さんは、心当たりのあることも、ないことも、白状し、謝りはじめます。もしかしたら奥さんの怒りと何の関係のないことにまで、許しを請うようになります。

これは犯人に自白させるテクニックに通じるものがあるのですが、人間は、辛い状況から抜け出したいとき、抜け出す条件や、自分が何を求められているのか、判らなければ判らないほど、多くの情報を自ら与えようとする傾向にあるそうです。下手な鉄砲数打ちゃ当たる、という心理になるのかもしれません。

話を加奈と翔太に戻しましょう。

「デートじゃなく会いたい」と言われた翔太は、作業着で加奈に会うという行動に出ます。

この行動には、上記の4つ、すべての側面があると思われます。

作業着の自分を見せることで、(1)自分自身に対して「自分は加奈とデートできるような人間ではない」ということをはっきりさせ、「デートではなく会う」ことを可能にしようとしているのかもしれませんし、もしかしたら、(2)作業着の自分を加奈が見て、「会いたい」という気持ちがなくなることを期待していたのかもしれません。また、作業着とは直接関係はありませんが、(3)「会いたい」という命令に単純に従うことで、これがデートかどうかや、今後の二人の関係がどうなるかなどを考えることを放棄しているようにも見えます。更に、(4)本当は隠しておきたかった自分の職業を、自ら話し始めています。

このときの台詞も観てみましょう。

翔太「でも、おたく立派で、ご家族も華やかで」
加奈「ちっとも」
翔太「とても違いすぎて、勝負にならないと解って」
加奈「何の勝負?」
翔太「育ちとか、生活とか」
加奈「違うといけない?」
翔太「いや、だから、こうやって会うのはいいんだけれど」
加奈「うん」
翔太「きれいだとか、そういうこと言う付き合いじゃなくて、ただ、その、会うというか……」
加奈「友達として?」
翔太「あぁ、そう。そういうことなら、会ってもいいというか」
加奈「そのつもりだけど」
翔太「あは、もちろん」
加奈「それ以上の感情は、まだ無理でしょう」
翔太「あぁ、だから、その、まだとかいうこともなしで、ずっと、その……」
加奈「友達で?」
翔太「そう」

短い会話ですが、興味深い点がいくつかあります。

まず、加奈の発言に注目してください。一連の会話の中で、加奈が翔太に気持ちよく同意したのは、相槌のような「うん」1回きりです。後は全て、質問で返すか、否定で返すか、自分の意見を言っています。

誰かに言葉を投げるとき、打ち返してくれることを期待することももちろんありますが、反対に、しっかりと受け止めて欲しいときも多いと思います。

しかし加奈は、基本的にこの「受け止める」ということをしません。だから会話にちぐはぐな感じがあるし、相手は疲れていくのではないかと思います。

そしてこの、「相手の言葉を受け止めない」会話術が、結果的に自分を優位な立場に導いてくれることを、どうも加奈は本能的に知っているようです。

唯一「うん」と答えたのは、翔太の「会うのはいいんだけれど」という発言に対してのみです。

これは一種の飴とムチで、何度も否定されたり、理解されなかったりを繰り返された後で、このようにポンと肯定されると、肯定された出来事だけが必要以上に特別に感じられるようになります。例えば美術の授業で絵を描いて、教師から散々駄目だしをされた後、「でもあなた、配色だけは悪くないわね」って褒められたら、その人の中に「自分は配色は上手いのだ」という価値観が植えつけられます。

それと同じで、加奈は巧妙に、基本は相手を否定しつつ、自分にとって利益になることだけピンポイントで肯定することで、相手のその気持ちをより強固にしようとしています。

この会話で面白いのは、加奈が言っていた「デートじゃなく会いたい」という提案に、翔太は、「じゃあそうしましょう」という感じではなく、「僕もそう思うようになりました」ということでもなく、「きれいだとか、そういうこと言う付き合いじゃなく、ただ、友達として会う。そういうことなら、会ってもいい」と、まるで自分発信の意見のように、加奈の発言がなかったかのごとく言っている、ということです。

決して翔太は真似をしたとか、合わせたとかではないのです。元々翔太は、綺麗な加奈とデートできたことを喜んでいたし、それを望んでいたのですから。

しかし加奈の否定的ダブルバインドによって、翔太はそういった考え方に「洗脳されてしまった」のです。

蕎麦を食べたかったはずの部下が、上司の否定的ダブルバインドで、本当は天ぷらを食べたかったことに「気づいた」ように、まるでその発想が、自分の中から沸いて出てきたかのように感じているのです。

加奈はここで、分離法も使っていますね。「それ以上の感情は、<まだ>無理でしょう」と言っています。<まだ>無理ということは、完全に無理ではなく、いつか可能になるかもしれない、という意味がありますね。

これは否定的ダブルバインドでもあります。加奈は自分から、「デートはしたくない」と言い、翔太もそれに対してようやく「友達として会いたい」と応えてくれたのですから、本来ならば思い通りになったことを喜ぶべきです。しかし加奈は、友達関係を求めるようになった翔太に対し、「それ以上はまだ無理だ」と、必要のない否定で返しているのです。

さらにこの発言は、治療的ダブルバインドでもあります。この発言を言い換えると、「(あなたには)それ以上の感情(があるけれど、私に)は、(それに応えることは)まだ無理」だ、ということです。加奈がそれ以上の感情に今はなれないことを語ることで、翔太の側には「それ以上の感情があること」が前提として刷り込まれているのです。

このシーンの前に、この喫茶店に来たときの会話にも、いくつか加奈らしい心理誘導があったので、紹介したいと思います。

加奈「すいません無理言って」
翔太「ちっとも」
加奈「5分前のつもりだったけど」
翔太「7分前ですよ」
加奈「コーヒー、もう半分」
翔太「少し早くついて」

加奈にとって、待ち合わせで相手よりも先に来る、ということは、精神的に優位に立つ上でとても大切なことなのでしょう。だからこそ、「5分前のつもりだったけど」と言うことで、自分は遅れてなんていないことを宣言しておく必要があったのだと思います。更に、「コーヒー、もう半分」という発言は、そんなに待たせてしまったことを申し訳なく思っているわけではなく、逆に、「あなたは私に会うことが待てなくて約束の時間よりもずっと早くついてしまったんですね」ということを指摘し、翔太が自分を思っているのだということを、刷り込んでいるのかもしれません。

加奈「自分が死のうと思ってて、そんなことしますか?」
翔太「するかも」
加奈「するかもって、人間生きてなきゃいけないって思ったから、あの人とめたんじゃないんですか?」
翔太「そう簡単でもないような」
加奈「簡単じゃないんですか?」
翔太「気持ちって、もう少しいろいろだから」
加奈「気持ちはいろいろでも、本心はしたことで解るんじゃないですか?」

最後の、「気持ちはいろいろでも、本心はしたことで解るんじゃないですか?」というのは、分離法ですね。

「気持ち」は翔太の言う通り、複雑でいろいろかもしれないけれど、「本心」はそんなはずはない。そもそも、「気持ち」と「本心」の定義って何なのか、どういう風に違うのかも不明なのですが、とっさに分離法をされると、なかなか反論できません。

加奈は、どうしても否定できないときに、分離法で逃げる傾向があるように思います。

翔太「はっきり言います。本当の気持ちを、はっきり言います」
加奈「いいの。本当のことなんか、いいの」

解りやすいですね。(^^)

散々、「本当のあなたはもっと熱い人のはずだ」と言って本心を求めていたにも関わらず、翔太がそれを言おうとすると「本当のことなんか、いいの」です。

ナウシカなら、「どうしたんだろう、急に心を閉ざしてしまった……」って思ったかもしれません。

翔太「俺は、今、はっきり、人生は素晴らしいと思ってます」
加奈「嘘ばっかり」
翔太「本当!中城さんと、こうして……」
加奈「加奈でいいです」

このタイミングで「加奈でいいです」は、普通あり得ないと思うんですよね。

逆ならばあると思うのです。

ずっと下の名前で呼んでいたのに、突然、上の名前に変えることで、ふたりの距離が開いてしまったことを表現するとか、「馴れ馴れしく下の名前で呼ばないでよ!」と怒るとか。

でも加奈は、こんな感情的は会話の途中で、「中城さん」ではなく「加奈」と呼ぶように言っています。

表面的には、「中城さん」なんて気を使ってくれなくて構わない、と言うことなのでしょうが、「下の名前で呼んでください」というのは、通常は仲が良くなった証拠です。この状況でそのようなメッセージを送る。やはり、これも否定的ダブルバインドです。

翔太はこの場を沈めようとパニックになっていますので、この提案には反射的に従います。結果、彼の混乱はピークに達し、以後、4.<正解が判らないために相手に服従しはじめる>のように、翔太は加奈が言って欲しいだろうことは何でも口にしはじめます。

個人的には、今回一番衝撃的だった台詞は、この「加奈でいいです」でした。素でやっているとしたら、末恐ろしいです。

シャア・アズナブルなら、「このタイミングで呼び方を変更させたという事実は古今例がない」って言ったかもしれません。(すみません、アニメネタはこの辺でやめます。w)

翔太「加奈さんと、こうしていることにびっくりしてます」
加奈「どうして?」
翔太「きれいで」
加奈「急に、そんなこと言ったって」
翔太「いや、ほんとに、きれいです」
加奈「誤魔化さないで」
翔太「今、こみ上げるように、この世は素晴らしいという気持ちが」
加奈「慌てて、心にもないこと……」
翔太「こんな綺麗な人と、俺は今、デートしてて」
加奈「デートなんかしてません!」

確かに「きれいで」は急な言葉かもしれませんが、それでも、僕は翔太は、誤魔化しているとは思わないし、慌ててはいるけれど、心にもないことを言っているとは思いません。すべて、本心でしょう。

「気持ちって、もう少しいろいろだから」という先ほどの発言ももちろん、嘘ではないでしょうが、「こんな綺麗な人と、俺は今、デートしてて」「こみ上げるように、この世は素晴らしいという気持ちが」本当に沸いてきたのだと思います。

そしてそれを、「デートなんかしてません!」、とばっさり切り捨てる加奈……。

相手を操作する、という点からみれば、翔太は加奈の足元にも及びません。

しかし、今回の話を見て、翔太の方が、人として加奈よりもずっとまともだと思いました。

翔太は人の心の多様性を理解していますが、加奈は自分の感じていることが全てだと思っているような印象を受けました。

ドラマの中だけでなく、実生活においても、それは言えることだと僕は思います。

世の中には、人の心を操ることが、とても上手い人たちがいます。

思い通りに人を楽しませたり、泣かせたり、好きにさせたり、動かしたり、利用したり、契約させたりすることができる人たちです。

そのような人を見て、「人の気持ちを理解しているからこそ、ああいうことができるんだろうなぁ」って思うかもしれませんが、それは間違いです。

人の心を操ることと、相手の気持ちを理解できること、そして心の仕組みを知っていることは、3つとも全くの別物なのです。

宗教家が聖人なわけではなく、教師が人格者なわけではなく、心理学者が有能なCMプロデューサーなわけではありません。

思い通りにあなたを楽しませてくれる人が、実はあなたの気持ちを全く理解していないという現実は、普通にあり得ます。

ところで、デートの定義って、何でしょうね??

「ありふれた奇跡」のありふれた心理誘導こちら。 

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