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肉だんご、そして人生不可解

 昼に近所の定食屋さんに行きました。
 食事をしていると、後から来たお客さんが隣に座り、肉だんご定食を注文しました。
 に、肉だんご定食?
 僕はその言葉の響きに首を傾げました。(もちろん、比喩的に、です)
 なぜ彼は、肉だんご定食を選んだのだろう?
 から揚げ定食でもなく、ハンバーグ定食でもなく、何故に肉だんご?
 肉だんご定食というのは、どこかしら、いい年をした大人が注文するべき定食ではないような気がしてきました。
 肉だんごって、付けあわせじゃないの?
 メインのおかずが肉だんごって、ちょっと無理があるのでは?
 別に肉だんごに嫌な思い出があるわけではありませんが、「この人は無性に肉だんごが食べたかったんだな。激しく肉だんごを求めているんだな」と思うと、何故かとてもおかしな気持ちになっていきました。
 肉だんご。
 肉だんご。
 肉だんご。
 頭の中でこの言葉を繰り返すと、言葉が変な力を持ち始めます。
 (みなさんもご一緒に……)
 肉だんご。
 肉だんご。
 肉だんご。
 おそらく、問題は「だんご」の方なのでしょう。
 普段、「肉」という言葉を聞いてこんなに反応してしまうことはないのですから。
 だんご……。
 「ごぼう」にも言葉の勢いを感じますが、「だんご」だって「ごぼう」に負けずとも劣らぬ勢いを感じます。(関係ないけど、「どじょう」にも同じ語の勢いを感じます)
 さらにこの「だんご」に、生命維持には欠かせない「肉」という接頭語(なのかな?)がつくのですから、パワーも倍増です。
 お好み焼き定食の存在を知ったときも驚きはしましたが、心のどこかで、大阪人ならばやりかねない、という冷めた思いがありました。あずきトーストをありがたがって食べている名古屋人も大目に見ましょう。
 でも、「肉だんごで定食を」、という発想には、人間の根源を揺るがされる思いがしました。
 現に僕は帰り道、横断歩道の前で信号が変わるのを待っていた女の子をみて、何故か、人生が解らなくなって死んでしまった人の責任は誰が取るのだろう?、と訳の判らないことを考えていました。
 きっと誰にも理解されず、疑問を抱えたまま、ひっそりと死んでいくのだろうな。
 ……こういうのはみんな、肉だんごのせいなのです。

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