ひとりごと
<2003-9-30>
いよいよ10月ですね。
今年は夏が寒くて、9月が暑かったので、例年以上に「もう10月?」という感じがします。
僕は晩秋から年末にかけてが、一年で一番好きな季節です。
大江千里の「バンドをつくろう」という歌に、「今年はどんなところで、クリスマスをするの?」という歌詞があるのですが、あと1ヶ月もすれば、だんだんとそんな雰囲気になっていくのでしょう。
大江千里と言えば、昔FMで番組をしていたことがありました。
初めてその番組のことを友達から教えてもらって聴いたとき、いきなり流れてきたのが「真冬のランドリエ」という、どちらかというとマイナーな曲でした。
それまでこの曲がいいと思ったことなんてなかったのですが、ラジオだと「今たくさんの人がこれ聴いているんだなぁ」という気持ちになって、とても感動したのを覚えています。
<2003-9-29>
10月1日(水)午後7時より、「藤岡弘、の探検隊シリーズ第3弾」が放送されます。
前々回の「今夜復活!!
伝説の探検隊が帰って来た アマゾン奥地1500キロ! テラプレータの密林に謎の猿人ジュンマは実在した!」、前回の「ベトナム奥地ラオス国境密林地帯に呪われた竜の使い人食いヅォンドゥーは実在した!」も強烈でしたが、今回も、タイトルの「南米ギアナ高地切り裂かれた大地の闇に謎の地底人クルピラは実在した!!」からして、いかがわしさ全開です。地底人って? クルピラって?
前回のヅォンドゥーのときは大きなニシキヘビをヅォンドゥーと言い切ってお茶を濁していましたが、おそらく今回も、原住民(というか原住民役)をチラッと登場させて、「クルピラは実在した!」と言い切る展開になることでしょう。
「さとうきび畑の唄」を観て、とてもブルーな気分ですが、今週は藤岡弘、に救われそうです。
ちなみに藤岡弘、は、「藤岡弘」から改名して「藤岡弘、」にしたそうです。(僕の句読点の打ち方がおかしいわけではありません)
もしや「モーニング娘。」の影響か?、と思われた方もいらっしゃると思いますが、モーニング娘。よりも遥か昔に改名していたそうです。
藤森夕子はまた無関係にゲテモノを食べさせられるのかな。
<2003-9-28>
山のように出来てしまったイチゴの苗を、プランターに植えました。
10個のプランターに3つずつ植えたのですが、まだまだ苗は残っていて、どうしようか悩んでいます。
畑でも借りようかな。
<2003-9-27>
「私がオバさんになっても、泳ぎに連れてくの?」と歌っていた森高千里も、もうすぐおばさんと呼ばれてもおかしくない年齢ですね。
僕は以前、結局すべての女性の行き着くべき先は森高なのではないかと思っていたほど森高が好きでした。
彼女が一番面白かったのは、ビールや旅行のコマーシャルに多用される前の、フリフリな衣装をきて、訳のわからない踊りを踊っていたときだったのではないかと思います。
非実力派宣言のポスターをレンタルビデオ屋で見て、衝撃を受けたのがついこの間のように思い出されます。
<2003-9-26>
童謡「どんぐり
ころころ」で、調子よく一緒に遊んでいたくせに、突然、「やっぱりお山が恋しい」と泣いてドジョウを困らせるドングリのワガママぶりはどうなんでしょうか。
ドングリを「坊ちゃん」などと呼び、親切にも遊んであげているドジョウの人生には何があったのかも気になりますし、「ドンブリコ」という意味不明な造語も、マジンガーZの主題歌に出てくる「マジンゴー」に匹敵するほど「?」です。
<2003-9-25>
「ピンポン」をテレビで観ました。
漫画で読んでいたのですが、とても忠実に映画化されていて感心しました。
ただ、スマイル役の人が格好良すぎたかな。
キャプテン大田がいい演技していました。
アクマもドラゴンもチャイナもはまり役。
ペコだけが、窪塚色に染まってしまってちと残念!
あ、ちなみに僕、中学のとき卓球部でした。
スマイルと同じ、カットマンでした。
<2003-9-24>
先日の HEY!HEY!HEY! を観て思ったのですが、加護ちゃん、やばいですよね。
一時期、「辻ちゃんがだんだんやばくなってきた」と思っていたのですが、今は加護ちゃんのほうがやばい。
子供から大人になる過程で顔やスタイルは変わっていくものですが、あの二人はどんどん行っちゃいけない方向へ行っているような気がする。
それに比べると、後藤真希はデビュー当時とあんまりかわりませんね。
<2003-9-23>
小林製薬のコマーシャルに我慢が出来ず、「アイボン トローリ目薬」を買いました。
噂どおりのトローリとしたさし心地。
ロートZi や サンテFX の刺激に毒された僕の目にとって、この目薬はひとつのアンチテーゼ。
慣れない潤いが、「もう寝ちゃいなよ」と耳元で囁きます。
この感覚、はじめてトルコアイスを食べたときの感覚にそっくりです。
<2003-9-22>
テレビ朝日でやっていた、地震の特番を観ました。
近いうちに必ず来る、というスタンスの番組作りだったので、観ていて正直怖い部分もありましたが、それより何より、独自に地震を予知する方法を発見し、警鐘をならし続けている串田氏に興味津々でした。
番組の後、インターネットで彼の活動を調べてみたのですが、どちらかと言えばマッドサイエンティスト風に世間からは受け止められているらしく、国から援助があるわけでもなく、テレビや新聞は興味本位に報道しているだけで、定期的に地震予報が取り上げられているわけではないようです。
僕は個人的に、こういう人、大好きです。怒られるかもしれないけれど、なんか「たま出版」の韮澤編集長と同じ匂いがします。
こちらのホームページに最新の地震予測が載っていますので、興味のある方は読んでみてください。
<2003-9-21>
「基本的には」という言葉をよく耳にしますが、本当に基本的だったためしがありません。
どうして人々はなんでもかんでも「基本的」にしたがるのだろう。
そうでもないことをそんな風に言いたいから?
意味にふくみを持たせたいから?
「基本的には」って言われると、そうじゃない部分がとっても気になります。
「私、基本的には男の子は顔で選ばない」なーんて女の子が言っているのを聞くと、じゃあどんなときに顔で選ぶんだよって思う。
やっぱり「基本的には」って言うのなら、90% くらいの確率でそうであって欲しいですね。
50% の確率だったら基本的とは言えないし、100% だったらわざわざ「基本的」などと言わずに断言してしまえばいいわけです。
「AとBは同じ」、というのと、「AとBは基本的には同じ」、というのでは、受ける印象がだいぶ違います。
僕は「基本的には」という言葉は、基本的にはあまり使いません。(^^;;
<2003-9-20>
順調に行けば、今年の12月より地上波デジタル放送が一部地域で始まります。
そしてこれも順調に行けば、2011年に現在のテレビ放送はすべて終了し(アナログ停波)、テレビと言えばデジタル放送になります。
つまり、現在使われているほとんどのテレビ、ビデオ、パソコンについているテレビチューナーボードなどは、すべて2011年以降はテレビ番組を受信できなくなってしまうのです。
もちろん、今まで録ったビデオやレンタルビデオを観るためならそのまま使えますし、デジタルチューナーを買えば使用を続けることは可能です。(デジタル放送の綺麗な映像は楽しめませんが)
でもやっぱり、本当に2011年にアナログ波が停まってしまうと、多くのテレビはゴミになってしまうんじゃないかな。
2011年って結構あっという間ですよね。
うちのテレビはかれこれ15年近く使っていますが、まだ現役ばりばりで、とても綺麗に映っています。
……ということは、今年テレビを買ったみなさんが、8年後に今年買ったテレビを使い続けている可能性は非常に高いわけです。
ゴミ問題も深刻だけれど、各家庭に立っているVHFの八木アンテナを全部UHFの八木アンテナに交換する作業も大変そう。
年金生活をしている老人なんかは、高価なデジタルテレビを買えないで、2011年を境にテレビを観られなくなるのかもしれない。
そんな大変化があと数年で本当に起こるのか、にわかに信じられませんが、インターネットやADSLの普及を考えると、ない話ではないのかもしれません。
<2003-9-19>
自分の中でとっくの昔に通り過ぎてしまった人がいます。
例えば小学校のときのクラスメートや中学のときに好きだった女の子、学生時代のサークルの仲間、初めて勤めた会社の同僚や上司たち……。
そんな人たちがこの地球上のどこかで息をしながら、今この瞬間も何かをしているのだと思うと、ものすごく不思議な気がします。
何を考え、何を楽しみ、何に悩んでいるんだろう?
もう一生会うことなんてないだろうし、例え偶然に会えたとしても、ありきたりの挨拶を交わして、バツの悪い気持ちで再び通り過ぎていく。
でもその人たちだけじゃないのかもしれない。
今、自分の周りにいる人たちだって、もしかしたら10年後には、同じように手の届かないところへ行ってしまうのかもしれません。だんだんとフェードアウトしていく。電話で話さなくなって、年賀状だけのつきあいになり、やがてその年賀状から「ひとこと」がなくなり、年賀状自体が来なくなる……。
そんなことを考えていたら、生きていくのって本当にひとりぼっちなんだなぁって思いました。
どんなに充実した人生を送ろうとも、誰もがたったひとりで生まれ、たったひとりで死んでいくんですよね。
<2003-9-18>
小説「ノルウェイの森」に、永沢さんという東大生が出てきます。
彼の行動規範は「紳士であること」。
「自分がやりたいことをやるのではなく、やるべきことをやるのが紳士だ」と彼は言います。
高校生の頃の僕は、こういうのがもう病的に好きで、また影響されやすくもあり、しばらくの間、真剣にそのような生き方をしようとつとめていました。
「風の歌を聴け」で、主人公がクールに生きようと、「心に思うことの半分しか口に出すまいと決心した。(中略)そしてある日、僕は自分が思っていることの半分しか語ることのできない人間になっていることを発見した」なんてくだりを読むと、実際に思うことの半分しか口に出すのをやめてクラスメートから気味悪がられたりもしました。
何で突然、村上春樹の小説を思い出したかと言うと、秋だからです。
夏の終りから晩秋にかけて、何だか無性に村上春樹が読みたくなり、本棚から引っ張り出します。
僕は子供の頃、多くの日曜日を、ただぼんやり窓の外を眺めて過ごしました。何も考えずに雲の流れを見ていると、大きなものに守られているような、そんな気持ちになりました。
彼の初期の作品を読むと、そんな日曜日のひとりの時間がよみがえり、懐かしさと切なさで、心がとても静かになっていきます。
誰もがめいっぱいのトラブルを抱えこんでいるようだった。トラブルは雨のように空から降ってきたし、僕たちは夢中になってそれらを拾い集めてポケットに詰めこんだりもしていた。何故そんなことをしたのか今でもわからない。何か別のものと間違えていたのだろう。 「1973年のピンボール」より
<2003-9-17>
コンビニなどで缶コーヒー等を買うとき、つい「種類別」というところを見てしまいます。
缶コーヒーはたくさんありますが、よく見ると「種類別」が「コーヒー」だったり「コーヒー飲料」だったり「コーヒー入り清涼飲料」だったり「乳飲料」だったりします。
これは使用している 100g 中のコーヒー豆の量によって表示が違うのです。
つまり、5g 以上が「コーヒー」、2.5g 以上 は「コーヒー飲料」、1g は「コーヒー入り清涼飲料」となります。
ちなみに、「乳飲料」とは、乳固形分 3% 以上のもののことで、この表示になるとコーヒー豆の量は関係なくなるらしい。つまり、1g
未満でも「乳飲料」は「乳飲料」です。
僕はコーヒーの味の違いにこだわるほどコーヒー好きではありませんが、なんとなくこの事実を知ってからは、「コーヒー」表示のものを選んでしまいます。
だって、コーヒーを買っているのですから。
同様に、アイスクリームも「アイスクリーム」「アイスミルク」「ラクトアイス」という風に種類別されており、こちらは乳固形分の割合で表示が違います。
「アイスクリーム」は 15% 以上、「アイスミルク」は 10% 以上、「ラクトアイス」は 3% 以上です。
やはりこちらも、せっかくなので「アイスクリーム」と表示されたものを選んでしまいます。
こういうのも、ちょっとした暗示ですよね。
味はそれほど違わなくても、なんか「ラクトアイス」だとケミカルな感じがしてしまいます。
<2003-9-15>
育てているラズベリーが花を咲かせて実をつけ始めています。
ラズベリーは二季咲きなので、春と秋に収穫が楽しめます。
樹勢が強く、放っておくと次々と下から新しい株が出てきて大変なことになってしまいますが、大して世話をしなくてもちゃんと収穫が出来るので、我が家の中々実をつけない果樹たちの中では優等生です。
<2003-9-14>
テレビを観ていたら、岸田今日子が「見たい夢を見る方法」について話していました。
とても面白い方法だったので、ここにご紹介いたします。
まず、布団の中で目をつぶったら、自分の右側と左側に、柱を思い浮かべる。(この2本の柱は、夢への入り口、門の役割を果たすそうです。)
そしてその柱の間に、見たい夢のイメージを作る。場所、人、物、状況など、出来るだけ具体的に思い浮かべる。
イメージが出来たら、左の柱のところへ行き、柱をつかみ、しゃがむ。
しばらく待っていると、自分が眠りに落ちる瞬間が来るので、そのタイミングで立ち上がり、柱の間から夢の中へ入っていく。
岸田今日子曰く、「眠りに落ちる瞬間をいかに捕まえるかがポイント」だそうです。
あと、忙しかったり疲れているときは捕まえる暇もなく一気に眠りに落ちてしまうので、時間に余裕のあるときにするとうまくいくそうです。
ちなみに彼女はこの方法を、自分で発明したそうです。
これって自己催眠と通じるところがあるなぁと話を聞きながら思いました。
「眠りに落ちる瞬間」というのはそのまま、催眠状態ですからね。
僕も早速試してみようと思っています。
うまく行った方がいらっしゃいましたら、是非メールで教えてくださいね!
<2003-9-13>
今まで聞いた中で、一番びっくりした寝言。
「夜は、本当に、長いと思う」
<2003-9-12>
子供の頃、雑誌の付録などについてくる日光写真で遊んだ記憶があります。
今の子供たちも日光写真で遊ぶのでしょうか。
それとも、「何それ?」という反応が返ってくるのかなぁ。
しつこくユーミン話の続きを書こうと思って、「カンナ8号線」を口ずさんでいたら、ふとそんなことを思いました。
<2003-9-11>
ユーミン話を続けます。
岡田有紀子がサンミュージックの屋上から飛び降りたとき、友達が「ツバメのように」を聞かせてくれました。
アイドル歌手の投身自殺というのは前代未聞で、とてもショッキングでしたが、「ツバメのように」の内容もそれに負けずとも劣らずにショッキングで、その相乗効果は相当のものでした。
でも、はじめは怖かったけれど、だんだんとこの歌の空虚感が好きになっていきました。
女の子の「高いビルの上からは、街中がみんな、みんな、馬鹿らしかったの」という悲劇のヒロインぶりとは対照的に、「あまり美人じゃない」と誰かが言ったり、飛び散った血を、名も知らぬ掃除夫が洗っていたり……。
♪ もう会えない 彼女は年をとらず
生きてゆく私には 綺麗だわ
<2003-9-10>
先日、車の中でユーミンを聴いていて、「日本で一番音楽が成熟していたのって、『リインカネーション』の頃だったんじゃないかなぁ」と、ふと思いました。
こういった衝撃って、今の子供たちの音楽からは感じられません。
<2003-9-8>
「世界遺産」を見ると、現実感がスーッと遠のいていって、人生って何なのかなぁと考えてしまいます。
<2003-9-7>
ジョシュ・バーネットが勝って、新日本プロレスがパンクラスに勝ったって言われても……。
プロレスは無敵だって言うなら、やはりプロレスで育った人がVTで結果を残さないと駄目なんじゃないかな。
<2003-9-6>
ようやく「バベルの塔」が完成しました。
毎日というわけにもいかず、期間はかかりましたが、気持ち的には「あっという間に終わってしまった」感じです。
やっぱりパズルって面白い。
ラジオを聴いたり音楽を聴いたりしながらピースを眺めていると、とっても贅沢な時間を過ごしている気になります。
さて、次は何のパズルにしようかな。
<2003-9-5>
童謡「森の熊さん」は、なぜか2番から雲行きが怪しくなります。
<2003-9-3>
森山直太朗の「夏の終わり」ですが、一瞬、「さくら」に聴こえてしまいます。
この人、ちょっと古かったり、小難しい単語を使いたがりますね。
<2003-9-2>
最近なかなかパズルをする時間もなく、「バベルの塔」は未だに完成途中です。
簡単な所からはじめていたのですが、ようやく建物部分が終わりました。
あとは空を残すだけです。
<2003-9-1>
自転車をこぎながら携帯電話でメールの読み書きをしている人がいますが、危ないからやめて欲しいですね。
あと、信号待ちの車の中でメールの読み書きをしているドライバーもたまに見ますが、これも危ない。
車が動き出してもそのまま携帯を打ち続けている人もいますし、減速中に携帯を打っている人を見たこともあります。
飲酒運転と同じくらい、ドライバーのメール操作は取り締まるべきだと思うのだけれど、あまりニュースにならないところを見ると、携帯電話が原因で発生する事故って少ないのだろうか。
こちらが加害者でも被害者でも、相手がメールの読み書きをしている最中の事故だったら、かなり頭にくるだろうな。