120%が許せない

 新幹線の乗車率を表すときに「120%」というのは全く問題ないのですが、自信や可能性を表すときに「120%」を使う人をみると、何だか信用なりません。
 「120%大丈夫です!」なんて言われると、逆に心配になるのです。
 まず、こういう場合に100%より大きい数字を言ってしまう人は、「パーセント」の意味を解っていません。
 「パーセント」の「パー」は、「〜につき」という意味で、「セント」(ラテン語でcentum)は、「100」という意味ですから、「パーセント」は、「100につき」という意味があります。つまり、百分率を表します。
 百分率ですから、自信や可能性などを表す場合は、最大が100になるはずです。
 それなのに、絶対に自信があることを伝えたくて、「120%大丈夫です!」なんて言ってしまうのは、頭の悪さ丸出しです。
 「100%大丈夫です!」で良いのです。
 以前、「絶対条件が許せない」でも書きましたが、これ以上ゆずれない状況を表すために、「絶対条件」だとか、「絶対必要条件」だとかいう言葉を使いたがる人がいます。でもそんな言葉は日本語にありません。「必要条件」が正解です。「必要条件」だと、なんとなく言葉にインパクトがないから、「絶対条件」などと言ってしまうのだろうけれど、この言い方をされるだけで、「この人のいっている絶対条件というのは、本当に必要条件のことなのだろうか?」と悩んでしまい、言葉の意味も解らない人が言っている「条件」が、合っているのかどうか、全然確信が持てなくなります。
 それと同じで、「パーセント」の意味さえ解っていない人が言っている数字に、果たして意味があるのかと、信用できなくなるのです。
 仮に、この人は完全に自信があることを「120%」と呼ぶのだと仮定したら、今後この人が「100%」と言っても、何だかそれは100%じゃないような気がするし、83%くらいの気持ちで聞かなければいけないような気がする。
 言葉にインパクトを持たせたいのは解りますが、絶対条件だとか、120%だとか、雰囲気だけで数学的な言葉を使う人をみると、ついつい、話半分で聞いてしまいます。

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