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ひとりごと

エッセイもお読みくださいね。

<2006-12-10>
 昨夜、夢の中に、メーちゃんというヤギが出てきました。
 メーちゃんは流暢な日本語を話し、魚屋からブリを盗んでいました。
 目覚めたとき、何か象徴的な夢でないことを願いました。

<2006-12-7>
 テレビで、「上田晋也に催眠術をかけたら100万円!」という企画をやっていました。
 日本から3人、アメリカから1人の催眠術師が、10分という制限時間の中、チャレンジしていましたが、結果はことごとく失敗。
 僕は、「本人がかかりたくないと思っていたら絶対にかからない」とは思いませんが、この状態だと、上田さんに「催眠にかかってはいけない」という暗示が強烈にかかっているので、誰がやっても、どんな方法を使っても無理ではないかと思いました。
 また、これだけ悪い条件の中で、味覚支配(1人目、4人目)や人格変換(2人目、4人目)をいきなり試す勇気はすごいですが、うまくいくはずもありません。まぁ、テレビ局側との話があってこうなったのだろうけど、本当にトランスに入れて何か暗示をいれたいのであれば、プロとしてそのチョイスはどうなんだろうと思いました。セオリー通りの腕固めも失敗していた(3人目)ところを見ると、条件反射を利用した観念運動くらいから始めるしかないのではないかと思いました。
 でもこの企画、僕は面白かったですね。テレビの催眠番組って、出演者がかかったふりをしてしまう(というか与えられた仕事をこなしてしまう)ので、催眠が魔法のように見えてしまいますが、そのような幻想を取り除くという意味では役に立ったと思います。
 番組の最後で、上田晋也に催眠術をかける自信のある催眠術師を募集していましたが、今後、どんな人がチャレンジし、どういった結末を迎えるか楽しみです。今度は、いわゆる古典的な催眠ではなく、現代催眠をしている人にチャレンジして欲しいです。あの「かからない」という頑なな姿勢は、リソースとして使えると思うんですよ。
 ここを読んでくださっている催眠療法家のみなさん、どうすれば上田晋也をトランスに入れられるか、勉強会しませんか?(^^)
 ご興味があれば、「お問い合わせ」からメールください。

<2006-11-27>
 ニュータイプ論の中に出てくる、「分かり合える人類」という言葉は素敵ですね。
 自分を主張するだけで、他人の生き方を認めない人と出会うと疲れますし、相手も自分に対し、「こいつは主張するばかりで疲れる」と考えているんじゃないかと思うと悲しくなります。
 逆に、お互いのベクトルが同じ方向(分かり合いたい)を向いていて、例え考えていることや生き方が違っても、そのままで相手を受け入れ、尊重し合える関係は心地が良いです。ラポールは「信頼関係」と説明されることが多いですが、理性的な信頼というよりも、こういった無意識的な共鳴に近いのではないかと思います。
 呼吸を合わせたところで、ミラーリングをしてみたところで、お互いが分かり合いたいと本心から思っていないと、ラポールは築けないのかもしれません。
 まだまだ僕はオールドタイプですが、急ぎ過ぎず、絶望もせず、人の革新を信じたいと思います。

<2006-11-25>
 なぞなぞを思いつきました。
 「洋服の裏地ばかり集めている町はどーこだ」
 答え:ウラジオストック

<2006-11-21>
 11月下旬って、何だか金曜日の夜みたいで昔から好きです。
 そして12月は土曜日で、お正月が日曜日ですね。
 1月3日の夜に感じる憂鬱は、サザエさんを見ながら感じる憂鬱にそっくりです。

<2006-11-17>
 久しぶりに、新作(?)形容矛盾はないかなぁとGoogleで検索したら、こちらのページがトップに表示されてびっくりしました。
 ということで、今日の形容矛盾。
 「性別不詳のおばちゃん」

<2006-11-15>
 自分が存在していること、そして世界が存在していること。
 歴史があって、その上に今の社会があって、そのルールに従って生きていること。
 当たり前のようなことが、ときどき怖くなります。
 何だか宇宙の片隅の、とても暗くて寒い場所で、誰からも忘れられてたったひとり、彷徨っているような、そんな気分に駆られます。
 そして恐らく、それは事実なのでしょう。

<2006-11-14>
 うちはまだまだ、アナログテレビですが、電気屋さんでハイビジョン収録のデジタル放送を観ると、本当に綺麗ですね。
 でも、綺麗過ぎちゃって、アップになると出演者の肌のくすみまで見えてしまい、これからのタレントさんは大変だろうなぁと思いました。
 「世界遺産」とか、「美の巨人」たちをデジタルで観てみたいです。

<2006-11-12>
 死語って大好きです。
 以前、映画のことを「活動」と呼ぶうちのおじの話を書きましたが、FEN(今はAFNって言うんですね)のことを「進駐軍放送」と呼ぶ年配の方に出会ったこともあります。
 当たり前のように会話の中に「進駐軍放送」という単語が出てきたときは、それがFENであることに気がつくまでに一呼吸かかりました。
 「進駐軍放送」と言われるだけで、あぁ、この国は戦争に負けたんだな、ということを、ついこの間のことのように、とてもリアルに感じました。
 「僕と銀座に活動を観にいきませんか?」というデートの誘い方は、意味さえ通じれば風流なのではないかと思いますが、同じように、「先日、進駐軍放送を聴いていたらママス&パパスの『夢のカリフォルニア』が流れていまして……」という会話もまた、風流なのではないかと思います。

<2006-11-11>
 ある方とメールをしていて、ガンダムの登場人物で誰が一番好きかなぁと考えました。
 メジャーな登場人物ももちろん好きですが、ガンダムに関しては、脇役たちの個性も素晴らしく、どうしてもそちらに目が行ってしまいます。
 マチルダさんの後を追うように死んでいったウッディ大尉。
 部下を脅えさせない気配りの出来る、キャメル・パトロール艦隊・ドレン大尉。
 そんな中で、一番好きなのは、ア・バオア・クーのジオング整備兵です。

整備兵「80%? 冗談じゃありません! 現状で、ジオングの性能は100%出せます!」
シャア「足はついていないじゃないか」
整備兵「あんなの飾りです。偉い人にはそれがわからんのですよ」
シャア「使い方はさっきの説明でわかるが・・・。サイコミュな、私に使えるか?」
整備兵「大佐のニュータイプの能力は未知数です。保証できるわけありません!」
シャア「はっきり言う。気に入らんな」
整備兵「どうも」
整備兵「気休めかもしれませんが、大佐ならうまくやれますよ!」
シャア「ありがとう。信じよう」

 ジオン軍のエース、シャアを前にしても物怖じせず、良いものは良い、わからないものはわからないと言ってのけ、更には「気休めかもしれませんが」と断りながらも、あのシャアに対して「大佐ならうまくやれますよ」とエールを送るすがすがしさ。戦況は悪いのに、全く戦争と関係ないかのごとく淡々と与えられた仕事をこなす職人気質なその姿勢。
 たったこれだけの登場シーンにも関わらず、彼からは何か大切なものを教えられた気がします。

 あんなの飾りです。偉い人にはそれがわからんのですよ。

<2006-11-9>
 「おおブレネリ」という歌がありますが、よく考えると訳の判らない歌です。
 「おうちはどこですか?」と聞かれたブレネリさんは、「スイッツァランドよ!」と頓珍漢な回答をし、相手は「いやいやそうじゃなくて、住んでいる家はどこなのよ?」と聞き返すこともせず、ふたりで陽気に、ヤーッホー!ホートランランラン!と踊りだすのです。
 童謡「どんぐりコロコロ」で、お池にはまって困っているどんぐりに対し、「坊ちゃん、一緒に遊びましょう!」とのんきなことを言い出すドジョウと、このブレネリさん。
 国は違えど、童謡の方法論は万国共通なのかもしれません。

<2006-11-8>
 恐らく、僕はものすごく平凡な人間です。
 だから、「変わってるね」って言われると、何を褒められるよりもすごく嬉しいですし、そう言われたくて無意識的に人と違うことを言ったりやったりしてしまうのだと思う。そして、平凡から抜け出そうと一生懸命な自分が、それ故、更に平凡に感じて、平凡スパイラル(?)に落ちてしまうのです。
 自分の凡庸性に敏感だからこそ、他人の凡庸性にも敏感で、「私は人とは違うのよ!」アピール全開の人を見ると、何だか悲しくなるし、滅多にないですが、本物の変人に出逢うと、羨ましくて仕方ありません。
 きっと、本物の変人は、自分が変人かどうかなんて考えないのだろうし、他人の評価も関係ないのでしょうね。
 関係ないけど、大江千里の「平凡」という曲は、とてもいい曲です。

<2006-11-5>
 「裏切る」って何なのかなぁって思います。
 「信じていた人に裏切られた」と言う言葉を聞くことがありますが、僕はこの言葉を聞くたびに、ふむふむ、という顔をしながら、実は全く理解していません。
 騙された、なら理解できるのです。でも、裏切られた、って何?
 辞書を引いてみると、「裏切る」とは、

 1 〔約束・信義を破って〕味方にそむき、敵につく。内通する。裏返る。
 2 〔予期に反して〕反対の結果になる。

だそうです。
 1.の意味は理解できます。戦争での裏切り行為などがこれにあたるのでしょう。同盟関係にあるのにそれを破って攻撃してきたらそれは裏切りですし、卑怯なことです。
 でも、「信じていた人に裏切られた」という場合、必ずしも敵につくわけではないので、この場合は2.の意味なのでしょう。
 つまり、この人はこうしてくれるだろう、という期待に反してそうならなかったことをして、「裏切られた」と言うらしい。そしてその相手は、今日から「裏切り者」であり、「卑怯者」になります。
 それってどうなのかなぁ。
 いや、頭では理解できるんですよ。けど、僕はこの言葉、好きではありません。
 勝手に期待して、その通りにならないから「裏切られた」って……。
 裏を返せば、相手のことを本当に理解していなかっただけなんじゃないかって思う。 
 「裏切られた」なんて言葉を使うと、まるで相手を犯罪者扱いだし、どんどん自分が惨めになるし、関係を修復できない感じがしてしまいます。
 だから「裏切られる」のはもうやめて、約束を破られたり、冷たくされたり、こちらの願いを聞いてもらえなかったり、嘘をつかれたりしてはどうでしょうか。

<2006-11-1>
 ドラえもんの道具で何が欲しい?って聞かれたとき、「そのうそほんと」とか「ウソ・エイトオーオー」とか「もしもBOX」などと答える人はセンスがないですね。気持ちは解るけど。
 例えばバーかどこかで女の子にこの質問をされたとき、なんて答えるべきかといったら、これはもう、「ピーヒョロロープ」しかないのではないかと僕は思います。

「ねぇ、ドラえもんの道具でひとつだけもらえるとしたら、何が欲しい?」
「ピーヒョロロープかな」
「ピーヒョロロープ?」
「うん。知らない?」
「知らない」
「笛とロープのセットで、笛で曲を吹くと、ロープが動いて仕事をしてくれるんだ。もってこいの曲とか、にづくりの曲とかさ」
「ふうん」

 彼女は恐らく、ピーヒョロロープについて考え、ピーヒョロロープjを選んだ彼についても真剣に考えることでしょう。
 この感覚は、例えば「タケコプター」や「どこでもドア」と答えたときの感覚とは明らかに異質で、ピーヒョロロープ以外では醸し出せないのではないかと思います。 

<2006-10-28>
 リーズナブル、という言葉があります。
 日本語では、値段が安いといった「お得」的な意味で使われることが多いですが、本来、Reasonable は「合理的」という意味です。
 そしてこの「合理的」と言う言葉は、「無駄を省いた」的な意味合いで使われることが多いですが、本来は「理屈が通っている」という意味です。Reason(理由) + able なわけですから。
 となると、日本人は、リーズナブルと言う言葉を二重に誤解しているわけです。
 理屈が通っていることが合理的なのですから、例えば、会社に遅刻して、その理由が「人身事故で電車が止まってしまった」ということだとしたら、それは合理的だし、リーズナブルです。全然無駄を省いていないし、値段が安いわけでもないけど。

<2006-10-21>
 車に乗っていたら、後ろの車を所ジョージが運転していました。
 芸能人を目撃したのは久しぶりです。
 思い出す限り、今まで目撃した芸能人をまとめますと……

 武田鉄也 車に乗っていてすれ違いました。
 谷啓 スーパーで買い物をしているところをすれ違いました。
 和田勉 中華料理屋で食事をしていると、他のテーブルで食事をしていました。
 小林亜星 横浜のランドマークタワーに入ろうとしていたら、ランドマークタワーから出てきました。
 岸部シロー レストランで食事をしていると、他のテーブルで食事をしていました。
 武藤敬司、蝶野正洋、橋本真也 大学のとき、引越しで荷物をたくさん積んだワゴン車に乗っていると、隣の車線を走っていました。車は日産インフィニティQ45。僕が手を振ると、武藤だけが手を振り返してくれました。
 森下千里 新宿中央公園の近くで、マネージャーらしき人と歩いていました。

 当たり前だけど、みんな普通に生きていました。

<2006-10-6>
 お湯を沸かす、というのは間違った日本語ではないかと思います。
 正解は、水を沸かす、じゃないかな。お湯なら沸かす必要、ないもの。
 強いて言うなら、お湯に沸かす、でしょうか。

<2006-10-5>
 溜め息をひとつつくたびに、秋が深まるような気がします。

<2006-9-29>
 思い切って、髪を坊主にしてみました。
 後頭部のチャリチャリ感を、つい、確認してしまいます。

<2006-9-21>
 子供の頃、我が家には子供用に世界の名作を編集した文庫本シリーズが1セットありました。父が買ってきたもので、「小公女」とか、「セロ弾きのゴーシュ」とか、「風車小屋の便り」、「海底二万里」など、全部で40冊くらいあったと思います。
 ドラえもんばかり読んでいた僕に、父は「マンガではなく本を読みなさい」と言って、その本棚からどれでも良いから本を読めと口うるさく言っていました。まだ、本を一冊、初めから終わりまで読んだことがなかった頃の話ですから、小学校3年生くらいだったと思う。
 僕は仕方なく、その中から「ほら男爵の冒険」という本を選びました。何故それを選んだのか覚えていませんが、「冒険」という言葉にひかれたのでしょう。
 その小説は「ほら男爵」の一人称で書かれてあり、その序文には「月にはじめて行ったのは、このわしだ」というようなことが書かれていました。
 「ほら」というのがどういう意味なのか知らなかった僕は、その序文から首を傾げました。月にはじめて行ったのはアポロ宇宙船に乗ったアメリカ人だと聞いていたので、この本はその宇宙飛行士が書いたものなのだろうかと、頭がこんがらがってしまいました。
 そこで父のところへ行き、率直にそのことを質問しました。「この人がアポロに乗っていたの?」
 父は苦笑いを浮かべながら、ほらというのは嘘という意味なのだというような説明をしてくれました。
 ドラえもんが作り話なのは理解できましたが、こんな立派な、字ばかりの本に嘘が書いてあるなんて、僕には全く理解できませんでした。それと同時に、ようやく重い腰をあげて本を読んでみようと思った気持ちが、ズタズタに引き裂かれたような思いがしました。
 僕はその本をそれ以上読まなかったし、それ以降、そのシリーズの本は一冊も読みませんでした。
 本に対するアレルギーは更に強くなり、本を読もうという気持ちは、そのせいで平均的小学生よりも2年は遅れたのではないかと思います。
 僕はとても信じやすい人間で、その頃から冗談が理解できなかったのです。
 今でも冗談って苦手。「冗談だよ」と笑われるとすごく嫌な気持ちがするし、「冗談が通じない」と言われるともっと嫌な気持ちがします。
 嘘は言っている側に多少の罪悪感があるからまだ救われますが、冗談は罪悪感を伴わないのでたちが悪いですね。

<2006-9-16>
 僕はオフコースが好きです。
 人生で初めて好きになったアーティストです。
 きっかけは、中学生の頃、姉が聴いていた「夏の終わり」という歌詞に心が震えたから。

 ♪夏は冬に憧れて、冬は夏に帰りたい♪

 たったそれだけなのだけれど、特に音楽が好きなわけでもなく、ベストテンのアイドルの歌くらいしか聴いたことがなかった僕は、「こんな歌は聴いたことがない!」とひどく衝撃を受けました。
 今思えば、ユーミン「守ってあげたい」の「遠い夏、息をころしトンボを捕った。もう一度あんな気持ちで夢を捕まえてね」という歌詞から受けた衝撃の方が遥かに大きかったし、尾崎豊の「100円玉で買える温もり」とか、佐野元春の「つまらない大人にはなりたくない」、更には洋楽を聴くようになって、ボブデュランの「How does it feel?」とか、ビートルズの「Living is easy with eyes closed」などは、「夏の終わり」よりもずっと影響を受けました。
 それでも、「夏の終わり」に始まり、友達に借りた「オフコース・ベストナウ」、姉が持っていた「Three and Two」、「over」と聴き進めるうち、オフコースにどっぷりはまってしまいました。だからオフコースを久しぶりに聴くと、僕の心はすぐに、中学時代に戻ってしまいます。学園祭とか、その後のフォークダンスとか、部屋の窓から見上げた雲とか、中間試験の帰り道とか……。
 「秋の気配」という曲は、特に好きではありませんが、オフコースの象徴的な曲だと思います。オフコースは、秋の夕暮れから夜に聴くべき曲ばかりで、必然的に、オフコースから思い出される思い出も、秋の思い出ばかりです。
 なんでオフコースのことを突然書きたくなったのかというと、「あぁ、早く、9月になれば……」という歌詞がふっと浮かんだからです。「I Love You」は、オフコースの曲にしては歌詞の内容が薄いですが、それ故に歌詞ではなく、旋律から受ける印象の強い曲です。間奏で流れるジョンレノンの死を伝えるニュースも、最後の合唱の部分も、理由は良く判らないけれど、鳥肌が立つくらい、心が共鳴します。
 子供の頃からずっと、僕は過去の自分に戻りたいという気持ちをほとんど感じたことはありませんでした。
 でも、オフコースを聴くと、一日だけ中学生に戻るのも悪くないのではないかと思うことがあります。

 「もう一度今日のニュース。ジョンレノンが死にました。享年40歳でした」

<2006-9-11>
 「トンマッコルへようこそ」という映画の試写会へ行ってきました。
 みんなで笑顔で写っているポスターから、楽しい映画だと勝手に思って観たのですが、結構内容がシビアでした。
 先日、甥と一緒に「キングコング」をレンタルして観たからかもしれないけれど、キングコングの、お金はかかっているけど中身はからっぽの映画とは対照的に、非常に濃密で、笑いあり、涙あり、完成度はすごく高い作品です。これほどのエンタテインメント作品はしばらくぶりです。
 ただ、「良かったよー」と何も考えないで言えるかというとそうでもありません。悲惨さと感動って別物なんじゃないかなぁ。
 僕の中で、今までで一番良かった映画は「トイ・ストーリー」なんだけど、ああいった、誰も傷つかないでハッピーエンドというのが、娯楽映画の基本なんじゃないかと思います。

<2006-9-10>
 努力の話の続きなのですが、実は先日、とても辛いことがあって、自分の中の自信がきれいさっぱり、なくなってしまいました。
 でもきっと、僕の経験した辛いことなんて、本当に本当に辛い経験をしている人から見れば何でもないことで、大きな力を持った誰かが、ひょいって救ってくれるわけでもなく、自分で何とかしなければいけないことなんだと解ってはいるのですが、それでも今は力が出ません。
 さっきから、外では鈴虫が鳴いています。
 鈴虫も、鈴虫でいることに自信をなくしたりするのかな。

<2006-9-5>
 努力って、何で必要なのかなぁって時々考えます。
 もちろん、努力して人は大きくなるのだけれど、大した努力もしてないのにうまくいっている人もいれば、すごく努力しているのにまったく実を結んでいない人もいます。努力の方向が間違っているのかもしれないけれど、もともと持って生まれたものが違うのだから、やはり人生は基本的にかなり不公平だと思う。
 これは自分自身の人生を振り返っても言える事で、結構努力したのに結果が得られなかったこともあれば、大した努力もなしに、すーっとそこにいけたこともある。
 一万円が目の前に落ちていて、それを拾うと、少し先にまた一万円が落ちていて、拾うと更に先に一万円が落ちていて……。それを繰り返し、ふと気がつくと自分が行きたい場所にたどり着いていた。そんな人生なら良かったのにって思います。(^^;; 

<2006-8-30>
 今年、初めてブルーベリーの摘み取り園に行きました。
 去年も摘み取り園に行ったのですが、9時開園のところ、9時ちょっと過ぎについたときにはすでに定員を超えたとのことで入場できませんでした。(早い人は6時半くらいからならんでいたのだそうです) その経験があったので、どこも摘み取り園は大人気なのだろうと思っていたところ、うちから自転車で10分くらいのところに、別の摘み取り園があるのを発見しました。
 そこも9時開園だったので、気合を入れて8時半頃に到着。ところが園には誰もおらず(笑)、一度家に帰り、もう一度9時に行ったところ、一番乗りで園に入ることができました。お客さんは少しずつ増えてきましたが、決して混んでいる感じではなく、とてもリラックスした気分で摘み取りができました。
 こちらはそのときの写真なのですが、ご覧の通り、ブルーベリーが鈴なりでした。
 多くの品種の味見もできて、大満足の一日でした。
 我が家のブルーベリー、あと何年経てばこんな感じになるんだろう。

<2006-7-31>
 少し前のニュースですが、高校野球のある監督が、大差で試合に勝っているときに雨が降り出し、雨天ノーゲームを避けるために選手に三振を命じ、結果、雨天コールドゲームで勝ちを収めた、という記事を読みました。しかし、打者に三振を命じるのはフェアプレー精神に反するということで、高野連に始末書の提示を求められたそうです。
 これ、もうナンセンスにも程があると思います。
 もし故意の三振がいけないのならば、ルールにそう明記すべきです。逆に、ルール内であれば、何をしてもいいはず。
 故意の三振が悪くて、敬遠が良いというのは理解できません。

<2006-7-23>
 ブルーベリーには、ハイブッシュ系ブルーベリーとラビットアイ系ブルーベリーがあります。
 こちらの写真は、ラビットアイ系ブルーベリーのバルドウィンです。
 何故、ラビットアイと呼ぶかというと、青くなる前に、一度ウサギの目のように実が赤くなるからです。
 今年は雨が多いせいか、なかなか実が色づきませんでしたが、ようやく赤くなり始めました。

<2006-6-30>
 WindowsXPのおまけについてくるゲームはどれも、シンプルですが中毒性があります。
 この中毒は、学生の頃のマインスイーパに始まり、ソリティア、ハーツ、フリーセルと年齢を重ねるごとに変わっていきました。そしてここ数年(!)はまっているのがスパイダソリティアです。
 フリーセルは、ほぼ100%勝てるのですが、このスパイダソリティアは中級でも勝率は五分五分。一時期は本当に毎日何時間もスパイダソリティアに明け暮れており、あまりにも時間がもったいなく思い、少しだけ自分が嫌になり、それ以来、封印していました。時間をかけている割には、頭を真っ白にしてひたすらカードを並べているので、攻略法を編み出すわけでもなく、運に左右されながら勝てたり勝てなかったりを繰り返していました。
 中級ですらそうなのですから、上級を解くなど夢のまた夢。何度かチャレンジしましたが、一列も消せずに、「こんなの解ける人、いるのかな?」といつも思っていました。そして僕のスパイダソリティアは、もっぱら中級でした。
 ここ数日、ふとスパイダソリティア熱が湧き上がり、暇さえあればカチカチやっていたのですが、なんと今日、生まれて初めて、上級がクリアできてしまいました。
 自分ができないと思っていたことができた瞬間って、何だか自分じゃないみたいで、とっても不思議です。
 お暇な人は、是非、スパイダソリティアで遊んでみてください。そして、コツがあれば、こっそり教えてください。

<2006-6-27>
 今日もアナグマを目撃しました。
 今回は僕の気配に気がつくと、アナグマはサッと走って逃げていきました。
 ご近所さんの話によると、この辺りでは結構タヌキを見たという話が多いらしく、タヌキとアナグマは似ていることから、実は同一のアナグマなのではないかと思っています。
 ここに引っ越してきてから5年になりますが、ここ最近、突然現れたところをみると、今まで住んでいた場所が突然開発され、住むところを追われたのかもしれません。

<2006-6-23>
 夜、玄関のところでブルーベリーの手入れをしていると、塀のところで音が聞こえました。
 目を上げると、ペルシャ猫が塀の上を歩いていました。
 ずいぶん綺麗な色をしていたので、「飼い猫かなぁ」と思い、顔の方に視線を移すと、びっくり!
 なんと、そこにいたのは猫ではなく、タヌキでした。
 その距離わずか1メートル。
 蛇を見たときも驚きましたが、東京でタヌキを見るなんて、本当に目を疑いました。
 タヌキは塀からフェンスに飛び移り、フェンスの上の細い部分を器用に歩いて暗闇に消えていきました。
 部屋に入り、WEBで調べてみたのですが、どうも僕が見たのはタヌキではないようです。こんなに顔がペシャンコではなく、もっと、のっぺり長い感じでした。誰かのペットのアライグマかと思いなおし、再び検索してみたのですが、アライグマでもない感じです。ということは、イタチ? ……イタチで検索した結果、イタチでもないようです。(チョウセンイタチというのが似ているような気もしましたが)
 一体あの動物はなんだったんだろう?
 Googleを行ったり来たりしながら、諦めかけたとき、僕が見たのとそっくりな動物を発見しました。
 それは、アナグマ、です。
 野生のアナグマが東京に(しかも奥多摩ではなく、武蔵野に)出没するのかどうかは知りませんし、ペットでアナグマを飼っている人がいるのかどうかも知りませんが、あれは確かにアナグマでした。
 蛇にアナグマ……。
 僕の周りで何かが動き始めています。 

<2006-6-21>
 夕暮れに自転車に乗って畑の間のアスファルトの道を走っていたら、目の前を、1.5メートルはありそうな蛇が、ものすごい勢いで横切って行きました。真っ黒な蛇でした。
 誰かが飼っていた蛇が逃げ出した可能性もありますが、あのスピード感と色合いから、恐らく野生(?)の蛇だと思います。
 旅行に行ったときに小さな蛇を見かけたことは以前に一度だけありましたが、あんなに立派な野生の蛇を見たのは生まれて初めてで、しばらくは蛇がアスファルトの上を滑る、なんとも言えない音が頭から離れませんでした。
 私の住んでいる所は、いくら23区内ではないと言っても、一応「区」に隣接していますし、野良猫以外、野生の動物が気軽に出没するような所ではありません。
 ブルーベリーの受粉にやってくるマルハナバチを見ると、「一体どこに住んでいるんだろう?」っていつも思うのですが、あの蛇こそ、どこに巣があって、普段は何を食べて暮らしているのでしょう? 一匹いるということは、当然、複数匹いるはずですよね。
 解ったようなふりをして生きていますが、まだまだ知らないことって一杯あるんだなぁって思います。

<2006-6-12>
 「きょうの猫村さん」の2巻が出たので、早速読みました。
 1巻はただただ、脱力し、くすっと笑ってしまいましたが、何だか2巻ではときどきウルウルしてしまいました。
 大して感動的なシーンがあるわけじゃないのに、何故なんだろう?
 一番胸が詰まったのは、猫村さんが、「猫」という漢字の練習をしている1コマ。
 やっぱりこういうのは、年のせいなんでしょうか……。

<2006-6-10>
 「催眠療法OFF会」に参加しました。
 偉い先生方が「こんな誘導はもう古いから……」とおっしゃるたびに、「げげげ、それ、いつもやってるよ……」と、少しだけ冷や汗をかきます。
 でも僕は今日、セイラさんが、シャアに言った言葉を思い出しました。
 「古き物がすべて悪しき物ではないでしょう」
 あぁ、セイラさん、あなたの言うとおりです。古き物が悪しき物ではなく、そこには新しいものにはない、時代を潜り抜けた価値があると思うのです。
 僕はブルーベリー栽培が趣味ですが、ブルーベリーには、200種類くらいの品種があり、今でも毎年のように新しい品種が開発され、リリースされています。ホームセンターに行くと大抵置いてある品種に「ティフブルー」という品種があるのですが、このティフブルーは古い品種で、歴史の中では第一世代の品種になります。ありきたりの品種ですから、希少価値もなく、ブルーベリーマニアの間でも、当たり前の品種として扱われることが多いです。それよりも新しく、魅力的な品種がたくさんあるのです。
 しかし、結局のところ、総合力でティフブルーを超える品種と言うのは、今のところ存在しません。どんな品種も、優れた点はあるにせよ、何かしらティフブルーには勝てないのです。それくらいティフブルーは優れた品種であり、第一世代でそのような品種が生まれたことは、もしかしたら奇跡だったのかもしれません。
 催眠誘導の基本中の基本に、ブレード法、というのがあります。
 一点を凝視させてトランスに導く方法なのですが、私はこれら、古典催眠の古びた手法は、もしかしたらティフブルーのようなものではないかと思っています。「トランスに導く」ということだけを考えれば、確かにそれは有効なのです。
 そうそう、「古典催眠」というのも、ひどい名称ですね。何だか過去の遺物みたい。せめて、クラシックとか、トラディショナルとか言って欲しいなぁ。古典って言うほど、古典だとは思わないし。
 昔、UWFや格闘技がはやり始めた頃、ジャイアント馬場は、「みんなが格闘技に走るので、プロレスを独占させていただきます」という名言を残しました。催眠OFF会に出るといつも思うのです。「みんなが現代催眠に走るので、古典催眠を独占しようかな」と。
 いや、別に現代催眠が格闘技で、古典催眠がプロレスだと言っているわけじゃないですよ。(^^;;

<2006-6-3>
 今年もそろそろラズベリーの季節になってきました。
 大した世話もしていないのに、毎年飽きるほど実をつけてくれる、我が家の植物の中では優等生です。
 ラズベリーのいいところは、当たり外れのないところ。
 イチゴは粒によって大きかったり小さかったり、甘かったり水っぽかったりと天候や育て方に左右されますが、ラズベリーはいつも変わらない美味しさで楽しませてくれます。
 生でも美味しいし、冷凍ラズベリーにすると一年中楽しめるし、ジャムにしても美味しいです。
 ラズベリーはブルーベリーに比べると品種が少ないので、ブルーベリーのように「はまる」ことはないかもしれませんが、家庭で育てる果樹の中では総合評価No1ではないかと思います。

<2006-5-24>
 確か小学生の頃のことだと思うのですが、家庭科のテストで、このような設問がありました。

「お皿を洗うときは、裏が汚れていなければ表だけ洗えばよい」

 これは○×問題です。
 裏が汚れていなければ、というのが子供心にもあからさまで、僕は「汚れてないなら洗わなくていいじゃん」と言うのが本心でしたが、「そうは言っても洗うべきなんだよね」と、×をつけました。もちろん正解でした。
 でも今思えば、この問題は本当にくだらない問題です。
 これ、○でも×でもどちらでも正解ですよね。
 仮に、「どうして汚れていないのに裏も洗わなければいけないのですか?」と先生に質問したところで、決して先生は合理的な答えを返せないでしょう。

生徒 「どうして汚れていないのに裏も洗わなければいけないのですか?」
先生 「だって、汚れていないように見えても、実際には見えないばい菌がついているかもしれないでしょ? だから表だけでなく、裏も洗わなくてはいけないのよ」
生徒 「でも先生、だったら『裏が汚れていなければ』というのはどういう意味ですか? 実際、裏は汚れていないのですか? それとも見えないばい菌で汚れているのですか?」
先生 「……」

 僕は今でも、お皿を洗っていると時々、このテスト問題を思い出し、「汚れていないのなら本当は洗う必要なんてないんだ。僕はテストで点を取るために自分の心に嘘をついたのだ」と思います。
 そして心が汚れてしまった感覚に悩まされます。

<2006-5-6>
 「梵我一如」でふと思ったのですが、私たちが「ふけーっ」と感嘆する瞬間というのは、多かれ少なかれ、訳の解らないもの、理解の及ばないもの、更には理解していないのに、解ったふりをする必要があるものに出逢ったときではないかと思うのです。
 初めて高校で「梵我一如」を習ったとき、「ウパニシャッド」という語感にはじまり、「宇宙の根本原理ブラフマン(梵)」、「自己の本質アートマン(我)」、そしてそのふたつが同一(一如)であるという発想は、それこそ「ふけーっ」のオンパレードでした。
 大人になってからは、こういった衝撃的な単語に出逢うことが少なくなったように思います。
 いや、そんな気がしているだけかな。

<2006-5-5>
 「オンパレード」というのは、[on parade] をカタカナ表記した日本語ですが、「おん・ぱれーど」と単語に区切ってちゃんと理解している人って、案外少ないんじゃないかと思います。むしろ分けるとなれば、「おんぱ・れーど」という風に区切ってしまうんじゃないかな。「まーま・れーど」とか、「げーた・れーど」とか、「ぼんが・いちにょ」みたいに。

<2006-5-4>
 オルソケラトロジーですが、1週間を過ぎた頃から急速に視力が出るようになりました。
 簡易視力表で毎日測っているのですが、昨日あたりから1.0が見えます。
 ただ、視力はコンタクトを外した直後が一番良く、時間とともにゆっくりと落ちていきます。
 朝1.0あった視力も、夕方には0.5くらいまで落ちています。
 一日視力が安定するまでは、もうしばらくかかりそうです。
 それにしても、裸眼で見えるのって快適です!

<2006-5-1>
 僕は目が結構悪く、普段はメガネやコンタクトレンズをしています。
 それで視力は出るのですが、やはり、「あぁ、目が良かったら楽なのに。。。」とコンタクトがゴロゴロする日は思います。
 数年前、テレビで「オルソケラトロジー」という角膜矯正コンタクトレンズがあることを知りました。
 夜、寝る前にオルソケラトロジーレンズを装着し、寝ている間に角膜を矯正します。
 朝、コンタクトを外すと、矯正された角膜がレンズの代わりをしてくれて、裸眼でも視力が出る、というものです。
 効果は一時的で、毎晩そのレンズをしなければ視力は戻ってしまうのですが、日中裸眼で生活できるのは魅力です。
 ……ということで、先日、思い切ってオルソケラトロジーレンズを作ってきました。
 近視が強いので、安定して視力が出るまで1ヶ月ほどかかると言われました。
 早い人だと翌日からはっきり見えるそうですが、残念ながら僕の場合、翌日も視力はほとんど変わらず。
 次の日も、その次の日も、メガネは確実にきつくなっているのですが、それでも裸眼で生活には程遠い感じでした。
 しかし、5日目くらいから効果が現れ始め、パソコンくらいならば裸眼でも見られるようになりました。
 今、始めてから1週間ちょっとです。
 このまま視力が1.0くらいまであがってくれるのか、それとも、これ以上でないのか、ドキドキの日々です。

<2006-4-7>
 「貴重なタンパク源」という言葉、大好きです。
 それだけで、人生がワイルドに感じられます。

<2006-4-6>
 先週、自転車を乗っていたら車に跳ねられてしまいました。(^^;
 止まっていた車が急に発進して押し倒されたので、それほど派手に跳ねられたわけではないのですが、倒れる瞬間、時間の流れがゆっくりになるのを感じました。一瞬の出来事だったけれど、体が倒れていく光景が心にくっきり焼き付いています。
 幸い、骨折はなく、まだちょっと痛いですが、普通に歩けます。
 体は大丈夫そうだけれど、自分のおっちょこちょい加減に正直、凹みました。
 そうです。自転車はつい先日買ったばかりの新車だったのです。(; ;)
 事故直後は脚のことで頭が一杯だったので、自転車のことまで気が回らなかったのですが、チェーンは緩んでカラカラ音がなるし、ブレーキが定期的に音を立てていました。
 数日後、修理に持っていったのですが、予想以上に自転車は重症でした。
 改めて自転車屋さんで見た僕の自転車は、前後の車輪は歪み、フレームは曲がっていました。
 こんなに曲がってしまうほどの衝撃があったのかと思うと、落ち着いていた脚の痛みもジワジワ強くなりました。(被暗示性高い?・笑)
 全部修理するとなると、買ったよりも全然高くなってしまうので、できる範囲の応急処置をしてもらって帰ってきました。
 本当は長く乗ろうと思っていたのですが、もしかしたら2年も持たずにまた買い換えなくてはいけないかもしれません。
 実は僕は、前の自転車を購入した直後も、派手に転んで怪我をしたんです。(そのときは車に跳ねられたわけではなく、段差でバランスを失って電柱にぶつかってしまいました)
 これは単なる偶然ではなく、やはり新品の自転車によるところが大きいのではないかと思いました。
 自転車って、長く乗ると体の一部のようになりますね。
 歩くように、走るように操ることができるようになります。
 だから古い自転車から新しい自転車に乗り換えた直後は、その感覚に誤差が生じ、思ったように自転車を操縦できないのではないかなぁ。
 今回も7年前も、それが原因だったのではないかと思います。
 今は、街を走っている自転車を傍から見ていると、跳ねられてしまうのではないかとドキドキするし、車がみんな凶器に見えます。(^^;; もしかしたら催眠療法が必要かもしれません……、というのは冗談ですが、改めて、自転車は危ない乗り物なのだと、とてもいい勉強になりました。

<2006-3-26>
 6年前、処分苗コーナーにあったスモモ(ソルダム)を買い、実家の庭に植えました。
 調べてみると、ソルダムは自家結実しない品種だということが判り、翌年、サンタローザという品種を受粉木として購入。
 これで実がなると毎年楽しみにしていたのですが、なぜか一向に実がなりません。
 親に聞くと、花はたくさん咲くが、両品種の開花時期が合わないため受粉されていないらしいとのことでした。
 花の時期は意外と短いもので、僕は今まで、スモモが花を咲かせる時期に実家に帰ったことがなく、たくさん咲いているところを見たこともなければ、開花時期がずれている現場を目撃したこともありません。親も毎日観察しているわけではないので、本当に開花時期がずれているのか、そもそも両品種ともちゃんと花が咲いているのか、どこか納得のいかない気持ちでした。
 花が咲かないならばしばらく待とうとも思いますが、咲いているのに実がならないのであれば、何か手を打たなくてはなりません。そこで去年、懲りずに今度はビューティーという品種を購入しました。ビューティーは花粉が多く、ソルダムとサンタローザのどちらの受粉木にもなり、更には自家結実性も高いという、まさにうってつけの品種。最悪1本でも実がなるのが魅力です。去年植えたばかりですから、まだほとんど成長もしておらず、受粉木として働いてくれるのは数年後ですが、これで駄目ならスモモはあきらめようと、やるべきことはやり尽くした気持ちでいました。
 昨日、たまたま買い物の帰りに実家に寄ってみました。
 そして庭をみてびっくり!
 ソルダムもサンタローザも、嫌というほど花芽をつけており、すでに2割ほど咲き始めていたのです。噂には聞いていましたが、本当に所狭しと咲き乱れており、ちょっと感動してしまいました。
 両方ともまったく同じペースで咲いている感じがしました。でもやっぱり納得がいきません。今年たまたま開花時期があったのか、去年までも合っていたのを親が見落としていたのか判りませんし、もし見落としていたとしたら、何故いままで実にならなかったのかも判りません。
 ただ、今年これだけ咲いているのですから、実にならなければそれは木のせいではなく、蜂が飛んでこなかったからということになりそうです。
 ちなみに、去年買ったばかりのビューティーまで、負けじと花を咲かせていたのにも驚きました。

<2006-3-23>
 新しい自転車は快調です。
 一番感動したのはオートライト!
 今までのライトは点灯するとあからさまに重く、音もうるさかったのですが、オートライトは本当に軽く、ライトがついていてもついていなくても何も変わりません。自分でつけたり消したりしなくて良いのも便利です。
 自転車に良く乗る人には是非体験して欲しいです。

<2006-3-21>
 7年間、毎日毎日乗り続けた自転車が、先日の強風のときに倒れ、その勢いで何故かパンクしてしまいました。
 今までパンクを直し、錆びたブレーキワイヤーを交換し、錆びた変速機のワイヤーを交換し、ダイナモの壊れたライトを交換しながら騙し騙し乗っていましたが、酷使しているだけあって、最近ブレーキがうるさいし、タイヤも磨り減っているし、そろそろ新しいのを買っても誰も怒られないだろう(?)ということで、本日、新しい自転車を購入しました。
 ホームセンターで自転車を選んだのですが、この7年間、確かに自転車の技術は向上しているようです。
 オートライト、ローラーブレーキという新しい概念は、7年前にはこれほど一般的ではなかったように思いますが、今はセール品よりもワンランク上の自転車にはほとんど装備されていました。
 自転車の値段はピンキリでしたが、我が家の近くは坂が多いため、変速機は必須、長い下り坂でブレーキ鳴きに悩んでいましたので、ローラーブレーキ付き、更にはライト点灯時も軽いと噂のオートライト付きで、ステンレスボディ、28インチの自転車を購入しました。
 明日の朝がちょっと楽しみです。

<2006-3-16>
 ミニストップのブルーベリーパフェを食べました。
 今年の豊作を夢見ながら食べるブルーベリーは、格別に美味しかったです。
 早く春がこないかな。

<2006-3-13>
 佐野元春の「レインボー・イン・マイ・ソウル」を聴いていたら、89年に行った横浜スタジアムのライブの事を思い出しました。
 1曲目が「新しい航海」で、前奏が始まる直前に雷鳴が鳴り、稲妻が舞台の真上を、まるで佐野元春に落ちるように輝きました。
 今までいろんなライブを見たけれど、ああいったドラマチックな偶然は後にも先にもあれきりです。
 あれからもう、17年も経つのですね。
 あのとき僕は、17才でした。

<2006-3-3>
 タイムボカンシリーズは、アニメの中で視聴者からのハガキを読んでしまうという、今ではあり得ない自由さがたまらない魅力でした。
 僕はあの、カブトムシの乗り物はそれほど好きではなく、クワガッタンが出てくると、とてもありがたい気持ちになりました。

<2006-3-2>
 「生きていることに意味はあるのか……」
 恐らく、それを考えない人生は、それを考える人生よりもずっと意味があり、楽しいものなのだと思います。
 この問いに頭を悩ませることは、人間を深くするかもしれませんが、もしかしたら幸せを運んできてくれはしないのかもしれません。
 僕にとってこの問いは、やはり恐ろしい質問です。

<2006-2-21>
 録画しておいたR−1グランプリを観ました。
 個人的には、バカリズムの「トツギーノ」がダントツで面白かったです。
 関係ないけど、おぎやはぎの矢作が歌う「顔が好き」は、まじめにすごくいい歌だと思います。

<2006-2-11>
 さだまさしの「償い」という曲を初めて聴きました。
 数分の曲が、まるでひとつの映画のように心に染み込み、涙をこらえるのに必死でした。
 手紙の内容なんてどうでもよかった、という気持ち、すごく良く解ります。

<2006-2-4>
 今朝、プランターのイチゴに水をあげ、夕方そのプランターをふと見ると、底の穴から流れ出した水がそのまま凍り、ツララのようになっていました。
 ということは、僕が水をあげた時でも気温は氷点下で、昼間もそれほど気温が上がらなかったということなのでしょう。
 確かに今日も風があったせいか外はすごく寒かったです。
 この冬の寒さはやはり異常ですね。

<2006-1-30>
 死ぬ前に一度くらいは、「これは演習ではない。繰り返す。これは演習ではない!」って言ったり言われたりするのかなぁと、ふと洗面所で手を洗いながら思いました。

<2006-1-28>
 東大和市で、集団生活を拒否した女性が脅迫された事件で、容疑者の家からは催眠術関連の本がたくさん押収されたそうです。
 50過ぎの男性が、大勢の20代女性と集団生活をしていたのですから、「何か」理由がないと周りは納得ができないわけで、その「何か」が「催眠術」になってしまったのでしょう。
 仮に、彼の家からブルーベリー関連の本が山のように出てきたところで、警察はブルーベリー関連の本は押収しなかったと思います。
 つまり、「ブルーベリー栽培で女性の心は動かせなくても、催眠術だったら動かせる」と警察は考えているからこそ、催眠術関連の本を押収したのです。
 世間一般の催眠のイメージって、やっぱり人を騙したり、思い通りに動かすテクニックのひとつなんだなぁと思うと、少し悲しくなりました。
 確かに催眠で不思議なことは起こりますが、それはあくまで、「本人がそうなることを許している」からこそ、そうなるのです。テレビのバラエティー番組で、芸人がどんな暗示にも反応しているのは、そうなるだけの動機があるからこそなのです。(決してかかったふりをしているわけではなく、動機があるからこそ反応するのです)
 催眠だけで犯罪を犯すことは不可能です。(仮にできたとしたら、恐らく催眠など使わなくても結局はできたのです)
 もちろん、コミュニケーションというのは広義の意味での催眠ですから、その能力に長けている人ほど、人の心を動かせることもまた、事実です。そして、その訓練をする際、催眠の知識は役に立つ部分もあるでしょう。
 しかし、そんな勉強より、今流行っているファッションの勉強でもして、外見を変えることの方が、もしかしたらよほど強力に人の心を動かせるのかもしれないのです。
 催眠は道具に過ぎません。
 それは、お金や権力や腕力や外見や涙が道具になるのと全く同じことです。
 この容疑者は、もちろん催眠の技術も使ったことでしょうが、それだけではなく、ありとあらゆるコミュニケーションの方法を利用して、女性の心を変えていったのだと思います。
 催眠を使えばこういうことが起こる、というのは大きな間違いです。
 心とは、それほど単純なものではないのです。

<2006-1-21>
 久しぶりに、渡辺美里の「ribbon」というアルバムを引っ張り出して聴きました。
 このアルバムは、彼女が「戦後最大のPOPアルバム」と自ら言うほどのことはあり、アルバムとしての完成度は、小沢健二の「LIFE」に匹敵すると思います。
 とにかく彼女の歌唱力は圧倒的。
 日本で一番歌が上手いのは、間違いなく佐々木功なのですが(笑)、渡辺美里は僅差で2位だと思います。
 ただひとつ難点なのは、今、渡辺美里を聴くと、どうしても友近の顔が浮かんできてしまうということです。
 友近のモノマネする「My Revolution」は、もしかしたら既に本家を超えてしまったかもしれません。
 何はともあれ、「ribbon」。
 君はセンチメンタルカンガルー。
 意味は判らないけれど、確かにあの頃は幸せでした。

<2006-1-13>
 お正月にまとめて放送していた「電車男」を、今更ながら、ぼちぼち観ています。
 今日は電車男が脱ヲタクを宣言し、大切にしていたフィギュアなどを捨てる回だったのですが、ダンボールを川に流しているところで「風にひとりで」がBGMで流れ、ホリケンの「マチルダさーん」に、思わずジーンときてしまいました。
 僕はフィギュアを集めたり、コミケに行ったりはしませんが、このドラマを観ると、基本的にはヲタクの血が流れているのだなぁと思わされます。

<2006-1-7>
 TVKで年末年始に放送していた「雅楽戦隊ホワイトストーンズ」を観ました。
 話も面白かったですが、何より初めと終わりの歌が良かったです。
 特に「ホワイトストーンズ愛のテーマ」の中の、「平成元年 厚別区が分区したとき」辺り、初めて聴いたとき震えました。
 こちらで1話だけ無料で観られます。

<2006-1-2>
 年を取るごとに、一年が短く感じられます。
 まだ正月二日ですが、指の間から日々が零れ落ちていくような感覚に襲われます。

催眠療法で癒しを体験してみる部屋