流しそうめん
流しそうめんって、日本人の僕から見ても、何が楽しいのか、何が美味しいのか、何が風流なのか、涼なのか、粋なのか、趣なのか、さっぱり理解できません。
スイカ割りは理解できます。確かに叩き割られたスイカは食べにくかったりしますが、何より楽しいです。
わんこそばだって、旅の解放感でチャレンジしちゃうかもしれません。
しかし、流しそうめんだけは全くやってみたいとは思えない。
流す人の苦労、下流の人への気遣い、衛生面に対する若干の不安、最後の人の全部取らなければならないという責任感、食事中に水が流しっぱなしになることへの罪悪感……。
これだけの犠牲を払っていったい何が得られるというのでしょうか。
そもそも、僕はそうめんが大嫌い。味も単調だし、どれだけ食べれば食事を終わりにして良いのか不明だし、食べた気しないし、かといってお腹いっぱい食べたいとも思えません。おまけに、あのミカンは何ですか。
日本人の僕でさえそうなのだから、外国人が流しそうめんを見たら、これが何を意味しているのか、さっぱり理解が出来ないと思う。
観光に来た外国人に、間違って流しそうめんの説明をしなければならない状況になったら、それはもう、拷問です。
「ナンデコンナタベカタヲシテイルノ? ナニヲヒョウゲンシヨウトシテイルノ? イカリ? カナシミ? ヨロコビ? キドアイラク?」
きっと会話はちぐはぐなまま、お互いに、やっぱり世界はひとつになれないのだと、言い様のない徒労感を覚えることでしょう。
いや、違うかな。日本贔屓の外国人は、「必勝」とか書いた鉢巻を頭に巻いて、全力で流しそうめんを楽しんじゃうのかな。
いずれにしても、流しそうめんは、三本の指に入る、日本人の奇行です。