ブログ 2012年
エッセイもお読みくださいね。
<2012-12-31>
今日は昼前に家を出て、年越し蕎麦を食べるために深大寺に向かいました。
開店時間から30分も経っていないし、まだお昼前だし、すぐにお店に入れるだろうと思っていたのですが、深大寺前の道は大渋滞。
駐車場も満車で、諦めて、買い物をして、家に帰ってきました。
大晦日に深大寺に行ったのは初めてでしたが、さすがに混んでいるのですね。
今年は、9月までは出版のことで頭が一杯で、ようやく一段落したと思ったら、9月末に、個人的にショックなことがあり、それを引きずったまま、気がつけば年末になっていました。
なかなかブログを書こうという気持ちにもなれず、過去を振り返ったり、これからについて悩んだりと、決して元気いっぱい、幸せいっぱいではありませんでした。
そんな 2012年も、あと数時間で終わるのだなぁと思うと、名残惜しい気持ちより、今はホッとしています。
暦など、人間が決めたものですから、新年だって、今日と繋がった明日に過ぎません。
年が明ければ何かが変わるわけでもありません。
それでも、「来年こそ!」と思えるのって、とても良いことだと思います。
<2012-12-5>
なぜハーマイオニーじゃなくてジニー?
今更ながら、ハリーポッターシリーズをすべて映画で観た感想です。
<2012-11-28>
明日の日刊ゲンダイに、「人の心を操る技術」が取り上げられるそうです。
どんな形で取り上げられるのかわかりませんが、楽しみです!
<2012-10-26>
「人の心を操る技術」の第2刷が完成しました。
こんなにすぐに増刷が決まるとは思っていませんでしたので、とっても嬉しいです。(^^)
部数もかなり多く刷っていただけました。
ひとりでも多くの方に、本書が届くといいなぁと思っています。
<2012-10-19>
ずいぶん前から、歯磨きには、電動歯ブラシを使っています。
バス磨きといって、普通の歯ブラシのような形をしているタイプを使っていたのですが、回転するタイプも使ってみたくなり、試しにブラウンの「オーラルB
DB4510NE」を買ってみました。
オーラルB シリーズの一番高いものは、1万円以上するのですが、私が購入したのは、乾電池タイプの一番安いもので、アマゾンで
1,154 円でした。
早速使っていますが、今まで届きにくかったところにしっかり届いている感じがして、とても気持ちが良いです。
特に、この電動歯ブラシを奥歯にかぶせるようにして磨くと、バス磨きでは苦労していた奥歯の喉側も楽に磨けます。
歯と歯の間にもブラシが入り込んでいく感じがして、磨き残しがないのを実感します。
磨き終わったあと、今までの歯ブラシ以上に、歯の表面がツルツルになるんです。
メーカーの宣伝している「歯垢 99.7% 除去」というのも、あながち間違っていないのかもしれません。
電動歯ブラシにしては安い部類ですが、タイマー機能もついていて、2分たつと一度振動が止まって教えてくれます。
買って間もないこともありますが、最近、歯磨きが楽しくて仕方がありません。(^^)
こんなに気持ちが良いなら、充電式にしておけばよかった。いずれ追加で買おうと思います。
先日、歯医者さんに行って、歯のクリーニングをしてもらいました。
クリーニングしてもらうと、歯の裏側や間についてしまったステインがキレイになって、行く度に「今度こそ、この状態を維持するぞ!」と思うのですが、次に行く頃には、どうしてもステインがついています。
今回はこの歯ブラシで、キレイな状態を維持できるのではないかと期待しています!
<2012-10-16>
もう、ハロウィンが日本に定着するのは無理だと思います。
<2012-10-13>
念願の、電子ピアノを購入しました!
購入したのは、CASIO の 「Privia
PX-735」です。
デモで60曲が内蔵されており、その60曲の楽譜が付属していました。
とりあえず、難易度Aとなっていた、ブルグミュラーのアラベスクを、音符をひとつずつ数えながら、どうにか1段目だけ、たどたどしく弾いてみました。
当たり前ですが、指が全然動きません。(^^;;
3つもペダルがあって、左は音が小さくなって、右は音がのびるのは解りましたが、真ん中は何のために使うのだろう?
ゼロからピアノを始めるなら、バイエルからやったほうがよいのでしょうが、きっとそれでは飽きてしまうので、知っている曲で練習しようと思っています。
<2012-10-11>
アラビア数字の「9」を考えた人には、猛省して欲しいです。
なんで、「6」をひっくり返しちゃったんだろう?
「9」が全然違う形をしていれば、例えば番号を書いたカードを配るときに、6なのか9なのかで迷うことはなかったと思うのです。
8まで考えてネタがつきちゃって、「もう6をひっくり返せばいいや」とでも思ったのかなぁ。
しかし、何故6だったんだろう?
0と1と8以外だったら、何をひっくり返してもよかったのに。
<2012-10-9>
村上春樹が「風の歌を聴け」の中で、文章を書くことについて、
「生きることの困難さに比べ、それに意味をつけるのはあまりにも簡単」
「少し気を利かしさえすれば世界は僕の意のままになり、あらゆる価値は転換し、時は流れを変える……そんな気がした」
と書いています。
私はこの小説を読んだからか、言葉に対して、とても概念的な人間になってしまったように思います。
言葉というのは、すべて「間に合わせ」に過ぎず、しかし多くの人は、そんな風に思っていなくて(いや、思っているのかな。思っていても、社会がそんな風に言葉を扱うことを許さないだけかもしれません)、だからこそ、言葉の使い方次第で、いくらでも誤魔化すことができるし、知らないふりをすることもできるし、影響を与えることもできるし、正義を振りかざすことも出来ると思っています。
言葉が不完全だからこそ、力を発揮する瞬間があるし、不完全だからこそ、慎重の限りを尽くしても無力なときがあると感じています。
文章を書くとき、ときどき、自分でも内容を理解しきれていないけれど、こう書くことで、きっと相手はこんな風に読み取るはず、みたいな感覚で書いているときがあります。
一方で、契約書のような文章が苦手です。自分の読み取った内容と、相手が伝えようとしている内容に違いがあると、後々困るからです。
音楽家が楽器や声にこだわるのと同じで、私は「たかが文章」とは思えないことがあって、ときどきそんな情熱が空回りして、面倒くさがられることもあります。
本当なら、人間が2進数か、もしくはC言語かなんかで会話できれば、世の中はずっと平和になるのでしょう。
芸術の道具としても使われうる「言葉」を、コミュニケーションの道具にしなければならないというのは、とても面白いですが、やはり、フェアじゃないなぁって思うことも多いです。
私にとって「言葉」や「文章」は、おそらく他の人に比べると、少しだけこだわりのある分野です。
<2012-10-8>
この疾走感……。途中の「GO!」で、鳥肌が立ちました。
オリジナルもいいけど、こちらのカバーも好きだなぁ。
この頃(「壊れた扉から」)の尾崎豊は、歌詞もメロディーも、神がかっていたように思います。
「十七歳の地図」や「回帰線」に比べると、詩が抽象的になり、芸術性がさらに高まっているように感じました。
「月にくるまり、闇に吠え、償いがオレをとらえて縛る。そいつに向かって歌った」
どんな状況なのか全く想像できませんが、それでも全力で共感している自分がいます。
<2012-10-5>
2222年2月21日生まれの人や、2222年2月23日生まれの人は、「あと1日ずれていれば……」って、人生の中で何度も思うのだろうな。
<2012-10-4>
もう何年も前から、ピアノにチャレンジしたいと思っていました。
置く場所を作らなければいけないし、結構大きな買い物になるので、なかなか実行に移せませんでしたが、出版も終わり、時間ができたので、少しずつ機種を選び始めています。
今、買おうと思っているのは、CASIO の 「Privia
PX-735」です。
電子ピアノの選択ポイントが良くわからないのですが、値段も手ごろだし、必要なものもすべて揃っているので、これでいいかなぁ、と。
還暦までに、月光第3楽章を弾けるようになるのが、今の夢です。
いつか、こんな動画をアップできるようになりたいです。
<2012-10-3>
車のオイル交換をしてもらっている間、置いてあった雑誌を読んでいたら、「瞑想」について書かれていました。
「瞑想」とは、「何も考えない」ことらしい。
意識的に「何も考えない」というのは、厳密に言えばとても難しいのだけれど、あまり細かいことは気にせずに、そこは「なるべく」でいいのではないかと思います。
「何も考えない状態」というのは、「頭の中で言葉を使っていない状態」なのかな?
もしそうなら、ゆったり腰掛けて、目をつぶっている間に、五感から入ってくる情報を、解釈せず、ただ感じていれば、それは瞑想なのかもしれません。
頭の先から足の先まで、至るところから皮膚感覚は伝わってきますし、いくら静かでも、何かしらの音は聞こえています。
目をつぶっていても、真っ暗ではないので、まぶたを通して伝わってくる明るさや、勝手にまぶたの裏に映し出される模様は見えています。
匂いや味だって、感じられるかもしれない。
ひとつひとつを感じていたら、何かを考えている暇はなくなってしまうし、これはそのまま、トランス誘導だなぁと思いました。
1分間、目を閉じていただけなのに、目を開いたときに、どこか遠くから戻ってきたような、不思議な感じがします。
その雑誌では、瞑想から得られるメリットがしつこいくらい宣伝されていましたが、そういった「何かを求める」姿勢は、なんだか瞑想に反した行為のように思いました。
「暇だから目をつぶってみようか」、程度でちょうどいいのかもしれません。
<2012-10-2>
夜、網戸にした窓の外から聞こえる虫の鳴き声を聞いていると、少し気が早いですが、「今年も終わっちゃうんだなぁ」って思います。
寒くなくて、暑くなくて、静かで、とりあえずこの瞬間は平和で、言うことないのだけれど、何だか寂しく感じるのは、秋をしっかり味わっている証拠なのかもしれません。
<2012-9-30>
先日、アメトーークで放送された「どうした!?品川」を観て思ったのですが、メンタリストのDaiGoは、今、完全に「調子ノリ期」ですね。
苫米地英人は安定の「ギラギラ期」。
石井裕之は、最近「どうした期」な気がします。
私ですか?
3日周期くらいで、「調子ノリ期」と「どうした期」を行ったり来たりしています。(^^;;
<2012-9-29>
先日、新宿に行ったときに、「人の心を操る技術」が書店に並んでいるか、書店めぐりをしてきました。
見本が手元に届いたときより、アマゾンで販売が開始されたときより、やはり、書店に売られているのを見てはじめて、「あぁ、本当に出版されたんだなぁ」という感情に浸れます。
新宿の大きな書店を一通りまわりましたが、紀伊国屋書店は、新宿本店、新宿南店、ともに平積みにしてありました。(写真は新宿本店です)
ブックファーストは、新宿店では面陳、新宿ルミネ店では棚に差してありました。
残念ながら、小田急デパートの中にある三省堂には在庫がありませんでした。
帰りに「もしかして?」と思い、つつじヶ丘駅前の書原という書店を探したところ、なんと、平積みにされているではないですか!
「完全熟睡マニュアル」のときには、書原には置いていなかったので、めちゃくちゃ嬉しかったです。
しばらく、売れているかどうか、毎日チェックしてしまいそうです。(^^;;
本日、出版元の彩図社さんから、「人の心を操る技術」の増刷が決定したとの連絡がありました。
こんなにはやく増刷が決まるとは思ってもみなかったし、予想していたよりも遥かに多い冊数を刷っていただけることになり、今日はとても幸せな気持ちになれました。
まだお持ちでない皆様も、大きな書店にお立ち寄りの際には、是非、手にとって、中をご覧ください。
自分で言うのもなんですが、この本、すごく良い本です!
<2012-9-27>
「にっちもさっちも」っていう言葉、最近の若い人たちは全然使いませんね。
擬態語っぽくもあり、情景が目に浮かぶので、私はこの言葉が大好きなのですが、どことなく、日本語っぽくないなぁと思っていました。
「もしかして、『niche も such も』から来ているのか?」と、さっきお風呂の中で思いました。
惜しいけど、意味が全然違います。
<2012-9-24>
ときどき、セッションにいらした方に、「どうしてそんなことまで判っちゃうんですか!」と驚かれることがあります。
大抵の場合、私としては、何か言い当てるつもりで言ったわけではなく、感じたままをお伝えしただけなので、そんな風に驚かれると、逆に私の方が驚いてしまいます。
私はマインドリーディングのテクニックを使って、相手の心を読んだわけでもありませんし、コールドリーディングのテクニックを使って、相手に「当たった」と思い込ませたわけでもありません。
私がしたことは、もっとずっと単純です。
殴られた人を見たら、「痛かっただろうな」と誰でも思いますよね。
そして痛がっている人を見たら、状況と照らし合わせて、「殴られたのかも?」と想像することができます。
私がクライアントさんの気持ちや、クライアントさんの周りの人たちの行動を言い当てることができたのも、それと同じです。
実際に私が、同じような経験をしたことがあれば、自分の経験と照らし合わせて、どう感じたのか、もしくは周りの人たちがどういった行動をとっていたのか、イメージできます。私はただ、それをお伝えしただけなのです。
ですから、こういったことは、「たまたま私が同じ経験をしたことがあったから」に過ぎません。
……と自分では理解しているのですが、最近、特にそんな風に言われることが増えた気がする。
もしかしたら、知らないうちに、占いの能力でも身についたのかな?
そんなわけ、ないか。(^^;;
<2012-9-23>
「ルパン三世
カリオストロの城」の名言といえば、銭形警部の言った「奴はとんでもないものを盗んでいきました。あなたの心です」が有名ですが、私が一番好きなのは、ルパンがクラリスに言った、「今はこれが精一杯」です。
「今はこれが精一杯」って、とても素敵な言葉だと思います。
見事な分離法で、とても前向きな言葉です。
<2012-9-22>
ずっと忙しさを理由に先延ばしにしていたことを、少しずつ、こなしています。
水槽の水の循環が悪かったのを、掃除してなおしました。
自転車の空気が抜けていたのを、虫ゴムを交換して、空気を入れなおしました。
些細なことですが、「やらなくちゃ」と思っていたものがひとつずつ終わっていくのは、気持ちの良いものです。
何だか今日は、色々なことを考えた一日でした。
私は心のどこかで、何も求めずに生きていくことが出来たら、それが一番幸せだと思っていましたが、結局は、「何も求めずに生きていく」ことを求めているのですね。
著書で偉そうに色々なことを書きましたが、自分だって全くできていないではないかと、反省しきりの一日でした。
<2012-9-20>
「催眠術でテレビは安く買えるのか〜9つの実戦的ステップ」という記事が、ライフハッカーに掲載されました。
こちらは、「人の心を操る技術」に出てくる「<ケーススタディ>テレビを安く買う方法」の引用です。
サンプルだけでなく、もう少し、どんな本なのか中を読んでみたい方は、こちらも参考にしてみてください。
今日から、ようやく Amazon
でも普通に買えるようになりました。
お近くの書店で見つけられない方は、ぜひご利用ください。
今週の土曜日(22日)には、産経新聞の朝刊に広告が掲載される予定です。
経験上、新聞に広告が掲載されると、あっという間に在庫がなくなってしまいますので、
Amazon
でのご購入を検討されていらっしゃる方は、どうぞお早めに。
本ホームページ経由でご購入いただければ、すぐに「ご購入者特典」を入手できます!
(すでに書店でご購入済みの方は、こちらからご応募ください)
<2012-9-19>
毎日、本の話題ですみません。
「人の心を操る技術」ですが、Amazon
では未だに在庫がないようです。(予約してくださった皆様、今しばらくお待ちください)
今回、いろいろなネットショップを調べていて、初めて知ったのですが、
e-hon で注文すると、お近くの書店でお支払い・お受け取りができるようです。(送料・手数料は無料です)
「お受け取り書店一覧」に、お近くの書店がある方で、ネットショッピングに抵抗がある方は、利用されてみてはいかがでしょうか?
こちらで注文したあと、受け取りの書店を選ぶだけですので、カード番号などを入力する必要はありません。
同様のサービスとして、7
net shopping
では、全国のセブンイレブンで受け取りができるのですが、支払い後の配送のため、商品を受け取るときの支払いができません。(事前にコンビニ決済することはできますが、それでは二度手間ですね)
また、楽天ブックス
では、ファミリーマート、サークルK・サンクス、ミニストップでの支払い・受け取りができますが、こちらは支払いの歳に、手数料として260円がかかります。
もちろん、どの書店でも在庫がなければ注文することはできますが、その場合、入荷までに時間がかかる場合がありますし、電話で注文をしたり、注文のために書店に出向いたりと手間がかかります。
e-hon
の、「ネットで注文、お店で支払い・受け取り」というのは、とても便利なサービスなのではないかと思います。
ちなみに、e-hon
にはすでに在庫があります。
<2012-9-18>
本日の「毎日新聞」朝刊に、「人の心を操る技術」の広告が掲載されました。
とても大きな広告で、びっくりしました。
彩図社さん、ありがとうございます!
もしかしたら、このタイトルを読んだ方の中に、「そんなことができるなら、その技術でこの本をベストセラーにしてみせろ」と思った方もいらっしゃるかもしれません。
もちろん、今回、そのような「仕掛け」を本書の中でしています。
書店で手にとって中をご覧いただければ、「買いたい」気持ちになるよう、いくつかの誘導をしており、本書の中で、私が使った手法の解説もしています。
手にとって中を読んでみることが必要ですので、平積み期間だけしかその誘導は有効ではありませんが、うまくその「仕掛け」が働いて、少しでも長い期間、平積みにしてもらえればと思っています。
<2012-9-16>
昨日より、「人の心を操る技術」が店頭で販売されているようです。
例えば、ジュンク堂のこちらのページを開き、「お店の在庫を見る」の隣にある「すべて」をクリックすると、お近くのジュンク堂に入荷されているかどうかがチェックできます。
紀伊国屋のHPには、まだ登録されていませんでした。
出版社さんの話によると、18日くらいには概ね行き渡るとのことですので、大きな本屋さんに行かれることがあれば、手にとってご覧ください!
また、18日の毎日新聞、22日の産経新聞に広告が掲載される予定だそうです。
<2012-9-11>
「人の心を操る技術」の見本が届きました。
こうやって本になったものを手にすると、パソコンに向かっていたときには感じられなかった「重み」や「厚み」を感じられて、「結構書いたなぁ」と実感します。
「これ、すごく売れちゃうんじゃないかな」と、今は夢を見ています。(^^)
サンプルの中にも、ひとつだけ「人の心を操るテクニック」が紹介されていますので、サンプルだけでも読んでみてください。
<2012-9-10>
「人の心を操る技術」を出版することになった経緯を書いておこうと思います。
前著の「完全熟睡マニュアル」発売後、「次はコミュニケーションの本を書きたい」と漠然と思っていました。
伝統的な催眠(目を閉じてトランスに入るような催眠)について、私がどのように理解しているか、原理から方法までを「完全熟睡マニュアル」でまとめました。
しかし、現代催眠(会話的なアプローチで暗示を刷り込むような催眠)については触れていませんでしたので、今度は現代催眠を使って、コミュニケーションを有利にする方法をまとめようと思ったのです。
執筆を開始したのは2010年の夏で、ドラフトを書き終わったのが2011年3月10日。地震の前日です。
ドラフトが終わった段階で、かなりのボリュームがあり、このままだと1冊では出せないし、内容的にすべての章がリンクしているので、2冊にはしたくないという悩みが生まれました。
その後、推敲をしながら、不要な部分をそぎ落とし、泣く泣く章をまるごと削ったりもして、どうにか1冊に入る量にまとめました。
推敲が終わったのが2011年の秋頃です。
今回の作品は、前回の作品と同様、出版社から依頼を受けて執筆したわけではなく、出版のあてもなく、ただ書き始めたものです。
ですから、推敲が終わったあと、今度は出版してくれる出版社を探す必要がありました。
「完全熟睡マニュアル」のときは、数社に断られたものの、「自己催眠CDつき」という企画が良かったのか、こう書房さんに拾っていただき、出版まで漕ぎつけました。
しかし、今回はなかなか出版が決まらず、ようやく彩図社さんから声をかけていただいたのが2012年4月です。
この段階では、「人の心を操る」というよりも、「人間関係が楽になる」といった内容だったのですが、「人の心を操る」ことをテーマに修正して欲しいとの依頼を受けました。
また、やはり「長い」ということで、ボリュームをさらに削る必要も生じました。
6月くらいから再び推敲作業がはじまり、9月3日にようやく入稿しました。
2年近く向き合ってきた原稿ですので、すでに「何が正解なのか」が判らなくなっており、新鮮味もなく、推敲作業は、ときに拷問のような辛ささえありました。(^^;;
「記憶術」についての章があり、自分ではお気に入りだったのですが、テーマからそれるので削除することになったのをはじめ、他の箇所でもテーマに沿わない部分を削除しなければならないのは、なんとも「もったいない」感じもしました。(記憶術に関しては、今後、なんらかの形で世に出したいと思っています。ご興味のある出版社の方、いらっしゃいますか?笑)
今は入稿も終わり、一息ついた感じです。
前著のときは、2009年8月頃に執筆を開始し、9月に完成、11月には出版が決定し、2010年2月に出版でしたから、半年で形になったことになります。今思い返せばトントン拍子でした。
すぐに次の作品のことを考えはじめたところをみると、余力もあったのでしょう。
今回は、原稿の分量が2倍以上あり、2年間もの時間をかけたので、今は正直、ワードの画面も見たくない気持ちです。(^^;;
この2年間、意識的にも無意識的にも、多くのものを「出版が終わってから向き合おう」と後回しにしてきました。
ずっと夏休みの宿題を抱えたままのような気持ちで、何をしていても、原稿のことが頭から離れませんでした。
大げさな言い方をすれば、人生の2年分をすべてこの原稿に注ぎ、その結果、人生が2年間ストップしていた感じがします。
もっと大げさな言い方をすれば、遺書を書くような、そんな気持ちで原稿に向かっていました。
軽い気持ちで書き始めたつもりだったのですが、いつの間にか、自分の中で、すごく大きなものになっていました。
先ほども書きましたが、最終チェックをするころには、読みすぎたせいで、「何が正解なのか」が判らず、この本は解りやすいのか、役に立つのか、そして面白いのか、第三者の視点で評価することが難しくなっていました。
しかし、もし「思いを込める」ことに力があるとすれば、私の中にあったたくさんの思いが込められていることは事実ですから、きっと読者の方にも、その気持ちが伝わるのではないかと思っています。
「人を操る」というテーマの本は、たくさん出版されています。
今年だけでも、私が認識している範囲で、「思い通りに人をあやつる101の心理テクニック」、「人の心を自由に操る技術」、「心を上手に操作する方法」と、3冊も出版されています。
どれもかなり売れている本ですので、すでにお読みになったことがある方もいらっしゃるかもしれません。
そして、もしかしたら、せっかく読んだのに「何の役にも立たなかった」方がいらっしゃるかもしれません。
「人の心を操る技術」は、催眠療法で使われているテクニックをベースにしていますので、上記3冊とはかなり趣が異なります。
他の本では、何も得られなかった方にも、是非読んでいただきたいと思っています。必ず、得られるものがあることをお約束します。
また、NLPに幻想を抱いて、せっかく資格をとったのに、NLPを「セミナーで教える」ためにしか使っていない、NLPerの人たちにも、是非読んでいただきたいと思っています。
NLPの虚構の部分を理解できるだけでなく、「NLPはこうすれば実際に使えるのだ」というコツをつかんでいただけるはずです。
「人の心を操る技術」というタイトルは、狙ったようなタイトルですので、これだけをみて、引いてしまう方もいらっしゃるかもしれません。
本当は、「コミュニケーションの教科書」、「完全心理誘導マニュアル」、「心の取扱説明書」などといったタイトルにしたかったのですが、出版社の意向でこちらのタイトルに決まりました。
しかし内容は、「どうやったら相手を動かせるのか」だけでなく、「コミュニケーションとは何か」を丁寧に解説したものです。
いたって真面目な本ですし、実践的な本です。「こんな方法があったのか」、「こんな方法で自分は振りまわされていたのか」と驚かれることでしょう。
こちらで「サンプルPDF」を公開していますので、まずはサンプルをお読みいただければ幸いです。
<2012-9-7>
ようやく入稿も終わり、あとは出版を待つだけになりましたので、改めてご報告いたします。
このたび、彩図社さんより、「人の心を操る技術 ―
マインドリーディングと話し方で交渉もコミュニケーションも上手くいく」という本を出版することになりました。
9/15くらいから、順次、書店にならびはじめるようです。
amazon
ではすでに予約がはじまっていますので、ご予約いただけば、発売日にお手元に届くはずです。
また、amazonでご予約(ご購入)いただいた皆様に、「ご購入者特典」といたしまして、ささやかですが、もれなくプレゼントを差しあげます。
本の詳細についてはこちら、ご購入者特典についてはこちらをご覧ください。
今日のところは、ご報告まで。
<2012-8-30>
ずいぶんと更新がストップしていました。
ここ数週間、毎晩夜中まで仕事をしており、なかなかホームページの更新に気が回りませんでした。
実は、2作目の著書を出版できることになりました。
現在、原稿の最終チェックがほぼ終わったところです。これからいくつかの確認があり、その後、入稿になります。
時間的にも気持ち的にも余裕ができそうなので、入稿が終わったら、ぼちぼち、2作目について、こちらで書いていこうと思います。
<2012-8-2>
入社式で、新入社員に向かって社長が、「入社、おめでとうございます」と言うことがありますが、そんな光景を見るたびに、「これって、あってるの?」って思います。
誰目線で言っているのかなぁって。
入りたかった会社に入社できて、友達とか家族とかが、「おめでとう!」と言うのはわかるのです。
ただ、その会社の社長が「おめでとう」というのは、告白してつきあうことになった恋人が、「私とつきあえてよかったね。おめでとう」と言っているような、そんな違和感を覚えるのです。
<2012-7-28>
歯医者に行くたびに、「もしかして、この人が GReeeeN ?」ってドキドキしているファンがいるのかもしれないと思うと、ちょっとだけ微笑ましいです。
<2012-7-27>
今、まとまった原稿を書いているのですが、文章を長時間書いていると、日本語自体がゲシュタルト崩壊して、「果たしてこれで相手は理解できるのか?」に全然自信が持てなくなります。
日本語の規則がすごく気になって、内容よりも、文章として破綻していないかどうか、そんなことばかり考えています。
「が」を使うべきか、「を」を使うべきかで悩み、「お話しました」なのか、「お話ししました」なのかで悩みます。
それは名詞として扱うのか、動詞の連用形として扱うのか、他の言葉に言い換えて、ようやく「これでいいのかな」と思います。
私は理系出身ですので、国語は専門ではないという意識があるし、反対に文系というのは、規則よりもフィーリングみたいなイメージが強かったのですが(文系の皆様、完全な偏見です。ごめんなさい)、こうやって日本語に悩んでいると、文法というのは、自然法則とまではいかないまでも、かなり理系なのではないかと思うのです。
法則性を瞬時に応用できる理系的な頭がないと、正しい日本語なんて話せないのではないかと思う。いや、そうじゃないかな。文系というのは、とても理系的な学問なのかもしれません。いやいや、そうでもないな、うーんと、理系も文系もなくて、学問というのは、すべて法則性や普遍性を追求するものなのだと思いました。あれ、当たり前か……。
上手く言えないのですが、日本語を上手く操るためには、数学的思考が不可欠なのではないかということです。
さらに、最近のワードは、文章を勝手にチェックしてくれて、「○○の方が効率がいい」という文章を書くと、「が」のところに印がついて、「助詞の連続」と怒られます。
「違和感を感じます」などと書くと、「重ね言葉」と怒られます。
なおさなくても相手も理解してくれるだろうし、もしかしたら文法的に問題があることに気づかない人の方が多いかもしれませんが、色つきで指摘されると、「まぁいいや」とはいかず、なおしたくなります。
「友達のノートパソコンの画面の隅のアイコンの色が」などという文章を書くと、「の」の連続でおかしいのですが、いざ、なおすとなると、結構悩みます。「の」の使用を最低限にして書き換えるとすると、どうすればいいのだろう?
(うう、変な例文書いちゃった。どうすればいいのかな。悩む時間がもったいないので、これはスルーします)
「の」は何連続まで許されるのか、などと考えていると、もう、2連続でもおかしい気持ちがしてしまって、完全に手が止まってしまいます。かといって、「の」を避けようとすると、逆に回りくどい文章になってしまうし。
ワードが日本語を校正してくれるのは、正しい日本語について考えるきっかけになるので、良いことだと思います。仕事でワードを使っている人は、嫌でも自分の日本語の間違いに気づかされますから、時代が進めば、ゆっくりと、日本人の使う日本語が矯正されて、正しくなっていくように思います。
しかし、その反面、外資系企業のマイクロソフトに、日本語を委ねていいのかという疑問もあります。おそらく、マイクロソフトの中には、日本語を専門に勉強してきた超エリートたちがいて、その人がアルゴリズムを組んでいるのでしょうから、彼らがワードを通して私たちに作らせる日本語が間違っているとは思いません。
それでも、一部の人たちの理解している「日本語」が、標準になってしまうのは、怖いことのように思う。
また、言葉は時代とともに変化していくものですから、このように矯正されると、新しい表現は生まれてこなくなるのかもしれませんし、不必要なひっかかりを毎日感じることになるのかもしれません。
以前は「違和感を感じる」と言われても何とも思わなかったのですが、最近、ワードのせい(?)で、「違和感を感じる」という人に、ものすごく違和感を覚えます。(^^;;
ミニストップのせいで「食べれる」は市民権を得た気もしますが、それでも、「ら抜き言葉」や「い抜き言葉」が気になります。
子供のころ、言葉をしゃべれる(あれ? ら抜き言葉? いや、あっているみたいです)ことには何の疑問も感じませんでした。自分の感じていることを言葉で表現できないなんて、あり得ないと思っていましたし、実際に上手く表現できなくて悩んだという記憶はありません。
そして英語を勉強すると、外国語を習得するのは難しいと感じました。思ったことを、いつも上手く表現できなくて、あっているのかも自信がありませんでした。
年をとるごとに、日本語が、まるで英語のように感じられるようになりました。いつもではありませんが、ときどき、上手く表現できないし、あっているのかも自信がありません。
あー、逃げてないで、原稿書かなくちゃ!
<2012-7-21>
時間短縮になるかなぁと思って、6月くらいからリンスインシャンプーを使っています。
20年位前に、一時期リンスインシャンプーブームみたいなのがあって、その頃は何の疑いもなく、リンスインシャンプーを使っていましたし、シャンプーとコンディショナーを別々に使ったときとの違いなど全く感じられませんでした。
しかし、久しぶりに使ったリンスインシャンプーは、髪がキシキシします。なんか、ただ、シャンプーで洗っただけみたいな感じです。
もしかしたら、リンスインシャンプーだと思って買ったけど、間違ってただのシャンプーを買ってしまったのかもしれません。(詰め替え用を買って、空いたシャンプーのボトルに入れたので、今となってはこれが本当にリンスインなのかどうかも、判らないのです)
何だかもう、我慢ができなくて、使いかけですが、買い置きのシャンプーとコンディショナーをあけてしまいました。
久しぶりのコンディショナー。潤い方が半端ないです。
こうでなくっちゃ。
<2012-7-20>
「努力は必ず報われる、なんて、報われたやつの言葉」 おぎやはぎ・小木博明
<2012-7-19>
昨日、いつもの帰り道を歩いていたら、路上に大きなクワガタがいるのをみつけました。
捕まえると、とても元気で、そのままだと誰かに踏まれてしまうかもしれないので、近くの木にのせてあげました。
子供のころ、ガブトムシやクワガタが大好きでした。
近所にクヌギの木があって、夏になると、カナブンが樹液を吸っていることはあるのですが、住宅地(世田谷区)でしたので、カブトムシやクワガタはやってきません。
一度だけ、コクワガタを見つけたことがあって、「クワガタはお店で買う物」と思っていたので、まるで奇跡が起こったみたいに興奮したことがあります。
しかし、そんな奇跡も、それが最初で最後でした。
ですから、「いつか、カブトムシやクワガタをたくさん捕まえたい」というのが子供のころの夢でした。
三鷹に引っ越してきて、今まで3回、カブトムシを見つけました。
当然、見つけようと思って木を見てまわっていたわけではなく、歩いていて偶然見つけたのです。
今回は、引っ越してきて初めてのクワガタでしたので、「おお!」とテンションがあがりました。
今、自分が小学生だったなら、大層喜んだだろうな、と見つけるたびに思います。
できることなら、タイムマシンで過去に戻って、子供の自分にプレゼントしてあげたいです。
それにしても、世田谷と三鷹なんて、距離はほとんど離れていないのに、こうも出会う野生動物(?)が違うことに驚きます。
僕は以前、近所で大きな蛇を見たことがありますし、家の庭で、アナグマを見たこともあります。
世田谷に住んでいたときは、アナグマはもちろん、蛇さえ見たことはありませんでした。
今度クワガタを見つけたら、写真くらい撮っておこうと思います。
<2012-7-13>
「完全熟睡マニュアル」の中国語版が発売になりました。
「マニュアル」って、中国語だと「手冊」って言うんですね。
<2012-7-10>
子供は純粋で、それがまるで良いことのように思われています。
しかし、純粋だからこそ飽きっぽくて、あてにはできないことも忘れてはいけません。
不純だからこそ長続きするし、良い結果を生むことの方が、もしかしたら多いのではないかと思います。
<2012-6-22>
将棋の羽生名人について書かれた次のふたつの文章で、どちらの方が、羽生名人は天才に感じますか?
1.羽生名人は、オセロもめちゃくちゃ強いらしいよ。
2.羽生名人は、オセロはすごく弱いらしいよ。
普通なら、1の方が天才らしいエピソードですが、私はなぜか、2の方が天才に感じます。
強さに矛盾があるところに、天才性を感じてしまうのだと思います。
実際には、オセロもめちゃくちゃ強いんだろうな。
<2012-6-6>
「完全熟睡マニュアル」の第2刷が完成しました。
長い間、在庫切れが続いていた Amazon
でも、在庫が復活しています。
買いそびれていた方、この機会に是非。(^^)
<2012-6-1>
長い間トンネルを抜けられない場合、もしかしたらそのトンネルには出口などないのかもしれませんし、すでにトンネルの外にいることに気づいていないのかもしれません。
<2012-5-26>
ブルーベリーの実が膨らんできました。(こちらは、バルドウィンという品種です)
ブルーベリーを育てていて、この時期が一番わくわくします。
<2012-5-17>
「古民家」っていう言葉の響き、好きです。
漢字にすると「古民家」なのだけれど、発音していると漢字がどこかへ消えてしまって、カタカナで「コミンカ」みたいな気がしてきます。
「トレンカ」みたいに。
「鼓笛隊」も強烈に気持ちの良い言葉です。そして、やっぱり「鼓笛隊」ではなく「コテキタイ」な気がする。
どうも、気持ちの良い言葉の共通点は、発音したときに漢字を意識させないことにあるのではないかという気がしてきました。
あとは、カ行、タ行、パ行が入るのもポイントかな。
3つ並んだ「カタパルト」なんて、最高に気持ちがいいです。
<2012-5-14>
映画「紙兎ロペ」を観てきました。
映画館の中を見回すと、いかにもロペが好きそうな感じの人たちばかりで、妙な一体感を感じました。
ショートムービーが大好きだったので、長編になって大丈夫かなぁという思いもありましたが、全くそんな心配は必要ありませんでした。
1時間半の間、ずっと、クスクス笑いっぱなし。周りの人たちもクスクス笑いっぱなし。
大爆笑ではなく、このクスクスが続く感じがロペなんですよね。
画面のいたるところに小ネタが仕込んであり、もしDVD化されたら、今度は小ネタをチェックしながらもう一度観たいです。
<2012-5-5>
先日我が家にやってきた子猫の甘露。
ミルクを飲んだ後は、こんな風に遊び始めます。
<2012-5-1>
Amazonで在庫切れが続いていた「完全熟睡マニュアル」ですが、めでたく第2刷の増刷が決定いたしました!!
5月20日付けで増刷されるようなので、6月にはAmazonの在庫も補充されることと思います。
<2012-4-30>
「そうみたい」と「Hold me tight」は似ていますが、意味は全然違います。
<2012-4-26>
「彼女は知らないなら、友達になるわ。それしかあなたに会うチャンスはないもの」
こ、こえーよ。
<2012-4-25>
昨日、トム・クルーズが夢に出てきて、こんなことを言っていました。
「日本語の『風味』って、いい言葉だよね。『匂い』でも、『味』でもなく、『風を味わう』なんて、とても繊細で、日本人らしい表現だと思うんだ」
我ながら、なぜトム・クルーズなのか、なぜ「風味」なのか、わけがわかりません。(^^;;
<2012-4-23>
アナログ終了からずっと、地デジチューナーをアナログテレビにつけてしのいできましたが、先日、ようやくテレビを購入しました。
大型テレビは、1インチが1万円を切るころから「欲しいなぁ」と思っており、何度も買おうとしました。
しかしその度に技術の進歩があり、値段もどんどん安くなったので、なかなか踏ん切りがつきませんでした。
フルハイビジョンが安くなったら、倍速液晶が安くなったら、LEDバックライトが安くなったら、3Dが安くなったら……と思っているうちに2012年になってしまいました。(^^;;
まさか自分がアナログ終了までテレビを買い換えないでいるとは思っていませんでしたし、アナログ終了後、半年以上もチューナーをつけてしのいでいるとも思っていませんでした。
購入したのは、東芝の42ZP3です。
もっと安い42型のテレビはありましたが、W録ができ、偏光式3Dなのでメガネが安く、CEVOエンジン搭載で操作のストレスがなさそうという理由で、これにしました。
今までが25型のブラウン管でしたから、大きさと綺麗さに圧倒されました。
せっかくの3Dテレビなので、3D世界遺産を毎週録画して観ています。
いつか3Dのビデオカメラを買って、マロンを撮りたいなぁと思っています。
<2012-3-12>
先日、家族の悩みでセッションにいらっしゃった方から、メールを頂きました。
転載の許可をいただきましたので、体験談としてご紹介いたします。
---ここから---
この度は本当にありがとうございました。
先生のカウンセリングルームを出ると雨が上がっていて
何だかすごく気持ちがすっきりしている自分に気がつきました。
何でもっと早く先生にお会いできなかったんだろう? と思うと、
リサーチ不足の自分に腹が立ちます。
これまで他のカウンセリングに費やした時間と費用が勿体なかったなぁ、なんて思ってしまいました(笑)
セッションでは本当にリラックスしてしまい、
前夜眠りが浅かったせいもあり、私寝ていたのではないかと心配なのですが・・・
でも、先生の声は聞こえていて
以前に受けたことのある催眠とも、カウンセリングとも全然違っていて
何だかとても不思議な気分でした。
先生とメールのやり取りをして、セッションを受けて
私はこれまで、どれだけ自分自身を責めていたのだろうと思いました。
特に家族との関係について
「私だけのせいじゃない」と思いながらも
そう考えること自体が自分自身の甘えのようにも思えて
結局また、自分自身を責めるというその繰り返しだったように思います。
先生のセッションを受けて、私の中で
相互作用の結果が今の家族関係なのだと、何だかとても腑に落ちました。
当たり前のことですが、家族から不適切な対応を受けていなければ
私がここまで家族を敬遠することなど無かったはずですから。
考えてみれば、相手に対して罪悪感に似た感情を抱いていると
その時点で、コミュニケーションでは弱者になってしまいますよね。
私はこれまで「相手の気持ちを思いやる」ことばかり考えて
人を傷つけることがこわくて、とても臆病でした。
でも、自分の気持ちをないがしろにしてまで、
まして、自分を傷つけた相手にまでそれを適用することはないのだと、今更思いました。
あるがままで、自然体でいいんだと思ったら何だか肩の力が抜けて、とても楽になりました。
--ここまで--
<2012-3-12>
よくあたる占い師というのは、未来を正確に予想できる占い師のことなのではなく、占った未来に相手を誘導できる占い師のことなのだと思います。
「これからしばらくの間、あなたのパワーが弱っていますので、事故に気をつけてください。事故は、あなたのご両親のパワーで防ぐことができますから、できるだけ親孝行してくださいね」
こんな占いをされたら、親孝行しようという気持ちになります。それが誘導です。
そしてこの占いは、外れることがありません。事故がなければ親孝行のおかげということになりますし、万が一、事故が起こったとしても、親孝行が足りなかったのだということになるからです。
「近い将来、ある人との出会いがあります。その人はあなたの人生に大きな影響を与えます。イニシャルはNです」
この場合も、出会いがあるたびに、相手の名前や苗字にNがつかないかどうか、意識するようになります。
そしてNがついている場合、意識してその人と接し、必要以上にその人の言葉に注意し、従うようになるかもしれません。
これも誘導です。
Nがついている人に出会えばそれで占いは当たったことになり、出会いがなければ、出会うまでNがつかないか意識するようになるのです。
このように、すべての占いは、十分暗示的です。
暗示の上手い占い師こそ、よくあたる占い師ということになります。
<2012-3-6>
「ビックバンセオリー」という海外ドラマを見ていたら、個人的にツボなジョークが出てきたので、ご紹介します。
ある所に農夫がいて、鶏を飼っていたんだけれど、卵を産まなかった。
そこで、物理学者に助けを求めた。
学者は、何やらいろいろ計算してこう言った。
「解決法はある。ただし、真空において、鶏が丸い球状だとすればね」
<2012-3-5>
今日聞いた名言。
「虚しくなるまでが妄想」
<2012-2-27>
僕はみかんが大好きです。
冬の間はなるべくみかんを切らさないようにしていました。
しかし気がつけば、最近、みかんを食べていません。
今シーズン最後のみかんを、全くそうとは気がつかないうちに、食べ終わっていたのです。
もし、その最後のみかんを食べるときに、「このみかんが、この冬最後のみかんなのだ」と意識していたならば、僕はもっとそのみかんを味わって食べていたことだろうし、食べ終わった後に、一抹の寂しさのようなものを感じていたのかもしれません。
しかし実際は、特別味わうこともなく、寂しさを感じるわけでもなく、おそらくは、ただ何となく、最後のみかんを食べ終わりました。
今日、ふとそれに気づいて、人生って、そういった「気がついたときには終わっている」ことの連続なのではないかと思いました。
学生の頃、友達と会って別れるときに、「もう一生会うことはないかもしれない」などと意識することはありませんでした。
しかし今、昔の友達をひとりひとり思い出すと、住所も分らず、もう一生会うことはないだろうと思える人が何人もいます。
知らないうちに、一生の別れが終わっていたのです。全くドラマチックな気分にもならず、淡々と。
もしそのとき、これでこの人に会うのは最後だと知っていたならば、どうだったのだろう?
最後のみかんに気がつかないのと同じように、当たり前だと思って意識しないことの中に、自分の人生にとって貴重な瞬間が隠されているように思います。
「いつでもできる」ことを前提に生きることは、知らないうちに多くを失うこと。
「もうできないかもしれない」と思うからこそ、気持ちが入るし、再びそれをしたくなるのです。
<2012-2-20>
このアルバムを初めて聴いたのが21年前です。
当時は、この歌詞に出てくる「40回目の誕生日」がいつか自分にもやってくるなんて、うまく想像できませんでした。
そして当然のことながら、歌詞にそれほど共感できるわけでもありませんでした。
今日、その40回目の誕生日を迎え、改めてこの曲を聴くと、何だかグサグサ心に突き刺さります。
幸い、銃で頭を撃ち抜いてはいませんが、共感している自分が少し怖いです。
セラピストという仕事をしていると、ポジティブなことしか言わない同業者もたくさんいますので、こういった音楽に共感しているということは、セラピストとして自分はどこか間違っているのではないかと思わないでもありません。
昔、就職の面接で、「あなたがこの会社の面接官だとしたら、あなたを採用しますか?」みたいな質問をされたことがあり、「はい」と答えるべきだと思って「はい」と答えながらも、心の中で、「自分よりも適した人はたくさんいるんじゃないか」と本気で思っていました。
それと同じで、自分がセラピーを受ける立場だとしたら、果たして浜省に共感しているセラピストのセラピーを受けたいと思うだろうか?
うーん、多分、受けたい。(笑)
逆に、ポジティブなことしか言わないセラピストとなんて、全然話したくない。
心のどこかでそう思っているので、僕は平気でこういうことを書いてしまうのだと思います。
<2012-2-11>
デーモン閣下、歌うますぎ。
<2012-2-9>
ヨーロッパの寒波のニュースを読むと、地球温暖化というのは本当なのかと、短絡的に思ってしまいます。
温暖化防止やCO2削減には、どこか利権の匂いがして、偽善の匂いもして、個人的には好きではありません。
環境に優しく生きられるかよりも、合理的に生きられるかどうかを考える方が、ずっと環境に優しい気がします。
例えば、電気自動車はCO2を出さないのでエコなイメージがありますが、電気を作るときに火力発電所で大量のCO2を放出しているのですから、結局は同じことのように思ってしまう。
仮に、1km走る際のトータルのCO2排出量が、電気自動車の方が少なかったとしても、ほとんど金属だけでできているガソリンエンジンと、レアメタルを大量に使っている電気自動車のバッテリーとでは、製造時の環境負荷も、廃棄時の環境負荷も、まだまだ電気自動車の方が高く、製品のライフサイクルで考えたら、電気自動車なんてちっともエコじゃないのではないかと思うのです。
もちろん、技術革新が進んでいけば、より環境に優しい電気自動車は作られるだろうけれど、現時点で「電気自動車を選ぶのはエコ」みたいな宣伝の仕方をされると、違和感を覚えます。
節電も、環境のためではなく、「だって電気代もったいないじゃん」と自分の為にすれば良いことだし、レジ袋を断るのも、環境のためではなく、「捨てるの面倒だから」と自分の為にすればそれで良いのだと思う。
<2012-2-8>
ふかわりょうが言いそうなネタ。
「お前んちの家電、みんなイオンが出るんだな」
<2012-2-6>
「心の中に絵を描けるかどうか」って、すごく大事なんだなぁと思います。
来月、3ヵ月後、半年後、そして来年、3年後の自分を、「こんな風になったらいいなぁ」と心の中で自然にイメージしている人は、きっと大丈夫です。
でも、未来に何も描けなくなったら、急速に人は老けていくのではないだろうか。
かといって、明るい未来をイメージしようと必死になるのは何か違う。
湧き水みたいに、勝手に滲みだしてこないと。
話も同じです。
聞いているだけで、心の中に次々に絵が浮かんでくる人の話は、聞いていて面白いですし、もっと聞きたくなります。
反対に、聞いていても心の中に全く絵が浮かんでこない人の話は、聞いていても、ただただ、苦痛です。
もしかしたら、未来を思い描く能力と、話す能力って、どこかで繋がっているのかもしれない。
物語を相手の心の中に描ける人は、同じ方法で自分の心の中に未来を描けるのでしょう。
<2012-2-3>
2年前に出版された「完全熟睡マニュアル」ですが、いよいよ
Amazon の在庫がなくなってしまったようです。
中古品は、まだ数冊あるようですが、CDがついていないものもあるので、ご購入の際は、CDが付いていることを確認して下さいね。
当カウンセリングルームにも、まだ少しだけ残っていますので、ご希望の方がいらっしゃれば、「お問い合わせ」より、住所、氏名をご記入の上、ご注文下さい。折り返し、入金先(三井住友銀行)をご連絡いたします。入金を確認後、送料無料でお送りします。
<2012-1-23>
やらなければならないのに、全然やりたくないとき、ついつい「スパイダソリティア」で遊んでしまいます。
一度はじめると、クリアするまでやめられず、気がつくと結構な時間が経っていることがあります。
ゲームはストレス解消になりますので、決して無駄な時間とは思っていませんが、「スパイダソリティア」は中毒性が強すぎるため、今日、断腸の思い(というとオーバーですが)でアンインストールしました。
スパイダソリティアにはまってから、10年以上が経ちます。
今まで、同じような気持ちになり、ショートカットを削除したことはあるのですが、結局エクスプローラから立ち上げてしまい、いつかはアンインストールしなければと、宿題のような気持ちでいました。
もちろん、アンインストールしたからといって、もう一生できないわけではなく、再インストールすればいつでもできますし、他のPCで遊ぶことも可能です。
しかし、それでも、すごく自由になれた気がします。
「もう、あれをしなくていいのだ」と。
好きでやっていたはずなのに、不思議です。
<2012-1-20>
40歳になるまでに、ベートーベン「月光」の第三楽章を弾けるようになることが、昔からの夢でした。
いつか電子ピアノを買って、毎日練習して、独学で弾けるようになってやる!、と。
あと1ヶ月で40歳になりますが、未だに電子ピアノさえ買っていません。
60歳でも厳しそうだから、タイムリミットを80歳にしておこうと思います。
こんな風に弾けたら、楽しいだろうなぁ。
ピアノを弾ける人って、ピアノを弾けない人は味わうことが出来ない幸せを感じることができるのだろうし、1曲を弾きこなす為に毎日ピアノに向かう人生というのは、ピアノを弾けない人生とはずいぶん違った感じがするのだろうなぁと勝手に思っています。
<2012-1-19>
「平和」と「和平」、「理論」と「論理」のように、入れ替えても成り立つ単語を、「逆配列漢字熟語対」と呼ぶそうです。
「日本」と「本日」のような、意味がまったく違ってしまうものは別ですが、「材木」と「木材」のように意味が似ているものは、以前からとても興味がありました。これ、やっぱり昔の日本人の「言葉の乱れ」がそのまま定着した結果なのかなぁ。
あ、「奈美」と「美奈」だったら、僅差で美奈派です。
<2012-1-17>
「本物のニセモノ」と「ニセモノの本物」だったら、「本物のニセモノ」が欲しいです。
きっとこの二つは、どちらも本物ではないという点においては意味は同じで、響きから連想されるイメージが違うだけだと思うのですが、「本物のニセモノ」は、何だかニセモノ作りに命をかけて作った、「100%のニセモノ」のような気がします。
一方、「ニセモノの本物」は、とりあえず似せて作っただけの、「0%の本物」のような気がします。
「本物のフィクション」と「ニセモノのノンフィクション」だとしたら、やはり「本物のフィクション」が読みたい。
「ニセモノのノンフィクション」なんて、存在理由がどこにもありません。
似た言葉で、意味が同じでも、そもそものコンセプトが全然違う場合があるのではないかと思います。
<2012-1-2>
知り合いからチケットをもらったので、大晦日の夜から元旦の朝まで、東京ディズニーランドのカウントダウンパーティーへ行ってきました。
久しぶりに観た「キャプテンEO」が懐かしかったり、初めて乗った「バズライトイヤー」に熱くなったりしましたが、一番印象に残ったのは、「ピーターパン」でした。
ピーターパンの「35分待ち」の列に並んだのは、午前3時を回った頃です。
ふと我に返り、一様に疲れた顔をして列を作っている大人たちを眺め、「この人たちは夜中の3時に、30分も列にならんでまで、ピーターパンに乗りたいんだな」と改めて思いました。ピーターパンを激しく求めているのだ、と。ピーターパンシンドロームなわけでもないのに。
目は充血し、眠気で表情はなくなり、ワクワクしているようにも見えなければ、楽しそうにも見えず、それでも何かにとりつかれたようにアトラクションをつぶしていく大人たちの姿は、とてもシュールでした。
これをマインドコントロールと言わず、何と呼べばいいのかと思いました。
もちろん、自分も含めて、です。
そんなことを思ってしまったのは、僕がつまらない大人になってしまったからではなくて、さすがのディズニーランドの魔力も、午前3時になると、少しだけ弱まってしまうからなのかもしれません。
<2012-1-1>
新年、明けましておめでとうございます。
昨年末は、思うところがあって、年賀状を1枚も書きませんでした。
ひとつは、柚子が亡くなって、猫と言えども、気持ち的に喪中なこと。
それから、年賀状1枚で繋がっている人が多くなり、それに甘んじていてはいけないのではないかという気がしたからです。
すでに繋がっていないのなら、繋がっている気持ちでいることは正しくない気がするし、繋がっていたいのなら、年賀状ではなく、他の方法でもっとしっかり繋がるべきだという気持ちになりました。
年賀状を書かないという選択は、個人的には結構大きな選択でした。
何十年も続けてきた習慣ですから。
このまま年賀状を書かないことが当たり前になるのか、やはり今年の年末には年賀状を書いているのかは判りませんが、懐かしく思われたり、懐かしく思ったりするためだけの年賀状ならば今はいらない、そんな気分です。